96 砂上の楼閣2

流血を伴う暴力シーンがあります。



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「何故、早く知らせなかった?」

 本宮の宰相執務室。グスタフは目の前に這いつくばる2人に怒声を浴びせた。1人は女官服姿のドロテーア、もう1人はアルメリアの警護をしていた隊長だった。

 体調不良を理由にアルメリアがいつまでも帰ってこない事に苛立ち、神殿に幾度も催促の使いをやってようやく一行が帰って来たのがつい先ほどだった。だが、肝心の姫君の姿が無い。

 そこで今回の責任者だった2人を問い詰め、アルメリアが何日も前にユリウスと共に逃走した事を知ったのだ。神殿側がそれに助力し、彼らは拘束されていたが、今朝になってようやく解放されたのだと説明した。

「も……申し訳……ありません」

 這いつくばるドロテーアをグスタフは足蹴にする。

「何の為にそなたをつけたと思っている? 姫から目を離すなと厳命したはずだぞ!」

 幾度も幾度もドロテーアを蹴りつけ、彼女は鼻や口から血を流していた。それでもグスタフの怒りは治まらない。自分の誘いを生意気にも蹴った平民上がりのルークが2カ月も前に牢から逃げていたのにその報告すら届いておらず、姫の逃亡に手を貸していたことがその怒りに拍車をかけていた。

 あと少しでこの国は我が手中に……。わが世の春を謳歌していたはずが、急に足元が崩れて奈落の底へ突き落された気がしていた。

「もういい! 沙汰さたがあるまでお前は謹慎しておれ」

「ど、どうか御慈悲を……」

 流れ出る血で床が汚れるのも構わず、ドロテーアはグスタフに縋ろうとする。

「ええい、近寄るな!」

 蹴り上げた足はドロテーアの顔をまともにとらえ、グシャッと嫌な音とともに彼女はひっくり返った。どうやら鼻骨が折れてしまったようだ。彼女はそのまま泡を吹いて失神してしまう。

「片付けろ」

 グスタフが冷たく言い捨てると、控えていた侍官が彼女を引きずるように連れ出し、血で汚れた床を何事も無かった様に片付ける。

「貴様は今一度チャンスを与える。兵を率い、ブランドル家へ向かえ。姫を連れ戻すまでは帰って来るな」

「はっ」

 最後のチャンスを与えられた隊長はグスタフに深々と頭を下げて執務室を後にした。

「何とかしなければ……何か策は有るはずだ」

 グスタフは落ち着きなく部屋の中を歩き回る。ゲオルグが皇都へ戻り次第、形ばかりの国主選定会議が開かれる。そして既に即位式と同時に婚礼をあげると公表し、礎の里からも高位の神官を招いている。

 しかも昨夜、一足先にフォルビアからウォルフが戻り、当初の予定通り今日の昼にゲオルグが帰って来ると報告があった。既に選定会議の招集もしており、もはや猶予は無い。

「仕方ない、あの2人を利用しよう」

 アルメリアには一刻も早く戻ってもらわねばならない。本当は使いたくない手だが、この際はやむを得ない。呼び鈴を鳴らして侍官を呼び出す。

「陛下とセシーリア妃をここへお連れしろ」

「は、はい」

 グスタフの命令に動揺しながらもその侍官は従う。あの2人を人質に取れば、あの小娘も戻って来るしかないだろう。民衆に悪い印象を与えかねないが、今は手段を選んでいる暇は無かった。

 彼は机に向かうと、大急ぎでペンを走らせ、脅迫まがいの手紙を書き上げる。内容が内容だけに個性のない文面になるのは仕方がない。手紙の封蝋をタランテラの国章で型押しして仕上げた。

 するとそこへ先程の侍官がノックも無しに執務室に飛び込んでくる。

「さ、宰相閣下! 大変です、陛下がおられません!」

「何?」

 病が悪化したアロンは部屋どころか寝台からも動けない状態のはずである。しかも住居となっている北棟はグスタフの私兵で警備を固め、不審な人物は近寄ることも出来ないはずだった。

