118 朗報と凶報2

「その……ベルクという方は一体……」

オリガの疑問にアリシアが苦笑して応える。

「礎の里で準賢者の地位にいるのだけど、少々難のある人物でね、アレスなどは毛嫌いしているわ」

「母上、あれは少々ではありませんよ」

 ルイスが顔をしかめて口を挟み、ペドロは苦笑している。

「確かに金を集める才能は認める。神殿と言えども、中にはああいう人物も必要なのは確かだろう。だが、奴が心の底から大母ダナシアを崇拝しているかというと疑問が残るな」

「ルイス」

 バッサリと切り捨てるように言い放つ息子をアリシアは窘めるが、彼はそんな事は気にせずに続ける。

「しかもだ、フレアに対して口にするのも忌々しい暴言を吐きやがって……。あの守銭奴が賢者だなんて世も末だ」

「止めなさい、ルイス」

 アリシアが厳しい口調でたしなめるが、彼は気にした様子も無く肩をすくめ、オリガとティムは顔を見合わせるとフレアの様子を窺う。彼女は少し困った様な表情を浮かべ、不安げにクウクウ鳴いているルルーをなだめる。そしてそっとお腹に手を当てている。

 もうじき安定期に入るのだが、まだ目立つほどお腹は膨らんでいない。悪阻つわりが治まらない彼女は食が進まない状態が続き、体の線は一層細くなっていた。

「とにかく話を戻しましょう」

 反省の色を見せない息子にため息をつくと、アリシアはペドロに先を促す。

「そうじゃな。じゃが、レイドが寄越した情報はここまでじゃ。後はアレスと落ち合ってまた詳しい報告を寄越すとある」

「そう……。今後の事はその報告を貰ってからになるわね」

 ペドロから手渡された書状に目を通し、アリシアは溜息をつく。北国は妖魔の襲来も早い。その分早く備えなければならないと言うのに、内乱の後始末がその足を引っ張っている。

 政の大変さを身に染みて理解しているアリシアは表だって手助けできない今の状態に歯がゆさを感じる。せめて何かできないか色々と考えてみるが、妙案はなかなか思い浮かばない。

「アイツの事だから直接父上へ相談しに行くかもしれないな」

 唐突に口を開いたのはルイスだった。

「……その可能性はありそうね」

「聖域を一気に突っ切るにはクルヴァスじゃ役不足だな。俺の相棒を貸した方が良いかもな」

 アレスならばアルドヴィアンも難なく乗りこなすだろう。ペドロもアリシアも一応は頷くが、そうなるとその間はルイスが村に足止めされる事になる。他の飛竜に同乗させてもらえば済む話だが、やはりいざという時の為に彼も動けるようにしておいた方が好ましい。

「うちの子を貸そうかしら」

「パラクインスを?」

「フィルカンサスに会えないからストレス溜まっているみたいなのよ。さっきも悪戯してたし、会わせてあげれば少し落ち着くと思うの」

「大丈夫かな?」

「アレスならうまく乗りこなすでしょう」

 親子で交わす何気ない会話を耳にして、ティムの動きが固まる。

「フィルカンサス?パラクインス?」

 2頭とも有名な飛竜である。竜騎士を志す者なら知らない者はいないだろう。グロリアの館で飛竜の世話をしていた頃、先輩竜騎士達に見せてもらった竜騎士名鑑の冒頭に最強の番として紹介されている夫婦のパートナーの名である。つまり、目の前にいるこの女性は……。

「ティム、どうしたの?」

「気分が悪くなった?」

 カタカタと手が震えだしたティムにオリガもフレアも心配そうに声をかける。

「あら、大丈夫?」

 アリシアも気づいてティムの肩に手をかけ、その顔を覗き込む。すると少年は大げさなくらいにビクつき、床に膝をつくとアリシアに頭を下げる。

「し……失礼しました」

「ティム?」

 少年の突然の行動にアリシアだけでなくフレアもオリガも面食らう。

「ブ……ブレシッド大公妃様とは気付かず、ご無礼致しました!」

 よくある名前とはいえ、アリシアの本当の身分に気付かなかった自分をティムは恥じ入っていた。そしてその叫びに今度はオリガが固まる。

「え……」

「あらぁ、分かっちゃった?」

 アリシアが茶目っ気たっぷりに頷くと、オリガは衝撃のあまりその場で失神した。




 聖域の北の砦で待機していたパラクインスを借り受け、アレスは聖域を縦断してソレルに到着した。今度はスムーズに養父へ取り次いでもらえたのだが、通されたミハエルの私室でアレスは盛大な溜息をついた。

「義父上……何をなさっておられるのですか?」

 テーブルの上だけでなく床にも脱いだ服や書類、書物などに交じってワインの空ボトルまでもが何本も転がり、足の踏み場もない。その中でミハエルは下履き1枚の姿で何かを探していた。

「おお、アレス。いや、着替えをな、しようと思ってだな……」

 そこでミハエルは盛大なくしゃみをする。一体その格好でどのくらいそうしていたのか……。

 未だに現役を続けているので、とても孫がいる年齢とは思えない程引き締まった体をしている。だが、髪はぼさぼさで、無精ひげを生やした姿は、大陸で名をはせている竜騎士だとはとても思えない。

 ミハエルには性別を問わず多くのファンがいて、彼にあこがれて竜騎士になる若者も多い。そんな彼らが今のミハエルの姿を見れば、百年どころか千年の恋も冷めるだろう。

「とにかく何でもいいから着て下さい。シーナ姉上はどうなさったんですか?」

「シーナが足りないと言ってディエゴが昨夜連れ帰った。いや……その前だったかな?」

 結婚して8年。既に2人の子供にも恵まれているルデラック公王夫妻は新婚当初と変わらずラブラブである。特にディエゴはシーナを溺愛しており、離れて暮らすのが我慢出来なくなったのだろう。連れ帰って2日ならまだ寝室に籠っているかもしれない。

 アレスの忠告に従ってその辺に脱ぎ捨ててあった服をミハエルは羽織るが、ワインでも零したのかシミが出来ている。たった1日2日でこの惨状かと内心ぼやきながら、アレスは仕方なく古参の侍女を呼んで部屋の片づけを命じた。

「別の着替えを用意させますから、ちょっと湯あみをしてきて下さい。このままでは話も出来ません」

「そうかなぁ?」

 アレスに追い立てられるようにしてミハエルは渋々浴室へ足を向ける。その間に次席補佐官にも来てもらって書類の整理を頼み、シーナを解放してくれるようにルデラック公邸へ使いを送った。

 ソレルのこの中央宮においては、アレスは完全に部外者となる。元々近寄らないようにしていたし、こちらに来る事があってもこんな風に勝手に指示を出す事は無かった。

 だが、今回ばかりは黙っていられない。早く報告を済ませて方針を決め、またタランテラに戻らなければならない。とにかく時間が惜しかった。気付けば采配を振るって侍女や侍官を効率的に動かしていた。

「なかなかの指揮官振りではないか」

 気付けば湯あみを済ませたミハエルが立っていた。アレスは勝手に采配を振るっていたことに気付き、慌ててミハエルに頭を下げる。

「申し訳ありません、勝手な事をしました」

「構わぬ」

 既に部屋は片付き、何日かぶりでまともに床を歩けるようになっていた。ミハエルは片付けに関わった侍女や侍官を労うとお茶の手配を命じ、最大の功労者であるアレスに席を勧める。その動きはスマートで、先程まで下履き一枚でウロウロしていた男とはとても同一人物とは思えなかった。

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