61 踏みにじられた温情1

 祝いの席の数日後、エドワルドはルークを伴いグロリアの館を訪れていた。いつもなら元気よく出迎えてくれる姫君がいないのは、フロリエやオリガと共に近くの小神殿へ慰問に出かけているからだ。フォルビア所属の竜騎士を護衛に付けて昼頃に送り出したので、もう戻ってくる頃合いだった。

「その後の様子は如何ですか?」

 オルティスに差し出されたお茶を飲みながら、どうしても聞いておきたいことを切り出す。

 先日の祝いの席の翌日にグロリアは代理人をしている親族を呼び出して、エドワルドの調査結果を突き付けていた。エドワルドは同席したが、コリンシアには聞かせたくなくてフロリエやオリガと共にロベリア見物に行かせていたのだ。

「とりあえず大人しく従っておるの」

「しばらく様子を見る必要はありますね」

「そうじゃの」

 あらゆる証拠を突きつけられ、彼らは渋々ながら非を認めた。その権限をグロリアに返上し、着服した金を返納する旨の覚書が作られ、エドワルドが証人となって署名した。そして親族達は来春まで謹慎となり、後任にはエドワルドが推薦した文官が付く事となった。

「何から何まで世話になった」

「出来る事をしたまでです。礼には及びません」

 エドワルドは頭を下げようとするグロリアを制し、照れくささをごまかすようにお茶を口にする。

 しばらくの間、2人は無言でお茶を飲んでいたが、バタバタと慌ただしい足音が廊下から聞こえてくる。フロリエとコリンシアが帰ってくる頃合いなのだが、それにしても騒々しい。

「何事じゃ?」

「た、大変です!」

 血相をかえてルークが居間に飛び込んでくる。腕には意識がないらしいオリガを抱きかかえ、その後ろからはワタワタと暴れるルルーを掴んだティムが続く。

「ルーク?」

「姫様とフロリエさんがさらわれました!」

「何だと?」

 心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けたエドワルドは、手にした茶器を床に落とした。

「オリガを部屋へ……。いや、客間に休ませるのじゃ」

 エドワルドが凍り付いている間に、グロリアは意識の無いオリガを抱いたままのルークに的確な指示を与え、彼はすぐに2階に駆け上がっていく。それに習ったオルティスもすぐに使用人を呼び出して細かい指示を与えていく。

 ほどなくして恋人を休ませたルークが戻ってきたところでようやく事の経緯が説明される。

「ルーク兄さんに誘われて馬で迎えに行ったんですが、神殿に着くと既に帰ったと言われました。ただ、侍女が1人、具合が悪くなって休んでいると言われ、案内された客間には姉さんが休まされていました」

「いくらゆすっても起きないし、不審に思って神殿の関係者に話を聞いたところ、慰問の後応接間で休憩中に具合が悪くなったと……。

 フロリエさんは遅くなるからと言って、彼女を神官達に託して姫様を連れて先にお帰りになったそうです」

 ティムとルークの報告にグロリアもエドワルドも眉をひそめる。2人が知るフロリエの性格からすると、その行動に違和感を覚えたからだ。それはルークもティムも同じだったらしい。

「神殿に向かう途中に大公家の馬車ともすれ違わなかったし、どうにも納得できなかったので神官を始め神殿にいた人に片端から話を聞きました。その言伝はフロリエさんが直接言ったのではなく、侍女からの伝言だったそうです」

「今日付き添ったのはオリガだけだった筈じゃが?」

 グロリアは首を傾げる。

「下働きの1人から聞いた話ですが、お館の元侍女だと言う女性が彼女達を訪ねて来たそうです。フロリエさんは帰る時、その侍女と護衛に支えられて馬車に乗り込んだと聞いています。姫様もお休みになっていたらしく、別の護衛に抱き上げられていたそうです。後から気づいたのですが、神殿の敷地を出たところでこいつが麻袋に入れられて放置されていました」

 ルークがティムに掴まれてワタワタと暴れているルルーを指さす。その小竜に頼っている生活をしているフロリエからすれば、それこそあり得ない事だった。エドワルドは言いようのない怒りが沸々と沸き起こってくる。

「そいつを貸せ」

「はい」

 ティムはっその要求に素直に応じ、怒りに震えるエドワルドにルルーを差し出した。

「ルルー、覚えている限りの記憶を寄越せ」

 無造作に小竜を受け取ると、その顔を覗き込んだ。小竜は目を白黒させながらも、彼の要求に応じる。しかし、はっきりと見えてくるのは椅子に力なく座っているフロリエ達の姿と、袋の中らしい心像のみだった。後の肝心な場所はおぼろげで、結局は大して役に立っていない。