「お付きの女官もセシーリア妃も姿がありません」

「な……警備兵は何をしていたのだ?」

「それが……彼等にも分からないと……」

 侍官の答えにグスタフは廊下を飛び出していた。そのまま北棟に向かうと、警備の兵士達が慌てふためいて国主の行方を捜していた。

「さ、宰相閣下」

 グスタフの姿を見て彼等は明らかに動揺する。そんな彼等も目に入らず、グスタフは真っ直ぐアロンの居室に向かう。

「どう言う事だ……」

 アロンの居室はもぬけの殻だった。いつもの様に暖炉に火はくべられ、寝台を使用した後は残っている。既に隠れられそうな場所は探したらしく、戸は全て開け放たれ、部屋は散乱しているのだが肝心の部屋の主の姿が無いのだ。

「今朝、朝食をお持ちした時にはおられたのです。ですが、先ほど開けて見たら……」

 今日の警備担当の兵士が床に這いつくばる様にして弁明するが、それは唖然とするグスタフの耳には届いていなかった。

「た……大変です!」

 そこへまた別の知らせが届く。

「飛竜の大編隊が皇都に向かっております! そ、その数は100騎を超え、中に……その、亡くなられたはずのエドワルド殿下がおられるとの情報が……」

「な……」

 届いた報告にグスタフは今度こそ言葉を失った。




 皇都は朝から浮足立っていた。いつからか今日の昼頃に大事件が起こると噂が広まっていたのだ。その噂を信じる者と信じない者は半々だったが、住民達はどこか落ち着かない様子で今日の日を迎えていた。

「何が起こるのかしら……」

「きっとデマだよ」

「何も起こらないんだったらこんな噂は広まらないわ」

 そこかしこでそんな会話が交わされていた。

「あれ……」

 広場にいた1人が南の空を指さした。つられて近くにいた人々も空を見上げてポカンとなる。

「飛竜があんなにたくさん……」

 ここ2カ月ほどは皇都の上空でも一度に何頭もの飛竜を見る事は稀であった。それなのに今、皇都を目指して飛んでくる飛竜の数は数十騎に及ぶだろう。それだけでは無かった。東からも北からも飛竜の群れが近づいている。

 噂を信じた者も信じていない者も、窓から身を乗り出したり、外に出たりしてその光景を眺める。

「あれはもしかして……」

 人々はやがて、南から来る一団の中にひときわ大きな飛竜の姿を見つける。この国において、その飛竜を知らない者はいない。住民達は期待の籠った熱い視線をその騎手に向ける。

 一行が騎手の姿までもがはっきり分かるまで皇都に近づくと、ひときわ大きな黒い飛竜の騎士は、住民達の期待に応えるかのように、被っていた騎竜帽を脱ぎ去った。

 酒屋のマルク一家も、小物店の女主のハンナも、ビルケ商会の隠居も、市場の一角で宝飾品店を営む店主も、子供も、大人も、年寄りも皆その姿を目にした。秋の陽光を受けてキラキラと輝くプラチナブロンドを持つ竜騎士の姿を。

「エ、エドワルド殿下だ!」

「生きておられた!」

 住民達から喝采が沸き起こる。そしてそれに応えるように彼は上げた右手を振り下ろした。

 エドワルドの合図に応え、そのスピードに定評のある飛竜が速度を上げて一気に本宮を目指す。中でも一際早い暗緑色の小柄の飛竜は本宮の上空から急降下する。

「あれは……」

「雷光の騎士だ!」

 住民達の興奮は最高潮に達していた。その熱気を総身に受け、竜騎士達は本宮を目指す。




「何故だ!何故だ!」

 報告を受け、一連の様子を北棟の上層から見ていたグスタフは怒りで手近にあった物を全て床に叩きつけていた。やがて、こんな事をしている場合ではないと我に返り、その場にいた私兵を引き連れて竜騎士達が降り立とうとしている着場に急いで向かった。


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