25 空虚な時間
コリンシアがエドワルドに連れられて皇都に旅立って3日経った。子供がいないとこんなに静かなのかと驚くほど、館の中はシーンと静まりかえっている。
「……お茶をご用意しましょうか?」
一階の居間。グロリアがいつもの席に座り、日課にしている
「そうですね。オリガ、お茶にしましょう」
遠慮がちなオリガの提案にフロリエもうなずき、グロリアも同意すると手紙の束を脇にどけ、疲れた目をほぐすように目頭を押さえている。いつもであれば、外遊びから帰ったコリンシアがおやつの催促をしてくる時刻である。手洗いにうがい、そして衣服が汚れていれば着替えさせる。いつもこの時刻はあわただしいのだが、それをしなくていいから楽なはずなのになぜか物足りない。静かなのを喜んでいたのは最初の1日だけだったかもしれない。
「かしこまりました」
オリガは慣れた手つきで手早くお茶の用意を整える。香り高い茜色の液体を満たした茶器を先ずはグロリアに差し出し、続いてフロリエの前に置く。決められた場所に決められた向きで置かれた茶器を優雅な手つきで手に取る姿は、フロリエの目が見えていないことを失念してしまう。お茶を口に含むと豊かな香りが口の中に広がり、彼女は笑みを浮かべる。
「コリン様は大丈夫でしょうか?」
「実の親が一緒なのじゃ。心配はいらぬ」
そう言うグロリアも書類の整理がはかどっていない様子。さっさと仕事を脇に片づけた彼女はフロリエのレース編みの出来具合を目を細めて眺めている。目が見えないので手探りでもわかる単純な意匠になるが、それでもその出来栄えは見事なものだった。
「女大公様、急ぎの書簡が届いてございます」
そこへ磨き上げた銀の盆に封書を乗せたオルティスがやってきて、恭しく頭を下げる。
「急ぎ?」
「ロイス神官長からでございます」
「ふむ」
オルティスは封を開けて中身をグロリアに差し出す。彼女はそれを受け取ると、素早くそれに目を通す。
「フロリエ」
「はい」
急に名前を呼ばれ、フロリエは首をかしげる。
「明後日、フォルビア正神殿に参る。供をしてくれぬか?」
「私がですか?」
「そうじゃ。今ならコリンも居らぬゆえ、そなたが館を開けても支障は無いであろう?」
グロリアの言葉にフロリエは困惑する。自分のようなものが出向いても大丈夫なのだろうか…と。
「難しく考えておるな? 神官長のロイスは妾の旧知の間柄。気遣いは無用じゃ。そなたの事を相談したところ、会いたいと言って来たのじゃ。そなたの身元に繋がる情報が得られるやもしれぬ」
「私の?」
グロリアだけでなく、エドワルドも皇都で情報を集めてくれている。2人の心遣いにフロリエは恐れ多いと思う半面、その優しさにとても感謝した。
「着て行くものを選ばねば」
持病のあるグロリアは外出を極力控えていた。久しぶりの外出ともなると心躍るものなのだろう。早速、侍女頭を呼んで何やら細かく指示を与えている。
「神殿を訪れるのですから、やはり公の場にふさわしい服装をなさった方がよろしいのでは?」
「じゃが、あまり格式張る服装は
「女大公様のお成りというだけで人目を引きます。場をわきまえぬと噂が立てば、後々お辛い思いをされましょう」
フロリエは2人の会話を聞き流しながら、茶器をテーブルに戻してレース編みを再開する。やはり女大公という身分ともなると、服装一つ気を使うのね……とフロリエは心の中で思う。
「先日仕立てたものから相応しいと思うものを何着か持って来ておくれ」
「かしこまりました」
侍女頭はグロリアに一礼し、フロリエの傍に控えていたオリガに声をかける。
「オリガ、あなたも手伝って下さい」
「はい、ただ今……」
2人は一礼をして居間を退出していく。フロリエはオリガもかり出されるとは余程の事だと思いながら手を動かしてレースを編み上げていく。
やがて、オルティスと男の使用人が呼ばれ、居間の調度品を少し動かして広い空間を作る。そして侍女が総がかりで何着もの衣装と小物類を運び込み、窓のカーテンを締め切って男性陣は外へと追いやられた。
「女大公様、準備が整ってございます」
「ふむ。さて、始めようか。フロリエや、お立ちなさい」
グロリアが服を選ぶのに自分がいては邪魔なのだろうと思い、フロリエは素直に従った。立ったところで侍女頭に手をとられる。
「さあ、こちらへ」
「え?」
居間の中央に移動したところで服を脱がされる。これから衣装選びが始まるのはフロリエの方だった。
「え、あの……」
「さあ、始めましょう」
上機嫌な侍女頭の声にフロリエは戸惑う。彼女の後ろに控えているらしい侍女たちの熱いまなざしをも感じる。どうやら先日、仕立屋を招いてのフロリエの衣装選びは彼女達にとってちょうど良い娯楽になった模様。今日はこれから明日のフロリエ外出着を決めるという大義名分の下、また彼女で着せ替えをして楽しむつもりらしい。
見えない彼女はまだ気づいていないが、運び込まれた服の中には先日エドワルドから贈られたものの他にグロリアが新たに注文した衣装が何着か混ざっている。流行の最先端の数々に、最近入ったばかりの侍女達は目を丸くし、古参の侍女たちはうっとりと眺めている。
「ふぅ……」
どうやっても逃げられそうにはない。フロリエはため息をついた。
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