19 苦難の旅路4
フロリエは懐かしい風景の中に立っていた。丸太作りの家々が立ち並び、それぞれの家に続く小道の脇には優しい香りのする小さな花が咲いている。そして村の向こうには山々が連なり、夏にもかかわらず雪が残る一際高い山が目に映る。
『クーズ山……』
知らずに山の名前を呟いていた。
『お帰りなさい、嬢様』
振り返れば年配の夫婦が笑いかけている。
『バトス……マルト……』
『お帰り』
白髪の威厳のある老人が目を細めて迎えてくれる。
『お祖父様……』
『なんだ、本当に来たのか?』
生意気な口調は弟のものだ。
『来たら迷惑だった?』
変わらない口調に安心して微笑みながら言い返すと、彼も笑いかえした。
『そんな事は無いさ。おかえり、フレア』
翌日は朝から雨が降っていた。夜明けと共に出発の予定だったが、相談の末にもう一日出発を延期する事にした。激しい雨ではないが、旅なれない彼等には相当な負担になるのは間違いない。焦る気持ちを抑えつつ、それぞれ仕事に精を出した。
ティムは休んでいるように勧められたが、寝ていても落ち着かないので薪割りや家畜の世話を手伝った。手先の器用なフロリエやオリガは縫い物や家事を手伝い、コリンシアも見様見まねで簡単なお手伝いをした。
夕方には雨は止み、明日は出発できそうだと話しながらフロリエとオリガが作業を続けていると、なんだか外が騒がしい。オリガが勝手口からそっと外を覗いてみると、役人らしい服装をした数人の男が取り次ごうとしている村人を押しのけて村長の家に向かって来るのが見えた。胸騒ぎを覚えた彼女は改めて役人の顔を良く見直してみると、中の1人に見覚えがあった。彼女の記憶ではラグラスの部下の1人で、グロリアの元へ彼の使いでよく来ていた。上司同様女好きで、オリガも良く体を触られそうになったので覚えている。彼女は急いでフロリエの元へ戻る。
「フロリエ様、コリンシア様と共にお隠れください。ラグラス卿の部下が来ました」
「え……」
オリガが青ざめる彼女とコリンシアを連れてどこへ身を隠そうか迷っていると、村長夫人が手招きして3人を呼ぶ。
「こちらへ」
こちらの事情を村人へはほとんど話していなかったが、それとなく気付いていたらしい。普段は物置代わりに使用している薄暗い部屋へ3人を招きいれてくれる。
「奥様?」
「しばらくの間、辛抱なさってくださいませ。」
そう言って微笑みかけると、静かに部屋から出て行った。同時に玄関の扉が荒々しく開けられ、数人の男達が村長の館へ入り込んできた。外がざわざわと騒がしいのは、村人達が遠巻きに様子を見ているからなのだろう。
「村長はおらぬか?」
彼等は横柄な態度で村長を呼び出す。
「この村の長は私でございますが、お役人様が一体何の御用でございますか?」
村長がゆっくりとした足取りで奥から歩いてくるのが分かる。3人は部屋の中で息を殺して様子をうかがう。おそらくティムもどこかでこの様子を伺っているはずだ。
「この度、新たなフォルビア家当主になられたラグラス公の言葉を伝える」
「!」
思わず3人は顔を見合す。
「先の女大公グロリア様を殺害した容疑でフロリエという女を捜索している。彼女は更に恐れ多くも夫君であるエドワルド殿下をも殺害し、ご息女であるコリンシア姫を拉致して逃亡中である。兵が追跡したが、リラ湖の北で船を奪って逃げたとの情報があり、沿岸を捜索している」
「……」
役人の信じられない言葉に思わず声がでそうになるが、3人は互いに口をふさぎ、更に暴れようとするルルーを必死で押さえつけた。
「左様でございますか、ご苦労様でございます」
村長は深々と頭を下げた。
「フロリエには共犯者の元侍女とその弟が同行している。3人を捕らえるか、有力な情報を提供した者には報奨金が与えられるだろう。
ラグラス公におかれてはお気の毒なコリンシア姫を一刻も早くお救いしたいと仰せになられ、皆の協力を仰ぐしだいである」
