38 エヴィルの姫提督1

 ロベリアの港にエヴィルの旗を掲げた軍船が入港してくる。経験豊富な船員達が機敏に動き、寸分の狂いもなく係留する。本来であればエヴィルから来た一行を総督府で歓待し、最低でも1泊してから皇都へ案内するのだが、この後一行はすぐにワールウェイド領を経由してから皇都へ向かう手はずとなっている。ただ、軍船のままでは河をさかのぼれないので、川船が用意されていた。

「隊長!」

 移乗の作業の邪魔にならないよう少し離れた場所でその様子を眺めていたエルフレートに下船した2人の男性が駆け寄って来る。彼等はエルフレートの元部下の小隊長達だった。昨年、国主会議に向かうハルベルトの護衛として礎の里に向かう途中、ベルクやグスタフの謀略によって共に海賊に捕われた。思考を奪う薬を使用されて中毒に陥っていたのだが、1年前に比べると随分と良くなっている様子だ。

「2人とも、良く帰ってきてくれた」

 1年ぶりの再会に少し緊張の面持ちだったエルフレートの顔がほころぶ。彼等の話だと、他の部下達も一緒に帰国できたらしい。ワールウェイド領に立ち寄るのは、彼等の新たな療養先がワールウェイド領にある薬草園と決まったからだ。

「結局、我々の他に帰国できたのは4名です」

 エルフレートがエヴィルを出立したのちに、一番経過の思わしくなかった部下が命を落としたのは聞いていた。改めてその場で瞑目めいもくし、短く祈りの言葉をつぶやいた。

 そこへリーガスとロベリアの総督がエヴィルの関係者を出迎えるために姿を現す。帰国した2人は慌てて彼等の元に挨拶に行く。

 作業の邪魔にならないよう、遠目に見ていたエルフレートも彼等と合流しようと歩を進めるが、軍船から姿を現した銀髪の人物を目にとめると足が止まる。

「くっ……」

 激しい動悸に思わずその場で膝をついていた。

「どうした? 発作か?」

 リーガスが異変に気付き声をかけると元部下達が駆け寄ってくる。

「薬は? 少し休んでいろ」

 リーガスは近くにいた騎士団員達にエルフレートを休ませるように指示を出す。みっともない姿を彼女に見られたくなかった彼は安堵して促されるままにその場を後にした。




 ブランカはやせ細った若者の体を抱きしめて泣く年配の女性の姿を見て苦い吐息を零した。昨夏に海賊船から保護したタランテラの竜騎士達を送り届けたわけだが、悪質な薬の中毒により、彼等は皆後遺症を抱えていた。

 目の前にいる若者は最も重篤な患者で、後遺症により己の意思を喪失してしまっていた。母親らしい女性に抱きしめられていてもただ虚空を見つめ、意味を成さない言葉をつぶやいている。傍らにいる父親らしい人物はまだ現実を受け入れられないらしくうつむいていた。

「どうして……どうして……」

 近衛の役割もあるという第1騎士団の有望な若者は自慢の息子だったに違いない。話には聞いてはいたのだろうが、想像以上に惨い現実はなかなか受け入れがたいのだろう。

 彼の他に3名、重篤な後遺症が残ってしまった元竜騎士達は、新たに整備されたこのワールウェイド領の薬草園に併設された療養所で治療が行われることになっていた。聖域から薬学の権威と言われる賢者の弟子が招かれている。治療によってせめて家族の顔が分かるようになってくれればと願うばかりだ。

「どうして、うちの子が!」

 再会に立ち会った部屋から出ると、別の女性が2人の若者に詰め寄っていた。彼等も海賊に捕われていた元竜騎士達だ。奇跡的に日常生活に支障が出ない程度に快復したが、それでも時折起こる発作に悩まされ、継続した治療が必要だった。

 彼等も被害者で、責められる筋合いはないのだが、それでも女性の非難を項垂れて受けている。しかし、彼等の顔からだんだん血の気が失せてきている。このままでは発作を起こす可能性がある。ブランカは間に割って入ろうとするが、それよりも先に別の部屋から出て来たエルフレートが女性を止める。

「彼等の責ではありません」

「だけど、だけど、うちの子は……」

 今度はエルフレートに詰め寄っている。ブランカがロベリアに着いた時にも体調を崩していたのを思い出し、黙っていられなくなったブランカは間に割って入った。

「失礼。お嘆きなのは分かりますが、彼等を責めないで下さい」

「でも、でも」

「息子さんに付いて差し上げてください。今はご家族の支えが一番の薬だと伺っております」

 ここで改めてブランカの顔を見たらしく、いつも通りエヴィルの軍服姿の彼女をどこか陶然とした様子で見上げている。

「きっと、ご子息は寂しがっておられますよ」

 女性の肩を抱いで部屋に戻るように促すと、彼女は先ほどまでの激昂ぶりからは信じられないほど素直に従って部屋に戻った。その姿が見えなくなると、竜騎士3人は明らかにほっとした様子で大きく息を吐いた。特にエルフレートの顔色は他の2人以上に良くなかった。

「済まない、ブランカ」

「無理をしない方がいい」

「だが、全員を家族の元に返すまでが私の仕事だ」

 昨年の国主会議に出席するハルベルトの護衛の責任者はエルフレートだった。その責任を負うのは当然かもしれないが、ブランカとしてはあまり無理をしてほしくなかった。

「気を張りすぎだよ。少し休んだ方がいい」

「……そうだな。ちょっと休んでこよう」

 調子が悪い自覚があったらしいエルフレートは素直にうなずいた。皇都に移動後はまた部下の遺品を家族に返す場に立ち会うつもりなのだろう。その場でも今回の様な事は起こらないとは限らない。根を詰めすぎては彼の体の方がもたない。

 エルフレートは他の2人にも休むように言うと、ブランカに頭を下げて足早にその場を去っていった。

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