72 未来への決断2

 エドワルドがコリンシアの病をきっかけにグロリアの館に住むようになって半月ほど経った頃にはコリンシアの熱も下がり、体中に浮き出ていた紅斑も薄くなった物が幾つか残るだけとなっていた。これらもあと数日で完全に消えてなくなるだろう。

「さっぱりした」

 コリンシアは乾いた布に包まって、フロリエとオリガに髪や体を拭いてもらっている。ここ数日、元気が出てきたコリンシアは、ずっとリューグナーにお風呂の許可をねだっていて、それが今日、やっとかなったのだった。

「髪はしっかり乾かさないと、またお熱が出ますよ」

 フロリエは手探りでコリンシアのふわふわの髪を拭いている。

「ルルー、フロリエさんが困るから出ていらっしゃい」

 今日は秋にしては肌寒く、湯殿で入浴すると湯冷めの恐れがあったので、部屋に簡易の浴槽を持ち込んでの入浴となった。一緒に入ったルルーもお風呂が楽しいらしく、まだ湯の中で遊んでいる。オリガが手を差し出すが、まだ遊んでいたい小竜はバシャバシャとお湯を散らしながら逃げていく。

「さあ、拭きましょう。あ、どこ行くの?」

 ずぶ濡れのルルーはオリガの手から逃げ出す。そこへ部屋の扉を叩く音がして外出着姿のエドワルドが入ってきた。

「あっ、殿下! すみません」

 逃げ出したルルーはそのままエドワルドの頭にとまってしまい、彼の髪も濡れてしまう。オリガが慌てて乾いた布を持って近寄ると、エドワルドは頭からルルーの首元を掴んでむしりとる。

「お前なぁ」

 エドワルドがルルーを睨むと、反省したのか小竜はシュンとして目をそらす。そのままオリガにルルーを渡すと着替えている娘の側に近寄る。

「すみません、殿下。どうぞお使いください」

 状況を理解したフロリエは慌てて乾いた布を差し出す。

「少し濡れただけだ」

 エドワルドはフロリエから布を受け取り、濡れた髪を拭きながら娘の側に座る。

「久しぶりにお風呂に入れてよかったな」

「うん。凄く気持ちよかった」

 コリンシアは自分で寝巻に袖を通しながら答える。まだ昼なのだが、完治していないし湯冷めしないようにまた横になっておかなければならない。寝台の上掛けもシーツも既に取り換えられており、後は髪を乾かすのみである。

「父様、お出かけするの?」

 エドワルドの服装を見て、コリンシアが少し寂しそうに尋ねる。

「ああ。仕事をしてくる。今夜は無理だが、明日には帰ってくる。フロリエや皆の言うことをきいて、大人しくしていなさい」

「はい」

 フロリエはコリンシアが寒くないように綿の入ったガウンを着せ掛け、再び髪を丁寧に拭きはじめる。昨日から冷たい風が吹き付けており、今から飛竜に乗るエドワルドも急いで髪を乾かす。真冬の極寒の最中に討伐に出る事に比べれば何ともないが、今から風邪をひいていたのではシャレにもならない。

「さ、そろそろ横になりましょうね」

 オリガに体を拭いてもらったルルーがいつも通りフロリエの肩にとまると、彼女は手際よく手を動かして姫君の髪を乾かしていく。最後にきちんと髪を梳いて軽く束ねると、フロリエはコリンシアを寝台に促した。

「まだ眠くない」

「それでは、フロリエがお話を致しましょう」

「うん、聞きたい」

 フロリエの申し出にコリンシアは喜んで寝台に横になる。彼女が綿入りのガウンを肩にかけたまま枕を背にあてて寄りかかると、フロリエが温かな上掛けをかける。そして寝台の脇に置いてある椅子に腰かけ、コリンシアの手を握りながら話し始める。

 オリガはコリンシアが脱いだ寝巻や入浴に使用した布といった汚れ物を纏めて籠に片付け、静かに部屋を退出していく。エドワルドは暖炉の側で2人の様子を見守る。

「ダナシア様のお話はどこまでしたかしら?」

「始祖の竜騎士に力をお授けになったところ」

「そうでしたね。

 全ての母なるダナシア様が始祖の竜騎士に力をお授け下さって、人の子は妖魔を討伐できるようになりました。おかげで人の子は数を増やし、大陸の各地に住む場所を広げていったのです。

 けれども、他の神々はダナシア様が勝手に人の子に力を与え、更には一身に尊敬を集めていることが許せませんでした。

 怒った神々は、秩序を乱したという理由でダナシア様を高い、高い山の上に閉じ込めてしまいます」

「ダナシア様かわいそう」

 コリンシアがポツリと言う。

 そこへ扉を叩く音がしてオルティスが入ってくる。入浴が済んだことをオリガが知らせたのか、後ろから使用人達が続いて速やかに簡易の浴槽を片付け、それを置くために移動した家具を元の位置に戻して退出していく。

「殿下、飛竜のお支度が整ってございます」

「そうか。」

 エドワルドは髪を拭くのに使った布をオルティスに預け、戸口に向かう。

「見送りはいい。フロリエは話の続きをしてやってくれ」

 立ち上がりかけたフロリエを手で制する。

「かしこまりました。お気を付けて」

「父様、いってらっしゃい」

 寝台の中から手を振る娘に彼も手を振り返し、オルティスを従えてコリンシアの部屋を後にする。

 いつものように居間にいるグロリアに出かける旨を伝え、玄関でオルティスから外套を受け取って表に出る。今日は雲が多く、風も強い事から肌寒く感じる。

 外には装具を整えた2頭の飛竜が待っており、エアリアルの側には先に部屋を出たオリガがルークに手を取られて話をしている。エドワルドがこちらに住むようになり、頻繁に会える事もあって2人の交際は順調に進んでいるようだ。エドワルドの姿に気づくと、2人は慌てて手を離し、オリガは頭を下げると飛竜の側から離れる。

「邪魔して悪かったな」

「い、いえ……」

 バツが悪そうに顔を赤らめるルークは、それをごまかすように騎竜帽を目深にかぶって外套の襟元をしっかりととめる。エドワルドは苦笑しながらも彼に習い、外套の前をしっかりと合わせて騎竜帽をかぶった。

「では、行こうか?」

「はい」

 2人は互いのパートナーに軽く挨拶をしてその背に跨り、見送りに出ているオルティスとオリガに手を上げる。そして騎手の合図を受けた2頭の飛竜は軽く助走して空に飛び立った。

 雲の流れるスピードは速い。今夜はおそらく雨が降る。そうすればまた一層肌寒さが増すだろう。

 妖魔が現れるまであと僅か。エドワルドはある決心を胸にロベリアへと向かっていた。

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