66 嵐の前2

 翌日は夜明けから全員そろっての訓練が始まった。軽く体をほぐした後は、基礎体力作りの遠駆けから始まり、100回単位の腹筋と腕立て等を彼らは黙々とこなしていく。他団で鍛えてきたトーマスは問題なく、ハンスとマリーリアもここまではなんとかついてくる。

「ここまでは問題なしか……。思ったよりやるな、彼女は」

 朝の訓練に珍しく出ているエドワルドが隣にいるアスターに小声で話しかける。

「これで音を上げるようでは勤まりませんよ」

 アスターはマリーリアを軽く一瞥すると、特に驚いた様子もなく答える。エドワルドもアスターも他の団員同様に汗だくだが、まだまだ余力がある。

「よし、少し休憩。水分補給忘れるなよ」

 一区切りしたところでアスターが休憩を告げる。まだまだ余力がある者も、地面で力尽きていた者も体を起こして水を飲みに行く。

「午後からは使いに行かせてみるか」

「グロリア様の所ですか?」

「ああ」

「マリーリア卿だけですか?」

「3人共だ。いずれ行くこともあるだろうから、早めに顔を覚えてもらった方がいいだろう」

「そうですね。ルークを同行させます」

「そうしてくれ」

 グロリアの館とは切っても切れない仲である。ロベリア内の砦同様に使いに出る頻度が高い場所でもあるので、彼女に挨拶するのは第3騎士団に配属されたばかりの竜騎士達の通過儀礼となっていた。ちなみに帰りは、それぞれが自分のペースで飛ぶ事を許されており、個々の力量を計る目安にしていた。

 あの3人が桁違いのスピードを持つルークにどれだけ迫れるか? 口に出して言わないが、エドワルドもアスターもその結果を楽しみにしていた。

「この後朝議がある。ちょっと手合せしてくれ」

 総督としての仕事も抱えるエドワルドにとって、訓練に参加できる時間は貴重だった。空いた時間でする1人での鍛錬も怠りはしないが、やはり相手がいないと出来ない事もある。エドワルドとアスターは手早く水分補給すると、長剣を手に構える。

「お、始まる」

 リーガスが呟くと、全員が上司2人に注目する。

「3本勝負。いいな?」

「はい」

 2人は呼吸を整えると、刃を交える。アスターの素早い攻撃に対し、エドワルドはどっしりと構えてゆるぎなくその攻撃を受け流す。やがてエドワルドが隙を見て鋭く繰り出した一撃でアスターは長剣を叩き落とされていた。

 マリーリアは自分があれだけ挑んで敵わなかったアスターが、エドワルドにあっさり負けてしまった事が信じられなかった。

「参りました」

 アスターが負けを認めると一旦休憩し、2人は汗を拭うと再び長剣を手にして構える。呼吸を整えると再びアスターから仕掛ける。アスターは縦横無尽に攻撃を繰り出し、エドワルドは防戦一方に追い込まれる。僅かな隙に乗じて攻撃を仕掛けるが、素早く体制を立て直したエドワルドに反撃されて長剣を叩き落とされていた。

「くっ…参りました」

「手を痛めたか?」

 手をさすっているアスターを気にしてエドワルドは声をかける。

「いえ、大丈夫です。少し痺れた程度です」

「終わるか?」

「もう1本お願いします」

「わかった」

 2人は汗を拭い、水を補給して息を整えると、また長剣を手にして構える。長引けば自分が不利になるのは分かっているアスターは、己に気合を入れてエドワルドに挑む。変幻自在に技を繰り出し、再びエドワルドを追い詰める。


ガキン


 鈍い金属音がして、エドワルドの手から剣が落ちる。アスターの渾身の一撃はどうやら一矢報いる事が出来たようだ。

「参った」

 エドワルドが両手を上げて降参する。2人は礼をして試合を終えた。息を殺して見物していた他の団員達もようやく大きく息を吐いた。

「すごい……」

 ハンスもトーマスも初めて目の当たりにした、上司2人の真剣勝負に思わず力が入ったらしい。トーマスは皇都の練武場で行われたアスターとヒースの試合を見ていたが、今の試合は間近と言う事もあって伝わる気迫が違っていた。武に秀でる彼には十分な刺激となったようだ。

「殿下、朝議の時間が迫っております。お支度をお願いいたします」

 手合せを終えたエドワルドとアスターが一息入れていると、文官の1人がエドワルドを呼びに来た。今朝の朝議は昨日の誘拐事件が主な議題となる。席を外す訳にはいかなかった。

「分かった、すぐ行く。アスター、後は任せる」

「はっ」

 エドワルドは飲みかけていた水を飲み干すと、乾いた布で汗を拭きながら文官と共に建物の中に入っていった。残された他の団員達はアスターの指揮の下、ハードな武術訓練が続けられ、入ったばかりの3人は初日から厳しい洗礼を受けたのだった。




 軽い昼食の後、ルークはアスターに呼び出された。他の団員達は近隣の町や村へ自警団の訓練に出かけており、ルークも出かけようとした折に呼び止められたのだ。

 砦以外に正規の兵団を配備するにも限りがあり、駐留できない町や村では若者達を募って自警団を組織していた。火災や犯罪と言った非常時の対応だけでなく、妖魔襲来時には騎士団到着までの間時間稼ぎをする役目もあった。彼らは妖魔を霧散させるほどの力は無いが、武器に香油を塗り込めることによって十分な戦力になり得る。雪が降るまでの間に方々の町や村に立ち寄り、自警団を鍛え、対妖魔の防御設備を見て回るのも竜騎士の仕事に含まれていた。

 ルークが副団長室に行くと、入隊したばかりの3人も呼ばれて待っていた。

「早速だが、彼等を連れてこれをグロリア様の館まで届けてくれ」

 アスターは果物が入った籠と数通の書簡をルークに渡す。書簡はグロリア宛だけでなく、フロリエやコリンシアに宛てたものもある。籠の果物から想像すると、フロリエ宛てはどうやらエドワルドからの見舞いの内容なのだろう。以前に足を痛めた時にも同様の使いを良く頼まれた記憶があった。

「わかりました」

「マリーリア卿は警護としてそのままあちらに一泊するように。明日はジーン卿が交代する」

「……はい」

 マリーリアは不本意らしく、返答に少し間があった。

「帰りは3人とも自分のペースで帰って来い。夕飯前の打ち合わせには間に合せるように」

「はい」

 声を揃えて返答すると、彼らは副団長室を後にして飛竜達が待つ着場に向かった。係りによって既に装具は整えられ、一泊するマリーリアの飛竜カーマインには着替えと思しき荷物も括りつけられていた。

 ルークは預かった籠を布で覆い、エアリアルの装具に付けてある特殊な金具を使ってそれを固定した。

「さ、行こうか」

 準備が整うと、4騎の飛竜は次々に空へ飛び立った。ルークを先頭にそのすぐ後ろにはマリーリアとハンスが並び、しんがりはトーマスが勤めるという一般的な隊列を組む。

「今日は1人じゃないから我慢してくれ」

 エアリアルが山越えの気流に乗りたくてうずうずしているが、行きは他の3人と一緒に飛ばなければならない。おそらく3人にはまだ無理だろうから、今日は無理な山越えの無い一般的な経路を使うことになっている。申し訳ないが飛竜には我慢してもらうしかない。慰めるように首筋を叩いた。

「1人だと違う経路を飛ぶのですか?」

 すかさずハンスが尋ねて来るが、どうせ帰りには分かってしまうのだけれどルークは明確には答えなかった。彼はまだルークの弟子になる事を諦めてはいないらしい。

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