村人達は既に役人が言っているお尋ね者が自分たちであることに気付いているであろう。報奨金がかかっているのならこの場で彼らに引き渡されてもおかしくない。3人は絶望的な気持ちで互いに抱きしめあった。
「お役目ご苦労様です」
「ふむ」
「お上に従うのが我らの務め。今のところその様な者達の噂を聞きませんが、もし見かけましたら、直ちにご報告いたしましょう」
村長の言葉が3人には信じられなかった。
「頼むぞ」
村長の下手な物言いに大いに気をよくした役人達は満足したように表へ出て行く。おそらく同じことをふれて回る場所が他にもあるのだろう。そんな彼らに村長が土産と称してワインの入った皮袋を差し出すと、上機嫌で受け取り村を後にした。
フロリエもオリガも安堵のあまり全身の力が抜けてその場に座り込む。気付けばフロリエは左手で右手首の組み紐を強く握りしめていた。
「もう出られても大丈夫ですよ。さあ、こちらへ」
しばらくして村長夫人が3人を呼びに来た。彼女達が戸惑っていると、床に座り込んでいるフロリエの手を取って立たせて部屋の外へ連れ出し、館の居間へ連れて行く。
「フロリエ様、コリン様」
居間にはティムが待っていた。彼も少し戸惑ったような表情をしている。居間には彼のほかに村長も待っていた。
「こちらへお座りくださいませ」
夫人がフロリエとコリンシアに上座の席を勧める。2人が座ると村長の夫婦は揃ってその前に
「村長様?」
フロリエやコリンシアだけでなく、オリガやティムもその行動に驚く。
「一体……」
「
「奥様?」
あわててフロリエは腰を浮かせ、2人の前に膝をつく。
「どうぞお顔をお上げくださいませ、助けてくださった恩人にひれ伏されては身の置き場がございません」
突然の事にコリンシアも椅子から立ち上がり、2人に近寄ってくる。
「どうして謝っているの? お爺もお婆も悪い事してないよ?」
「コリン様の仰せの通りでございます。どうぞ、お立ち下さいませ」
コリンシアだけでなく、オリガにも言われ、2人はようやく頭を上げた。そしてオリガとティムが手を貸して2人を立たせて椅子に座らせると、フロリエとコリンシアも椅子に座り直した。ティムは扉の前に立ち、オリガは2人の側に立ってようやく話を始める体制が整った。
「私達をかくまって頂き、改めてお礼申し上げます。ですが、どうして彼らに私達のことを言わなかったのですか? 報奨金が出れば、村を豊かにする事も出来たでしょうに……」
フロリエが改めて2人に礼をいい、当惑した表情で疑問を投げかける。当然の疑問に村長の夫婦は互いに顔を見合すと、夫が静かに話し始めた。
「フロリエ様はこの村を救ってくださったからでございます」
「猪を倒したのはティムでございます。それに畑は……」
困ったようにフロリエが返すと、2人はゆっくりと首を振った。
「その一件だけではございません」
「私どもには娘がおります。彼女は先代の女大公グロリア様が隠棲しておられたお館の近くの村に嫁ぎ、私達と互いの様子を手紙でやりとりしておりました。」
フロリエもオリガも驚き、言葉が出ない。
「グロリア様がエドワルド殿下のお子をお育てしている事、女大公様がご病気を抱えておられた事、ご親族方の振る舞いに御心を痛められておられた事も存じております。そして、フロリエというお方が女大公様の話し相手として住んでおられることも……」
「目がご不自由にもかかわらず、グロリア様の名代で近隣に出向かれる事があり、娘もねんごろなお言葉を頂いた事がございます。お美しいだけでなく、お優しく慈愛に満ちたお姿は大母様の様だと娘は手紙に記しておりました」
過ぎた褒め言葉に、フロリエは気恥ずかしくなってくるが、オリガやティムは納得した表情で頷いている。彼女を信奉している彼等には村人達の気持ちが良く分かっていた。
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