117 宴の夜に5

 トロスト元副総督令嬢カサンドラは苛立っていた。今回の舞踏会は今まで以上に気合いを入れて着飾ったというのに、意中の人が少しも振り向いてくれないからだ。

 裕福な家に生まれた彼女は、蝶よ、花よと言われて育ち、物心ついたころには己の容姿に絶大な自信を持つようになっていた。そんな彼女は2年前、成人して初めて参加した舞踏会で運命の出会いを果たした。お相手はタランテラの皇子でロベリア総督のエドワルド。その麗しい姿に一目で恋したのだ。

 彼の妻に相応しいのはロベリア一……いや、タランテラ一美しい自分しかいない。そう確信していても、邪魔をしてくる輩はたくさんいる。ロベリア総督の地位を狙っている父親にも協力してもらい、邪魔者を次々と排除していった。

 最大の強敵はリリー・シラー。彼の大叔母グロリアの館への奉公が決まり、彼とお近付になれると自慢していたのを悔しい気持ちで聞いていた。だが、たった数ヶ月で奉公に向かいないと家に帰されたと聞き、内心ほくそ笑んだ。

 悔しがる彼女の相談に乗るふりをして、姫様を懐柔かいじゅうすれば殿下に振り向いてもらえるなどといい加減な助言をしたところ、リリーは本当に姫様を誘拐しようとして牢に入れられた。秋には彼が長く付き合っていた愛人と別れたという朗報まで飛び込んできて期待はふくらむ一方だった。

 夏に父の失態があって舞踏会への参加も危ぶまれたが、招待状が届いたのでその件はもう気にしなくていい証拠だ。意気揚々と会場に足を踏みいれたのだが、肝心の想い人は別の相手と踊り始めた。

「どういう事かしら」

「最初は仕方あるまい。ワールウェイド家の令嬢となれば殿下もそれなりに気を使うのだろう」

 父親の言葉に釈然としないながらも同意する。やがて曲は終わり、2曲目が流れ始め、慣例通りにエドワルドを支えるロベリアの重鎮達がそれぞれのパートナーと踊りだす。

 ワールウェイド家の令嬢を伴い、招待客に挨拶をしているエドワルドの姿を見つめながら、次こそはと期待に胸を膨らませる。そしてようやく2曲目が終わり、3曲目が始まろうとした時に新たな客が紹介される。

「フォルビア公グロリア様御息女、フロリエ・ディア・フォルビア様」

 その肩書に会場がざわめく。女大公に娘がいるとは皆初耳だったからだ。会場中が注目する中、つややかな黒髪を結い上げ、薄紅色の衣装をまとった女性はアスターに手を引かれて階段を下りてくる。ドレスも宝飾品も肩書に恥じない一級品を身に付けており、会場の女性達からため息が漏れていた。

 確かに造作は悪くないが、地味で大人しい印象を受ける。カサンドラは相手にもならないと鼻で笑おうとしたが、傍らにいた父親のつぶやきに危機感を覚える。

「あの女だ。昨夏、女大公のお供をしていた女だ」

 トロストにとって因縁のある相手である。あの時、彼女が大人しく彼の言う事を聞きさえすれば、彼等は不遇を被る事が無かったのだ。エドワルドの命で、怪我をさせたことを仕方なく謝罪したが、理不尽さはぬぐえない。

「どういう事ですの?」

「分からぬ」

 トロスト親子をのみならず、周囲の理解が追い付かないうちに3曲目が流れ始める。エドワルドはとろけるような笑顔でフロリエにダンスを申し込み、ゆったりと周囲に見せつける様に広間の中央へ歩みだす。そして2人は一礼をすると軽やかなステップを踏みはじめた。

「きっと、殿下はだまされていらっしゃるのよ」

 そう言って自分を納得させようとするが、ロベリアで最も格式の高い舞踏会で身分詐称はあり得ない。ならば、グロリアに頭が上がらないから、無理に付き合っているのだと思いたい。それはカサンドラのみならず、この会場にいた若い女性全員の願望だった。

 少しでもあらを探そうと彼女が踊る様子を凝視していたが、相手をしているエドワルドが完璧なリードをしているのでそれも見つからない。歯がゆい思いをしている間に曲は終わり、2人は優雅に礼をした。どうやらトロスト父娘以外の参加者は2人のダンスに完全に魅了されてしまったらしく、大きな拍手が沸き起こっていた。




「このままじゃ、あの女の思うつぼだわ」

 カサンドラは思い切って自分から行動しようと思い立ったのだが、4曲目は今までダンスをしたことが無かったアスターがマリーリアを誘って踊るという珍事にその機会を逃し、その後はまた3曲も続けてフロリエがエドワルドと踊ったのだ。

 曲が終われば今度こそと様子をうかがっていると、さすがに疲れたのか休憩を取るらしく給仕係から飲み物を受け取っていた。

 この好機を逃してはいけない。エドワルドに近寄ろうとするが、彼はフロリエの肩を抱いてバルコニーへと出て行ってしまう。ならばと後を追おうとするのだが、バルコニーに続く窓の前ではさりげない様子でアスターとマリーリアが立っている。うかつに近づくこともできなかった。

 歯がゆい思いで2人が出てくるのを待っていると、若い竜騎士がアスターに何かを報告している。不測の事態が起きたのなら、その場から離れてくれるだろう。期待していると、アスターとマリーリアもバルコニーに出て行ってしまい、結局カサンドラはその場で待つしかなかった。

 やがて4人が連れ立って広間に戻ってきた。驚いたことにフロリエは腕に小竜を抱いている。愛玩用の生き物をこの格式高い舞踏会に連れてくるなど言語道断の振る舞い。トロスト父娘はつけ入る隙を見つけてニヤリとする。

 だが、すぐに指摘しに行くのも体裁が悪い。しばらく様子を伺っていると、複数の人物がルルーの存在に気づき、ざわざわと陰で話を始める。おそらく話の内容は、見るからに愛玩用の生き物を持ち込んでいる事への不信感と嫌悪感。なかなか面と向かって言いに行かないのは、側にいるエドワルドに遠慮しているからだろう。

 頃合いを見計らってトロストが動く。カサンドラも慎ましくその後に続いた。

「エドワルド殿下、一つ苦言を申し上げてよろしいか?」

「いかが致しましたかな?トロスト殿」

 ある程度予見していたのか、トロストが話しかけてもエドワルドはにこやかに応対する。その整った顔立ちにカサンドラは思わず見惚れそうになるが、今は不届き物の糾弾が先である。気持ちを奮い立たせ、厚顔無恥な相手を見据えた。

「このような場に何故あのような小動物を持ち込まれておられるかお聞きしたい」

 トロストはフロリエの腕の中で怯えたようにしているルルーを指差す。

「ただの愛玩用では無いのですよ、トロスト殿。彼には重要な役割がございます」

「ほお。それは是非ともご当人の口からお伺いしとうございますな」

 エドワルドの隣で立ちすくんでいる様子のフロリエを彼はジロリと睨む。彼女は不安そうにしながらも上品にその場で腰をかがめた。

「皆様にはご不快な思いをさせて申し訳ございません。この小竜は私の目の代わりをしてくれているのでございます」

「目の代わり?」

 答えの意味が分からずに、トロストは首をかしげる。

「やはりこの子を連れてここに留まるのは無理がございます。これ以上ご迷惑をおかけする前に退出させて頂こうかと思います」

 フロリエがエドワルドに申し出るのを聞いてカサンドラはほくそ笑む。これで邪魔者は消える。

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