18 苦難の旅路3
「う……」
ティムが目を覚ますと、寝心地のいい寝台に寝かせられていた。既に日が昇っていて、部屋の中には頑丈に作られた長持ちや小さな机が置かれている。こういった物から判断すると、地方の村でも比較的裕福な地主や村長といった人たちの住む家にいるらしい。彼はまだ痛む体をゆっくりと起こしてみると、衣服は清潔なものに取替えられている。
「あ、目を覚ましたのね」
静かに扉の開く音がして、戸口にオリガが立っていた。彼女もこざっぱりした木綿の衣服に身を包んでいた。
「姉さん……」
「どう、気分は?」
「まだ体が痛い」
オリガは隣の部屋へ一声かけると、寝台の側に来て体を起こしたティムの背中に枕をそっとあてがってくれる。彼はゆっくりとそれに体を預け、大きく息を吐いた。
「ティム!」
扉が開いてコリンシアが部屋へ駆け込んできた。彼女もこざっぱりとした服に着替えているが、簡素な服は彼女の高貴な髪の色とは合わず、違和感を覚える。
「コリン、騒がしくしてはだめですよ」
続けていい匂いがする皿を載せたお盆を手にしたフロリエが部屋に入ってきた。彼女も木綿の衣服に着替えており、肩にはいつもの様にルルーがとまっている。
「はーい。ごめんなさい」
コリンシアは反省の言葉を口にするが、気にする様子も無く寝台の縁に座ってティムの顔を覗き込んでくる。元気そうなその様子に彼は少しほっとする。
「さ、冷めないうちにどうぞ」
恐れ多くも女大公自ら食事の用意を整えてくれる。机の上にスープの入った器と薄焼きのパンを盛った皿が乗せられたお盆を置くと、まずはスープの入った器を手渡してくれる。そういった作業が出来るのは、ルルーの機嫌が安定している証だった。
「ありがとうございます」
ティムは感謝して受け取ると、添えられたさじでスープを口に運ぶ。細かく刻んだ野菜が入ったシンプルなスープだが、久しぶりに食べるまともな食事に涙が溢れるほどの感動を覚える。
「おいしい……」
その気持ちは他の3人も良く分かるようで、彼がスープを口に運ぶ様子をうなずきながら見ている。
「パンもおいしいよ」
コリンシアがそう口を挟むと、オリガがパンの皿を手渡してくれる。彼は感謝して受け取ると、パンをちぎってスープに浸して口に運ぶ。久しぶりに食べるパンは無性においしかった。
皿が空になってもまだ物足りないくらいだったが、ティムは満ち足りた気分で再び枕に背中を預けた。昨夜、猪に振り落とされて打ち付けた部分がまだ痛む。フロリエがその部分の薬を取り替えてくれる間、オリガは食器を片付け、落ち着いたところで昨夜の話をかいつまんで話してくれた。
猪と格闘する騒ぎは彼女達の耳に届き、慌ててコリンシアを起こしてその場に駆けつけた。彼女達が着いた時には既に猪は地面に倒れ、興奮したルルーがその猪の上で勝利の雄叫びを上げていたのだ。
無論、その騒ぎは村にも伝わっており、松明を手にした村人が何人もやってきた。その様子に驚く村人達にとにかく頭を下げてフロリエとオリガは騒がせた侘びをしたのだ。
「よく受け入れて頂けましたね」
夜遅い時間にあれだけの騒ぎを起こした上、畑を荒らしてしまったのだ。役人に突き出されてもおかしくない。
「ティム、貴方のおかげよ」
フロリエは微笑むと話を続ける。村人達の話によると、彼等はあの猪にずっと悩まされていたらしい。村の若い者は兵士として連れて行かれて退治することも出来ず、畑は荒らされ続けて今年は収穫を諦めていたところだった。
猪に刺さったままの小剣で、ティムがあの大きな猪を退治した事が分かり、村人達は逆に彼らに感謝し、村に受け入れてくれたという事だった。更にはコリンシアの髪の色で高貴な人物と理解したらしく、詳しいことは聞かずに一層手厚いもてなしをしてくれたらしい。今、彼等がいるのは、ティムの予想通りこの村の村長の家だった。
