86 かけがえのない存在4

 普通ならば、飛竜の背中に乗る久しぶりの感覚に心躍るのだろうが、今のアスターには焦燥感しかなかった。ラグラスに嫁がされると聞いて初めて自覚したマリーリアへの気持ちが一層彼を駆りたてる。

 ファルクレインの後にカーマインがついてくる。聞くところによると近日中にワールウェイド城から迎えが来るらしく、このままだとマリーリアを助けられてもカーマインとは離れ離れになってしまう。あの山荘にただ残しておくのは不安だったのだ。ファルクレインの状態にも不安があり、彼がひどく体力を消耗する様子ならばカーマインに乗せてもらおうと考えたのだった。

「呼ぶまで待っていてくれ」

 ロベリアにいる飛竜が気付くか気付かないかギリギリのところでファルクレインから降りたアスターは、2頭の飛竜の頭を撫でて言い含めた。

 自分の生存が知られていない今、状況によってはその方が有利に働く場合もある。アスターはここから徒歩でロベリアに向かい、知っている秘密の通路で騎士団長の執務室へ入るつもりだった。そこにはおそらく親友のヒースがいる。彼から現在の状況を聞き出し、対策を練るつもりだった。

「ファルクレイン、カーマインを守るんだぞ」

 もう一度飛竜に言い含めると、ファルクレインは当然とばかりに一声吠えた。アスターは2頭の頭を撫でると、夕日を体に受けながらロベリアへの道を歩き始めた。

 夜が更けた頃、ようやくロベリアについた。閉門時間を過ぎており、街の門は固く閉ざされていた。だが、彼は慌てることなく街の北側へ移動する。5年間この地で暮らしたおかげで、この街にあるありとあらゆる抜け道を心得ていた。もっともそれは、赴任したばかりの頃にエドワルドが夜遊びしに抜け出すのを阻止する為に覚えたのだが……。まさか今になってこれが役に立つとは思わなかった。

 さして苦も無く街の中どころか総督府の敷地に入り込むと、建物と建物の隙間を縫うように進み、団長執務室を目指す。真っ暗な通路の先、明かりがわずかに漏れ、複数の人の気配がする。耳を澄ますとなかなか物騒な会話が聞こえてくる。

「もう、遠慮はいらないだろう。明日の夜、強行突入する」

「今からじゃないんですか?」

「殿下からのご指示だ。出来るだけ多くの者にその瞬間を目撃させ、言い逃れできなくするのが狙いだろう」

 ここまで話が進んでいるのなら、もうコソコソする必要もなさそうだった。音をたてないようにそっと出口となっている壁の一部を動かして部屋に入る。ちょうど壁に掛けられたタペストリーにさえぎられて、執務室に集まった一同には彼の姿がまだ見えていない。だが、風が室内に吹き込んでくるので、タペストリーがまくれる前に急いで壁を元に戻した。

「ウォルフの提案通り、あの船を奪いますか?」

「そうだな。元はと言えば皇家の所有する船だ。殿下が使うのに何の問題は無い。二手に分かれよう」

 ヒースの他に第3騎士団の面々が見える。アルメリア姫と死亡したと伝えられているエルフレートの姿もある。危険を冒してでもエドワルドを助けようとする彼等の熱い思いが嬉しくて、不謹慎だが笑いが止まらない。

「誰だ!」

「なかなか、物騒な計画を立てているじゃないか。私も混ぜてくれないか?」

 ヒースの誰何に姿を現すと、一同はポカンとして彼の顔を見つめる。死んだ事になっているし、見てくれが少し変わってしまったので直ぐに分からないのも無理はない。抑えていた竜気を緩めると、彼等は立ち上がってアスターを取り囲んだ。

「アスター!」

「アスター卿!」

「お前、生きて……」

 真っ先に来たヒースはアスターの顔を掴んで離さない。実物かどうか確かめているのか、集まった竜騎士全員にもみくちゃにされる。

「イテテ……痛い」

 手荒な洗礼にアスターが根をあげると、ようやく手が緩んだ。ホッとしたのも束の間、ヒースに力いっぱい抱きしめられる。

「く……苦しいぞ」

「黙れ。……本当に……よかった」

 ヒースの声が震えている。よく見ると、彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。彼だけではない。リーガスやクレストといった第3騎士団の中核を成す竜騎士達もみんな涙を浮かべている。特にルークは涙が止まらないらしく、袖でゴシゴシ拭いていた。

