87 かけがえのない存在5

 会議が終わり、執務室に残ったのはヒースとアスターとクレスト、そして強行突入組となったリーガスとルーク、トーマスだった。キリアンは万が一に備えてマーデ村で待機しているので、この後リーガスが決定事項を彼に伝える事になっていた。

「大事な作戦だが、その前に彼等の力を借りていいか?」

「どうした?」

 何か思いつめた様子のアスターにヒースだけでなく他の竜騎士達も首をかしげる。

「大事な人を取り返しに行く」

「……」

 それで何となく事情を察したヒースが盛大な溜息をつき、何か言いかけたところで、執務室の扉がノックも無しにいきなり開いてバセットが入って来る。

「ヒース卿、今しがた殿下がとんでもない目に合っていると聞いたのじゃが……」

 彼はその先を言おうとしたところでアスターの姿が目に入り、驚きのあまり言葉が途切れる。

「爺さん、ノックぐらいしてくれ」

「アスター……あんた生きとったんじゃな……そうか、そうか……」

 ヒースの苦言も耳に入らない様子で、アスターの側に寄ると彼も実物かどうか確かめるように彼の肩を掴む。

「お主、目を……」

「命は助かりました。殿下の救出に役立ちたいと、戻ってきました」

「そうか……ちょっと見せて見ろ」

 医者として気になるのだろう。アスターは素直に従って眼帯を外した。

「……」

 曝された傷跡に一同は思わず息を飲む。バセットは難しい表情で傷跡を確かめるように指でたどり、その周辺を軽く押す。まだ場所によっては引き連れるような痛みがあり、アスターは思わず顔をしかめた。

「よぉ助かったのぉ……。奇跡じゃよ。まだ痛む様じゃが、他に変わった症状は有るか?」

「これの後遺症かどうかははっきりしないが、時折ひどい頭痛がします」

「ふむ……。詳しく検査をしてみんと何とも言えぬが、やはり影響を受けておるのじゃろう。薬は有るのか?」

「ええ。飲むと眠くなるのが難点ですが」

「それは致し方あるまい」

 一通り診て納得したのか、ようやくバセットがアスターから手を放す。やはり傷痕を人前に曝すのは抵抗があるのか、彼はホッとした表情で再び眼帯を付けた。

「で、その看病をしてくれた恩人は一緒ではないのか?」

「……取り返しに行く相談をする所でした」

「馬鹿者が。なぜそうなる前に阻止せなんだ?」

 互いの気持ちにとっくに気付いていた老医師は呆れた様子でアスターを叱り飛ばす。鬼の元副団長にここまで言える人物はなかなかいない。

「是非とも聞かせてもらおうか?」

 今まで黙って2人のやり取りを聞いていたヒースや他の竜騎士も興味津々といった様子で身を乗り出してくる。

「……今朝までそんな事になっているとは知らなかった。言い訳かもしれませんが、ルバーブ村を引き合いに出されれば、彼女は断る事も出来ません」

「確かにそうじゃの」

「ある程度回復してからは村から出て、村長が管理しているという山荘でファルクレインと療養していたので情報が私の元まで届かなかった。確かに……昨日彼女は会いに来てくれたのだが、うまく話を聞き出せなかったし、頭痛が襲ってきてそれどころじゃ……。今朝になってベルント……村長の弟で自警団のまとめ役をしている奴が知らせてくれたんです」

 自嘲気味に答えるアスターにバセットは盛大に溜息をつく。

「大方、また口論でもしたのじゃろう。全く……乙女心も分からん奴め」

 じゃあ爺さん、あんたは分かるのかと言い返す元気はアスターには無かった。がっくりとうなだれるその姿見て、一同は図星だと気付くが、リーガスもルークもトーマスもそこを指摘するほど命知らずでは無い。必死で口をつぐんだ。