「焦る気持ちはありますが、ティムの体を治るのを待って、それからロベリアへ向かいましょう」
「はい」
フロリエの提案はオリガと相談して決めたのだろう。ティムにはすぐにでも旅立ちたい気持ちはあったが、体のほうが言う事を聞いてくれそうにも無い。促されるままに再び寝台に横になると、腹が満たされた事と屋根の下できちんとした寝台に横になれる安心感も重なり、彼はそのままうとうととし始めた。
このさまよっていた3日というもの、寸暇を惜しんで体を動かし続けた少年をゆっくりと休ませるために、女性陣はそっと部屋から出て行った。
オリガとフロリエは、ここにいる間ただ居候させてもらうつもりは無かった。この村の人たちのために自分たちに出来る事を少しでもお手伝いさせてもらう事で恩返ししようと決めていた。ティムの様子をコリンシアに見ていてもらい、2人は自分達に出来る仕事を探しに表へ出て行った。
若い上に鍛えていたこともあって、ティムはその日の夕方には起きて動きまわれるまで回復していた。改めて村長夫妻に泊めてもらった礼を言うと、周囲の心配をよそに、彼は旅立つための準備にかかりはじめた。
「もう少しゆっくり休んだらどうかね?」
村長は村を救ってくれた若い勇者にそう換言するが、彼は首を振って必要な荷物をまとめ始める。女性陣はこういったことには不慣れであったし、今は台所で夕食の支度を手伝っている。必然的にこれは彼の仕事となった。
「長居してもご迷惑になりますから。それに早く仲間と合流したいのです」
ティムはそう答えると、村人から提供してもらった
だいたい荷物の準備が整ったところで夕食の支度が整い、ティムはコリンシアに手を引かれて食卓に着いた。フロリエやコリンシアと同席するのは恐れ多いと思ったが、村長夫妻に勧められて固辞するのもかえって申し訳ない。用意された席に恐る恐る座った。
「さあ、たくさん召し上がってくださいな」
村長の奥方はそう言って若者に料理を取り分けてくれる。田舎風の野菜の煮込みや焼き魚、自家製らしいチーズ等、素朴な料理が並んでいる。そこへ焼きたてのパンも運ばれてきて、その匂いだけで食欲が掻き立てられる。
「ダナシア様のお恵みと村の方々のご好意に感謝して……」
フロリエが食前に小さな声で祈りの言葉を口にすると、コリンシアもそれに習う。そのほほえましい光景に村長夫妻は目を細めた。
聞けば彼等の娘は遠方に嫁ぎ、息子は先日兵士としてかり出されてしまい、今は夫婦2人で生活しているらしい。彼等は久しぶりの賑やかな食卓に嬉しそうで、孫のようだと特にコリンシアにあれこれと世話をやいてくれている。
始めは少し緊張したものの、久しぶりに家族団欒といった食卓を囲み、ティムはこころゆくまで料理を堪能したのだ。
「明朝、夜明けと共に出立しようと思います」
食後、旅の準備が整うと、フロリエは村長夫妻に礼の言葉と共にそうことわった。
「ティム殿はまだ体が治りきっておらぬのであろう? 無理せずにもう少し滞在した方が良いのでは?」
「そうじゃ。あなた方は恩人じゃ。気兼ねせずに滞在すれば良い」
夫妻はそう言って引き止めてくれるが、こちらも急ぐ事情がある。明日の出立は天気が崩れなければと条件をつけて夫妻には納得してもらったのだった。
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勝利の雄叫びって……ルルー、勝ったのは君じゃないでしょ?
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