16 華の皇都1
北の国も初夏を迎え、花が咲き乱れる季節となった。夏至を間近に控えたこの日、コリンシアは朝からそわそわしていた。
「まだかなぁ」
グロリアの館の2階にある自分の部屋のバルコニーに出て、コリンシアは先ほどから空を見上げている。病気療養中の国主の見舞いと、数日後に行われる夏至祭に参加するため、皇都に向かうことになっている彼女をもうそろそろエドワルドが迎えに来る時刻である。それで飛竜の姿が見えないか、先ほどからずっと空を見上げていた。
皇都に行くのは初めてではないが、今まではコリンシアの体力を配慮して主な移動手段は船だった。今回は初めて飛竜での長旅となる。それが嬉しくて、何日も前から待ちきれない様子でうきうきしていた。
「上ばかりご覧になっていますと、首が痛くなりますよ」
部屋の中からフロリエが声をかけるが、それでも姫君はまだ空を眺めている。よほど待ちきれないのだろう。フロリエは苦笑しながらもオリガにもう一度服装の確認をしてもらう。
この館で世話になり始めた当初から、着る物は侍女達と同じお仕着せでいいとフロリエは言っていたのだが、それはグロリアによって却下されていた。その為、折衷案として彼女のお古を頂いたのだが、それでも大公家の当主が着るものだけあって最高級の素材が使われている。目が見えないので地味でも気にはならないし、着心地は本当に良かった。
だが、エドワルドはそれも気に入らなかったらしい。そして約束通り、あのピクニックの翌日には館に仕立屋をよこしてくれた。とりあえず着るものとして、その仕立屋が持参した既製品から普段着用を数着選び、腕に覚えのある侍女がサイズ直しを引き受けてくれた。その他にもドレスをいくつかあつらえる事になり、戸惑う彼女は細かいところまで採寸されて出来上がりの希望を細かく質問された。彼女には特に希望は無かったのだが、代わりにグロリアが一番熱心に注文を付けていたかもしれない。
出来上がってきたものは本当に素晴らしいものばかりだった。仮縫いの時も、完成して納品された時も、自分のものではないのに館の侍女たちは総出で試着を手伝い、うっとりとその出来栄えを鑑賞していた。両日とも竜騎士のジーンが館に来て、彼女の小竜を貸してくれたので試着した自分の姿を見る事が出来た。しかし、見慣れないせいか自分の顔にも違和感を覚えてしまった。
フロリエは今日、その時仕立てた浅黄色のドレスをまとっていた。裾の方に細かい花模様の刺しゅうが
「見えた!」
コリンシアの弾んだ声と共に当人がバルコニーから駆け込んでくる。既に準備を整え、外出着姿の彼女はそのまま飛び出して行こうとする。
「お待ちくださいませ、お帽子をお忘れですよ」
フロリエが声をかけると、コリンシアはあわてて引き返して帽子を被らせてもらう。そして仲良く手をつないで2人は階下へと向かい、いつも通りその後ろにはオリガが従う。コリンシアの荷物は既にオルティスの指示で使用人達が運んでくれていた。
玄関を出るとちょうど5頭の飛竜が玄関先に着地したところだった。広くゆったりとしたつくりになっていたはずだが、さすがに飛竜が5頭並んでいると狭く感じる。
「父様おはよう!」
コリンシアは真直ぐ父親に駆け寄っていく。
「おぉ。コリン。おはよう」
グランシアードから降りたエドワルドが娘を抱き上げると、姫君は父親の頬にキスをして朝の挨拶を終える。
「おはようございます、姫様」
今日のお供はいつも通りアスターとルークにリーガスとジーンが加わっている。
ルークは夏至祭の目玉の一つ、飛竜レースに出る事になっていた。若手の竜騎士の育成が目的で、2年に1回開かれている。アスターも8年前にファルクレインと共に出たことがあったが、その時は
もう一つの目玉は各騎士団の威信をかけた武術試合。それぞれの騎士団から選ばれた猛者が出場するこの試合にはリーガスが出る事になっている。ちなみにジーンは恋人の雄姿を観戦する為について来たのではなく、道中のコリンシアの世話をするためだった。
