10 悪夢の始まり3

「全く腹立たしい!」

 わびしい夕食の献立に腹を立ててカトリーヌ・ディ・ヘデラは声を荒げた。つい先日まではテーブルに山海の珍味を所狭しと並べ、それを極上のワインと共に頂くのが常であった。 

 しかし、グロリアの遺言でどこの誰かも分からぬ小娘にフォルビア大公の地位を奪われ、当然の報酬としてもらっていた金の返還を要求されていた。更には理不尽な裁定により慰謝料まで請求されたのだ。所有していた土地も豪邸も召し上げられ、使用人も大幅に減らされた。現在2人は息子のダドリーと共に田舎にある古びた別荘で、僅かな使用人に世話されて慎ましやな生活を強いられている。

 夫のヤーコブはグロリアの夫の妹の孫にあたり、カトリーヌはグロリアの夫の弟の孫にあたる。ラグラスもヘザーもカトリーヌの従姉弟だが、親族同士で結婚した自分達により当主となる権利があると信じて疑わなかったのにだ。

「おう、シケた面してるな」

 そこへ何の前触れなくラグラスが姿を現した。夫妻は突然の闖入者ちんにゅうしゃに不機嫌な視線を向ける。

「何の用だ?」

 ラグラスは図々しくも外出していて空いている息子の席に座るとテーブルに並んだ料理をつまみ、あろうことか酒まで要求してくる。

「そなたに飲ませる酒はないわ」

「相変わらずシケてんな」

 いつになくラグラスは上機嫌だった。エドワルドから厳しい請求が突きつけられ、自分達以上に追い詰められている状況だったはずなのにだ。自棄になって身包み剥がされる決意でもしたのか、気味が悪い位である。

「貴様に飯を食わせる余裕などない。用が無いなら帰れ」

「そう邪険にするなよ。いい情報があるぜ」

 そう言ってラグラスは懐から何かの書簡を取り出し、ヤーコブへ放り投げる。

「読んでみろ」

 促されて書簡を広げて目を通してみると、とある人物の訃報を伝える内容に驚愕して固まる。そんな夫の様子を訝しみ、カトリーヌは横から書簡を奪うようにして目を通す。

「……これは、真か?」

「事実らしいぜ」

 ラグラス自身もそうだったが、俄かには信じられないのだろう。その衝撃から立ち直らないうちにラグラスは2人を仲間に誘ってくる。

「手を組もうぜ」

「しかし、だからと言って我々に何の得が……」

 その事実がもたらす利点がまだ思い至らないのだろう。2人は戸惑った様子で答に躊躇ちゅうちょする。

「あったま悪ぃなぁ。ばばぁの遺言思い出してみろよ。今、あの3人に何かあったらどうなる?」

「それは……国の方に……」

 そう答えたところでようやく頭が働く。フォルビアが国に返還されたらもう望みは無いと思っていたが、その書簡の内容が本当であれば話は変わってくる。新たに自分達のうちの誰かが指名してもらえるかもしれないのだ。

「ようやくわかったみてぇだな。既に準備は進めている。おめぇらはどうする?」

「しかし……大丈夫なのか?」

 あの3人に何かを仕掛けるつもりなのだろうが、国内有数の竜騎士を相手にするとなると相当数の兵力が必要となる。

「その手駒も用意した。当主を俺に認めんなら乗せてやってもいいぜ」

 何やら策があるらしい。自信満々のラグラスに夫妻は顔を見合わせる。

「このまま、みじめったらしい生活を押し付けられるか、俺様に協力してうまい汁を吸うか今すぐ選べ」

 ラグラスを当主に据えるのはしゃくに触るが、それでも以前の様な優雅な生活に戻れるのであれば彼らに否応もなかった。

「分かった、その代り……」

「分かっているさ」

 ヤーコブの返答にラグラスはニヤリと笑った。




 サントリナ家の別荘から出て来た馬車の中で男は財布の中身を確かめていた。黄金色の輝きに自然と頬が緩む。

「ちょろいもんだ」

 男はそうつぶやくと財布を懐にしまった。彼はその薬の調合の確かさで一部の貴族から重用されている医者だった。現在はローグナーと名乗っているが、本名はリューグナー……横領など複数の罪で手配されているグロリアの元専属医だった。

 半年前に職を追われ、野垂れ死ぬところだったのをある人物の代理人という男に救われた。そして髭を蓄えるなどして印象を変え、この春から皇都に移り開業したのだ。

 最初は代理人が紹介した患者を診ていたが、その薬の効能は人づてで広まり、短期間で貴族からも指名を受けるまでになっていた。

 その筆頭がサントリナ大公婦人のソフィアで、今日も直々に以来があってその往診の帰りだった。もっとも痛めた足が回復した現在は、往診はついでとなっている。フォルビアに伝手がある事をほのめかしたところ、エドワルドの事を心配しての事だろうが、あちらの状況……正しくは新大公フロリエの人となりを知りたがったのだ。

 リューグナーにとって因縁のある相手である。代理人からも彼女の不安を煽れと命じられていたので、恨みも込めて悪い噂を選んで伝えていた。すると悪い噂を言えば言うほど彼女は情報料と称して報酬を上積みしてくれる。これに味を占めたリューグナーは精神安定剤と称して思考を鈍らせる薬も渡し、暗示にかける様にフロリエを悪女に仕立て上げていった。

「……おいっ、どこに向かっているんだ?」

 リューグナーは何気なく窓の外を見てギョッとする。いつも通る道を外れ、いつの間にか郊外の田舎道を走っていた。慌てて御者に声をかけるが、相手は無反応でそのまま馬車は進んでいく。やがて人家のない寂しい場所で馬車は止まった。


ガチャ


 馬車の扉が開く。リューグナーが身構えていると相変わらず黒ずくめの服装をした代理人が入ってきた。

「あ、あんたか……」

 安堵したリューグナーは浮かしかけた腰を座席に落ち着けた。

「潮時だ。このままフォルビアに行ってもらう」

「フォ、フォルビア?」

 驚きのあまりリューグナーは座席から転げ落ちる。彼の顔は皇都ではあまり知られていないので、髭を生やす程度の変装でごまかしがきいたが、顔なじみの多いフォルビアではそうはいかない。すぐにバレて捕われてしまうのは目に見えている。

 そしていくら自分が認めたくなくても、現在の当主は紛れもなくあのフロリエである。共同統治をしているエドワルドは、容赦なく自分を裁き、一切の手加減なく罰を与えるだろう。自分がやらかした事の重大さを理解しているだけに、命は助かるにしてもこの先老いるまで牢に入れられるのは間違いない。せっかく手に入れた自由と金蔓を失いたくなかった。

「サントリナ大公が気付いた。これ以上留まるとこちらの計画にも支障が出る」

「だが、フォルビアはマズイ……」

 これ以上皇都に留まれない理由は分かった。だったら他の場所を用意してほしいと切実に願うが、代理人はあっさりとそれを却下した。

「心配するな。あちらに着く頃にはけりは付いている。邪魔者は排除されて新たな大公が就任している手筈となっている。貴公はあちらで例の薬を作ってくれればいい」

「ほ……本当なのか?」

 邪魔者にはあのエドワルドも含むのだろう。切れ者の副官ももれなくついてくるはずなのだが、彼等をまとめて排除したのだろうか? それ以上の詮索は出来なかったが、援助をしてもらっている以上代理人の言葉には逆らえず、リューグナーはフォルビア行きに同意した。


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