「身動きが取れなくて、そうするしかなかった。すまん」

「確かに……そうだな。だが、お前、目を……」

「左目だけで済んだ……と思う事にしている」

「そうか」

 改めて風貌が変わってしまった親友の顔を見て、ヒースが無念そうに呟く。だが、まだやるべきことが有るアスターは意外なほど割り切っている。

「ルーク、コイツを届けてくれてありがとう。助かった」

「いえ……」

 腰に差す2本の長剣のうち、ハルベルトから譲られたものを指してアスターが礼を言うと、ルークは泣き笑いの状態で顔をぐしゃぐしゃにしている。その彼の肩をポンポンと叩くと、彼はとうとう嗚咽を堪えきれなくなっていた。精神的に参ってしまうまで追い詰められ、抑え込んでいた感情が彼の姿を見て安堵し、一気に爆発したのだろう。

 興奮冷めやらぬ様子だったが、ヒースの指示で竜騎士達はアスターから離れる。そこでようやくアスターは少し離れたところで立ち尽くしているアルメリアの姿が目に入った。彼は彼女の側に寄ると、その場でひざまずいた。

「敵を欺くためとはいえ、姫様を始め皇家の方々にも偽っておりましたことを深くお詫び申し上げます。戦闘はまだ不安が残りますが、皇家の臣として再びお仕えする事をお許しください」

「……アスター卿、よく……よく、戻ってきて下さいました。許可など必要ありません。貴公がタランテラに仕える竜騎士である事は変わりありません。どうか……皆と共に……」

 アルメリアは感無量で言葉が続かなかった。横にいたユリウスがそっとその肩を抱いて支えた。

「かしこまりました」

 アスターは深々と頭を下げ、そして立ち上がると一同を見渡す。

「強行突入とか船を乗っ取るとか物騒な事を話しあっていたが、現状を説明してくれないか? 役に立ちたい」

「もちろんだ。一番華々しい所へ行ってもらう」

 ヒースは人の悪い笑みを浮かべると、自分の隣に座る様身振りで示す。改めて全員が席に着き、先ほどよりも熱気の籠った作戦会議が再開される。

「完全に復調してないんだ。お手柔らかにしてくれよ」

「お前なら大丈夫だ。殿下を迎えに行ってくれ」

 詳細を聞くまでもなく、強行突入組に入れられたようだ。

「……ありがたいが、ファルクレインもまだ本調子ではないぞ」

「それでもだ。殿下をお救いするのはお前とルークが適任だろう。先行してくれ」

 まだ目が赤いルークも神妙に頷く。そこから改めてヒースからアスターに現状を伝え、アスターはワールウェイド領に属しているが、ルバーブ村が味方してくれることを伝える。そして最後にルークがもたらしたウォルフの手紙をアスターに見せると、さすがの彼もラグラスやゲオルグの所業に思わず言葉を失う。

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、救いようのない馬鹿だな」

 ゲオルグが皇家の血を引いていない事を知っているアスターは言葉にも遠慮が無かった。そのはっきりとした物言いに一同は苦笑するしかない。

「その馬鹿が乗ってきた船をエルフレート卿とケビン、ゴルトに頼む」

「お任せください」

 回ってきた大役にエルフレートは神妙にうなずく。

「リーガスとキリアン、トーマスは必要とあれば代わりに動くつもりでアスターの指示を仰げ」

「分かりました」

 いずれも武術に長けた竜騎士を選んだのは、復調していないアスターに配慮しての事だろう。

「クレストとジーン、ユリウスは総督府で待機」

「な……私も……」

 参加する気満々だったユリウスは納得がいかず、身を乗り出す。

「お前は姫の護衛だ。賛同を得たとはいえ、まだ油断はできない。ジーンと共に姫のすぐ傍に控えてお守りしろ」

「しかし……」

「それに、今、お前を危険にさらす訳にはいかない。分かるな?」

「……」

 ヒースに言い含められ、ユリウスは項垂れる。以前、アルメリアの為にも自分の身を大事にしろとハルベルトに言われたのを思い出したのだ。

「他の者は私と共に、西砦から堂々とフォルビア城に向かう。きっと多くの観客が後をついて来て、その現場を目にするだろう」

 現在ラグラスは自分の身辺を自領から連れて来た兵士とグスタフから譲り受けた傭兵達に守らせている。フォルビアの竜騎士達は境界の警備に当たらせ、その多くがロベリアに接する砦に振り分けられていた。そこに駐留するほとんどの者がラグラスの言葉を鵜呑みにしている。

 フォルビアの騎士団が守る城壁を事前通告なしに通り過ぎれば、彼等も黙ってはいないはずである。そのままヒース達がフォルビア城へ向かえば、追ってきた彼等もその場に居合わせる事になる。

 後は事前に潜入させていた騎馬兵達と予測される援軍の配置を決め、レイドが探ってきた城下の警備情報とオルティスが提供した情報をもとに、城を制圧する手順を確認して一応作戦会議は終了となった。

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