「使えん」

 ようやく解放された小竜はヨタヨタといった風情でソファに着地しようとしたが、そこはグロリアの膝の上だった。彼女は目を回しているルルーを落ち着かせようと優しく撫でる。

「小神殿の神官長にこの事を伝え、フォルビア騎士団へ連絡を頼みました。殿下にいち早くお知らせしようと思い、俺達は戻ってきました」

 報告を終えたルークにエドワルドは迷うことなく指示を出す。

「ルーク、大至急ロベリアに戻ってアスターに事の次第を知らせろ。向こうではアイツの指示に従え」

「はい!」

 ルークはすぐに外へと駆け出し、ティムもオルティスに呼ばれて部屋を出ていく。本当は自分も駆け出していきたい衝動に駆られたが、1人で飛び出すのは得策ではない。エドワルドはソファに座り直すと、腕組みをして考えをめぐらす。

 この時間になっても帰ってこない上に神殿まで往復してきたルーク達が見かけていない事からして2人が連れ去られたのは間違いない。それはいったい何者か? ここを解雇させた侍女が絡んでいるのは疑いようもないが、彼女達だけで行われた犯行だとは到底思えない。

 裏で協力したのは副総督を解任したトロストか、不正を暴き立てたフォルビアの親族達か、心当たりが次々出てくる。自分の不始末に巻き込んでしまった2人に申し訳なくなると同時に自分が情けなくなってくる。

 1人で悶々としていると、やがて慌ただしい足音が近づいてくる。オルティスに案内されて居間に姿を現したのは、フォルビア騎士団に所属する竜騎士で、この地域を任されている隊長だった。今日の外出についていた護衛2人と御者を務めた男は、彼の部下から選出されていた。

「で、殿下、この度は本当に申し訳なく……」

 土下座しそうな勢いの彼の顔は蒼白だった。エドワルドは片手を上げて彼を制し、謝罪の言葉を遮った。

「謝罪は後だ。攫われた2人の行方を追うのが先だ」

「は、はい」

「一先ず、2人の救出までは私が指揮を執る。異存はないな?」

「もちろんでございます」

 隊長に異論があるはずも無く、一も二もなく同意する。そして彼が持参した周囲の地図を元に、エドワルドは必要な指示を与える。既に検問の設置は完了しており、その外苑から徐々に範囲を狭めて捜索に当たる事となった。

 フォルビア~ロベリア間の最短記録を更新したルークやロベリアでの調査をクレストに一任したアスターが率いる第3騎士団の団員達も加わって大々的な捜索が行われた結果、先ずは大公家の紋章入りの馬車が見つかった。

 馬は放されて姿が見えなかったが、中には薬を盛られて眠らされた護衛の2人と御者が縛り上げられて放り込まれていた。駆けつけた上司によって手荒に叩き起こされた3人は、現状を把握して蒼白となっていた。あわてて捜索に加わると言ったが、薬の副作用が顕著に表れており、休養という名の謹慎がその場で言い渡された。

 そして日が沈んで辺りが暗くなった頃になってようやく待ちわびた報告が館にもたらされた。

「お2人の居場所が分かりました!」

「本当か?」

 知らせをもってきたのはルークだった。エドワルドの前に広げられた地図でその位置を指し示すと、馬車を発見した場所とは反対側の森の奥にある猟師小屋だと分かった。エドワルドは腰を浮かせる。今は数名の竜騎士が見張っており、突入するのに十分な兵力が集まるまでに状況の把握に努めているらしい。

「2人がいるのは確実なのか?」

「はい。エアリアルだけでなく、ファルクレインもジーンクレイもお2人の気配を感じ取っています。ただ、意識が無いらしく、その気配は微弱ですが」

「!」

 エドワルドは立ち上がると迷わず戸口に向かう。その姿を目で追っていたグロリアが眉をしかめて咎める。

「どこへ行くのじゃ?」

「2人を助けに行きます」

 きっぱりと言い切ると、エドワルドはルークを従えて居間を出ていく。その姿を見送ると、グロリアは膝に乗ったままのルルーの背中を撫でながら呟く。

「本気じゃの」

 優しいご主人様の手が恋しくて、ルルーは切なげに一声鳴いた。


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