112 尽きない渇望1

 エドワルドは誰もいない寝室で目を覚ました。窓に掛けられたとばりの隙間からは午後の日差しが差し込んでいて、随分と寝てしまっていたのに気付く。

喉の渇きを覚えるが、相変わらず体がだるく、寝台脇に置かれたテーブルにある水差しに手を伸ばす気力もわかない。仕方なく、そのまま寝台に体を預けていると、静かに戸を叩く音がしてオルティスが寝室に入って来た。

「殿下、お目覚めでございましたか」

「……水をくれ」

 喉の渇きからか、かすれた声しか出てこない。オルティスはすぐにハーブ水を用意すると、体を起こすエドワルドの手助けをする。

「ヒースやルークはもう出たのか?」

「はい、昼前に出立されました。アスター卿の話では、フォルビア正神殿の傭兵殿もご一緒に向かわれたようです」

「そうか……」

 ハーブ水を飲み干した器を差し出すと、オルティスはおかわりを注いでくれる。最愛の人を思い出す味に、喉は潤せても心の渇きは一層増していくばかりだ。器を握りしめたエドワルドの手が震える。

「殿下」

「ああ、何だ?」

「休んでおられた間に、礎の里からいらしているベルク準賢者様とリネアリス公が面会を求められました。バセット殿と相談し、今日は無理だとお伝えしてお帰り頂きました」

「ベルク準賢者とリネアリス公が?」

 エドワルドが怪訝そうな表情を浮かべると、オルティスは少し困った様に付け加える。

「殿下のお身回りの世話をさせたいと、リネアリス公はご令嬢を伴っておられまして、お引き取り願うのに随分と手間取りました」

「……」

 要は保身である。今までグスタフに従っていた良くない心証をどうにかしようと画策し、ベルクに力添えを頼んだのだろう。

 うまくいけば、未だ行方の分からないフロリエの代わりに娘が妻の座を得て、ゆくゆくは皇妃になれると思っているのかもしれない。バレバレの魂胆にエドワルドはげんなりとし、背に宛てた枕に体を預ける。

「署名する物があるだろう? 持ってきてくれ」

 気分を変えて仕事でもしようと考えたのだが、オルティスはきっぱりと首を振る。

「ございません」

「は?」

 オルティスの返答が信じられず、思わず聞き返す。今の状況でそれは有り得ないはずで、何かしらの報告はあってしかるべきである。

「殿下にはお体を治して頂くのを優先して頂き、業務に関しましてはサントリナ公にブランドル公、グラナト殿とブロワディ卿、アスター卿の5人で分担して行われる事になりました。どうしても判断を仰ぎたいときにのみご報告に上がりますと、方々からのお言葉でございます」

「……」

 主治医であるバセットの意向が十分に反映された決定である。こんな時にそれは無いだろう。不満そうなエドワルドにオルティスは更に続ける。

「今、無理をなされて後日お倒れになれば、結局は今以上に休養が必要になります。その方が明らかに時間を無駄に費やす事になるでしょう。有能な方々が控えておられます。今は彼等に任せ、体力の回復にお努め下さい」

「……わかった」

 ここで大人気なく駄々をこねてもオルティス相手では少々分が悪い。エドワルドは渋々頷いた。

「きちんとお食事を召し上がり、良くお休みいただけば、回復なされるのも直ぐでございます」

「そう……だったな」

 紫尾しびの蹴爪で負傷した折に、同じことをフロリエも言われていた。エドワルドは熱くなる目頭を隠すように寝台に体を横たえると夜具を引き上げた。

「お食事をご用意いたします」

 そんなエドワルドの気持ちを察したオルティスは、そう声をかけると静かに寝室を出て行った。




 再三のエドワルドへの面会の申し込みにようやく快い返事が帰って来たのは、門前払いをされてから2日後の事だった。

 伝え聞いた話では、監禁されていたエドワルドはゲオルグや彼の取り巻きに暴行を受け、骨折をしていたらしい。そんな状態で力を使った為に尚更体力を消耗し、本来ならば休んでいなければならい状態なのに飛竜を操り本宮に帰還したのだ。その無理が重なり、今になって寝込んでしまっているらしい。

「そこまでして帰って来ようとする気がしれん」

 その報告を言いたベルクは心底呆れた。非常時なのは分かるが、そこまで無理する理由が彼には理解できなかった。

 早々にあの薬草園の交渉を済ませて礎の里に帰るつもりだったのだが、肝心のエドワルドが寝込んでいるおかげで皇都に足止めされているのだ。そろそろ戻らねばならないから挨拶ぐらいはさせろと半ば脅す様にして今日の面会を取り付けていた。

「要は見栄を張りたかったのでしょう。自分の存在を知らしめるには飛竜での帰還が最も効果的でございますから。それに陛下が本宮に残っておられましたから、早くお助けしたかったのでございましょう」

 取り次がれるのを一緒になって待っていたリネアリス公がベルクを宥める。彼の隣には美しく着飾った末の娘が大人しく座っている。昨年の夏至祭の折にソフィアが集めた令嬢達の1人でもあった彼女は、エドワルドの姿を見て虜になった一人でもある。

 結婚したと聞いてがっかりしていたのだが、こうして巡ってきた好機に胸を高鳴らせていた。今回はライバルもいないし、何よりも準賢者の地位にあるベルクが後押ししてくれる。それは半ば決まったようなものだと彼女は扇で隠した口元を綻ばせた。

「お待たせいたしました。どうぞこちらへ」

 ようやく若い侍官が彼等を呼びに来てくれた。3人はその侍官の先導で待たされていた南棟の応接室を出て北棟へと進む。皇家の私的な空間に招き入れられて、いよいよ期待が高まってくる。

「こちらでお待ちいただくように言付かっております」

 案内されたのはエドワルドの私室にある居間である。ベルクはまた待たされるのかと顔をしかめるが、リネアリス公もその令嬢もそれほど気にはしていない。例え5大公家の人間でも、こうして皇家の私的な部分に招かれるのはまれな事である。この先に見える明るい未来への期待が大いに高まっていた。

「お待たせしました」

 程なくして寝室に続く奥の扉が開き、竜騎士正装姿のエドワルドが居間に入って来た。着ているのはハルベルトの遺品では無く、急遽誂えた物だった。裁縫が得意な女官が総動員されて仕上げられ、一般の竜騎士のものよりも豪奢な装飾が施されている。

「エドワルド・クラウスです」

「ベルク・ディ・カルネイロと申します」

 初対面となるエドワルドとベルクは、簡単に名乗ると握手を交わした。その様子をリネアリス公は黙って観察する。

 2日間の休養により随分と顔色は良くなっているが、それでもやつれようは隠しきれていない。立っているのも辛いらしく、近くのソファの背もたれに寄りかかっている。この様子だと完全に回復するまでにはまだずいぶん時間がかかり、自分達の思惑通りに事が進められると楽観する。

「どうぞ、お座りください」

 エドワルドは立ち上がって迎えた3人に改めて席を促すと、自分も席に着いた。オルティスが改めて人数分のお茶を用意し、そっとエドワルドの背後に控えた。

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