26 飛竜レース1

 その日は夜明け前から、本宮前広場に飛竜レースのスタートを見ようと、多くの人が集まっていた。広場の周りには特設の観覧席が設けられ、すでに見物人でほぼ満席となっている。一方で城の一角を利用して設けられた皇家や5大公家の為の貴賓席はまだ空席が目立つ。

 その様子をスタートとなる城の西棟からルークは眺めていた。今日の彼は簡素な騎士服を着、白い布で作ったたすきをかけている。今日のレースは出来るだけ身軽な方がいいので、出場する竜騎士は皆、この出で立ちをしている。ルークはシャツの内側に縫い付けた小さなお守りにもう一度触れる。館を出立する直前、オリガが彼に手渡してくれた包みの中にあったものだ。

『怪我だけはなさりませんように』

 そう短い文面の手紙が添えられていた。彼女の気持ちが嬉しく、帰ったら絶対お礼を言って、できれば告白してしまおうと考えていた。彼女の事を思うと、少しだけ緊張がほぐれた。

 彼の他にも今日のレースに参加する竜騎士が相棒の飛竜と共にその時を待っている。今年参加するのは各騎士団から選ばれた若手の精鋭10名。彼らは出発前の激励に来ている先輩達と幾度となく装具の確認をし、飛竜の状態を確かめる。上位入賞者3名には今夜開かれる国主主催の晩餐会に出席し、直々に褒賞が与えられるので、自然と力も入る。かく言うルークも今朝はもう10回も装具の見直しをしていた。




「……奴には負けるな」

 刺さるような視線と共にそんな会話が聞こえてくる。装具を点検するふりをして見てみると、理不尽に見習いを7年間もさせられた、古巣の騎士団にいた先輩が若い竜騎士とこちらをにらんでいた。平民出身というだけで行われたいじめや暴行は公にはなっていないが、エドワルドとアスターが秘密裏に動いて関わった竜騎士達は全員処分を受けていた。こちらを睨んでいる先輩も積極的にかかわったわけではなかったが、それでも何かしら処分を受けた口だろう。恨まれているだろうとは思っていたが、目の当たりにすると気が滅入ってくる。ルークは気持ちを落ち着けるためにもう一度お守りに手を触れた。

 急にその場がざわつく。振り向くと、彼の上司が姿を現し、自分に向かって真っすぐに歩いてくる。現在、タランテラ皇国内に於いて最強の竜騎士とうたわれるエドワルドは、若手の竜騎士達にとってあこがれの存在だった。目の当たりにしたその存在感に彼らはあわてて膝をつこうとするが、エドワルドは笑って手を振りそれを止めさせた。さすがにあの先輩もエドワルドの前では神妙にしている。そして一同の視線を一身に受けながらエドワルドはルークの傍まで来ると、わざわざ自ら激励に来た団長に頭を下げる彼の肩にポンと手を置く。

「どうだ、調子は?」

「エアリアルは万全です」

 明かり取りに各所で松明が焚かれている。その明かりを受けて高貴なプラチナブロンドの髪はルークの目には眩しく感じる。

「お前自身は?」

「緊張で今にも心臓が逃げ出しそうです」

 ルークの答えに彼の上司は苦笑する。人懐っこいエアリアルは相手の身分になど頓着せず、エドワルドにも甘えたように頭をすり寄せる。心得ている寛大な上司は飛竜の頭をなでた。エアリアルは気持ち良さそうに喉を鳴らしている。

「確かに順位も大事だが、無事に帰って来い」

「はい」

 日の出が近いことを知らせる太鼓が響く。

 観客席に歓声が沸き起こり、貴賓席に国主代行のハルベルトが姿を現した。彼は片手を上げて歓声に応え、自分の席に腰を下ろした。

 スタートが間近となり、選手以外は着場から離れなければならない。

「ではな」

 エドワルドはルークに片手を上げて挨拶すると、他団の先輩竜騎士同様に飛竜の着場から離れた。エドワルドのおかげで心の中のモヤモヤは全て吹き飛んでいた。

 やがて地平線の向こうに太陽が顔を出し始める。日の出を知らせる鐘が鳴り響き、10頭の飛竜はパートナーを乗せて一斉に飛び立った。




 飛竜レースは日の出と共にスタートする。近隣にある5つの神殿を回り、竜騎士が襷にした白い布に、それぞれの神殿に預けられた竜力の象徴の印章を押してもらって帰ってくる速さを競う競技だ。神殿を回る順番は自由で、本宮前広場の中央に設置された鐘を鳴らせば帰着となる。近隣を回ると言っても範囲は案外広く、先頭の竜騎士が帰ってくるのは大抵昼頃だった。

 着場のある西棟から国の中枢が集まる城の南棟…本宮にエドワルドは移動し、そこの2階テラスに設置された貴賓席に足を向ける。

「おはようございます、兄上」

「おはよう、エドワルド。お前もここで見るか?」

「昼までですか? 遠慮しておきますよ。コリンがまだ部屋で寝ていますから」

 見届け役のハルベルトは、レースに参加した竜騎士が全員戻るまでここに座って待たなければならない。エドワルドはうんざりした様子で肩をすくめる。

「1人にしてきたのか?」

 また泣き出すのではないかとハルベルトは心配する。

「大丈夫ですよ、昨夜も来ましたから」

「ああ、なるほど。昨夜はコリンを押し付けて逃げたのか?」

「……」

 エドワルドは苦笑している。彼が寝不足気味の顔をしているのは、朝が早かっただけでないことにハルベルトはすぐに気付いた。エドワルドは昨夜の女官にコリンシアの添い寝を頼み、自分はまた居間のソファで体を休めた。前日の女官と違い、積極的な彼女はコリンシアが眠るとすぐに迫ってこようとするので、神経が休まらなかった。疲労の度合いは前日をはるかに上回っている。

「一度部屋に戻ります。彼らが帰着する頃にコリンを連れてまた来ます」

 エドワルドはそう言って兄に頭を下げ、自分の部屋に戻っていった。ハルベルトは1人寂しくその場で時間をつぶすことになる。




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この話を書き始めた当初は、エドワルドの部下その1といった程度でルークの名前を決めていた。それがいつの間にかこんなに活躍するようになっていた。ちなみに彼は21歳という設定。

通常、竜騎士の見習い期間は早くて3年、長くても5年程度。その間に竜騎士として必要な武術と教養を身に付ける事になっています。彼がいかに理不尽な扱いを受けていたかわかります。

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