「で、どうするつもりじゃ?」

「フォルビアへ向かう街道は一つだけです。村長殿が探っているので、向こうに戻る頃にはもっと詳しい情報が集まっていると思います」

「手伝います。彼女は仲間ですから」

「私もご一緒させてください」

 ルークとトーマスはすかさず名乗りでる。逆にマーデ村へ行かなければならないリーガスは残念そうにしている。

「お前達はそのまま向こうから突入してくれ。リーガスとキリアンは当初の予定通りマーデ村から城へ向かってくれ」

「分かった」

「了解です」

 話はまとまった。アスターは急いで準備を整えたルークとトーマス、そして事情を聞いたエルフレート達、船強奪組と共に総督府を後にすると、待機させていた2頭の飛竜と合流してあの山荘に向かったのだった。




 月が沈んでから夜が明けるまでの僅かな時間を利用してフォルビアとの境界を越えてリーガスがマーデ村に戻ってきたのは白々と夜が明け始めた頃だった。そんな彼を1人寂しく待っていたキリアンはホッとした表情で出迎えた。

 エドワルド奪還の行動を起こす事が決まり、危険を回避するために非戦闘員であるディアナ親子とオルティス、そして捕えたリューグナーはロベリアに移っていた。ルークがウォルフから届いた情報を持ってロベリアに飛んで行ってしまうと、その静けさに寂しくなり、相棒のロイドフェルスの側で夜を明かしたのだ。もっとも、ラグラスとゲオルグの所業を知り、一晩の間に数えきれないくらい悪態をついていたので、飛竜にしては迷惑以外何物でもなかったかもしれない。

 ただ、この日の昼頃にはフォルビアに潜入している騎馬兵団がここへ終結するので、逆にこの静けさが恋しくなるかもしれない。

「何? アスター卿が生きているのか?」

 キリアンは思わずリーガスの襟首をつかんで叫んだ。アスターが生存し、復帰したと聞いて信じられずにリーガスを締め上げていた。

「おまえ、苦しいぞ」

 リーガスは不快そうにキリアンの手を振りほどく。鍛えられた太い首は少々ではびくともしそうにないのだが、男に体を触れられて喜ぶ趣味は無い。一つ息を吐くと、キリアンに座る様に促して改めて会議の様子と作戦の内容を伝える。

「殿下はうまく屋外に出られますかね?」

「ウォルフとかいう奴の手腕に寄るだろう」

 正直、リーガスはまだウォルフの事を信用しきれていない。だが、現状では彼のもたらす情報が頼りなのも確かで、渋い表情を浮かべる。

「防御結界張るつもりですかね。しかし、大丈夫でしょうか?」

「あの方なら何とかするだろう。問題は怪我の程度だが……」

 肋骨が2本折れていると書かれていた。2ヶ月に及ぶ幽閉生活で体力も低下しているだろう。そんな状態で力を使っても長くは持たない。だが、その竜気で彼が生きてその場に存在し、ラグラスの言い分が虚言であることを城の周辺に集まった竜騎士達に知らしめることになる。だからこそ、多くの観客を集めろと指示されていたのだ。

「私は強行突入組ですか……。で、その先行部隊の他のメンバーはどうしたんですか?」

「アスター卿の手伝いだ。大事な人を取り返しに行くんだと」

「大事な人?」

 首をかしげるキリアンにリーガスはマリーリアが輿入れすることになってしまった経緯を話した。

「で、あの人は彼女を奪い返しに?」

「そうだ」

「くそ……今からじゃ無理か……」

 キリアンは歯ぎしりをしながら悔しがる。元々、トーマスとハンスと彼の3人で誰が残るか決めるくじ引きで負けたからだ。あの時勝っていれば、あのアスターがどんな顔して強奪した花嫁と対面するのか見物できたのだ。

「悔しいが、この憂さはフォルビア城突入で晴らすとしよう」

「そうだな。今までの恨みを込めてあの2人をボコボコにしてやる」

「遠慮はいらないが、殿下をお救いするのが先だぞ」

「分かってる」

 リーガスの指摘にキリアンは不敵な笑みを浮かべる。不遇をこうむったディアナ親子の恨みも込めて、少なくともラグラスには拳か蹴りの1つや2つをお見舞いしておきたいところだ。

「兵団が集まるまでまだ時間がある。少し休んでおこう」

 やれるべきことはやってある。後はその時が来るのを待つだけだった。リーガスとキリアンは兵団が集まるまで交代で休憩をとる事に決めた。



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