コリンシアの荷物をオルティスから預かり、第3騎士団の期待の若手はリーガスと手分けして飛竜に固定していた。
「おはようございます、殿下、皆様」
オリガに手を引かれ、少し遅れてフロリエが姿を現す。流行の衣服に身を包んだ彼女の姿を始めて見る男性陣は目を丸くして絶句する。ルークは驚きのあまり、せっかく固定したベルトが緩んでしまって荷物を落としそうになり、思わず見惚れたリーガスは恋人のジーンに足を踏まれ、一見平静を装っていたアスターは何をしようとしていたか忘れてしまった。気を利かせたティムが飛竜達に水を汲んできたのを見て、ようやくティムにそれを頼もうとしていたことを思い出したのだった。
「おはよう、フロリエ。これはまた……良くお似合いだ」
エドワルドは眩しそうに眼を細める。先日の地味な服装の時よりも彼女はずっと美しく見える。
「ありがとうございます」
フロリエはつつましく頭を下げて礼を言う。
「フロリエも一緒だったらもっといいのに」
父親の腕の中でコリンシアが口をとがらす。
「無理をおっしゃってはいけません、コリン様。遊びに行かれるのではないのですから…。
ご病気のお爺様にお見舞申し上げるだけでなく、皇家の一員として公式の行事に出席されるのです。コリン様ならご立派にお勤めを果たせます。戻られましたら、皇都の華やかな様子などを教えてくださいませ。」
すかさずフロリエが言い含めるようにして
「さあ、おばば様にご挨拶して出かけようか?」
「はーい」
娘を腕に抱いたままエドワルドは玄関に向かうが、そこへグロリアが自ら外に出てきた。
「おはよう、エドワルド」
「これは叔母上、おはようございます」
「おはようございます」
エドワルドが挨拶すると、他の4人はあわててその場にひざまずく。
「道中気を付けて行ってきなさい。
リーガス卿、ルーク卿、己に恥じる事の無い試合をして参れ。結果報告を楽しみにしております」
「は、はい、ありがとうございます」
直接声を掛けられて緊張し、特にルークの返答は声が震えていた。
「コリンや、初めての公務となるが、このばばやフロリエの教えを忘れずに務めを果たすのですよ」
「はい、おばば様」
コリンシアの返答にグロリアは満足そうにうなずく。
「エドワルド、これはハルベルトに渡しておくれ」
オルティスが盆に捧げ持ってきた封書をとると、グロリアはそれをエドワルドに渡す。宛名は明記されていないが、上質の封筒はグロリアのイニシャルをかたどった封蝋で閉じられていた。
「かしこまりました」
「それから、こちらはアロン陛下に。見舞いの文じゃ、直接渡しておくれ」
グロリアはもう一通の手紙を取り出す。こちらには宛名にアロン・ハラルド・ディ・タランテイル様とあり、裏にはグロリア・テレーゼ・ディア・フォルビアとある。こちらは金箔をあしらったさらに上質な封筒が使われ、封蝋の型押しはフォルビア家の紋章が使われている。公式文書に匹敵する格式の高さだった。
「お預かりします」
エドワルドはコリンシアを降ろすと、一礼をしてから2通の封書を両手で受け取った。そして丁寧に自分の懐に納める。
「よろしく頼みますよ」
満足したのか、グロリアはそう言ってスタスタと館の中へ戻って行ってしまう。一行を見送るつもりはないらしい。
「では、そろそろ行くか?」
「はっ」
まだカチカチに固まっている部下に声をかけると、彼らもようやく立ち上がって装具の最終チェックを行う。そんな中、オリガは意を決したようにルークに近寄ると、小さな包みを差し出す。
「あの…飛竜レース、頑張ってください」
「俺に?」
「はい……」
「あ、ありがとう」
ルークは短く礼を言って受け取ると、それをすぐに懐へ納めた。じっくり中を確かめている暇はない。軽くオリガに頭を下げてエアリアルに
「行ってくる」
コリンシアを自分の体の前に乗せ、見送りに出ているフロリエとオルティス、オリガとティムに声をかける。
「どうぞ、お気をつけて」
フロリエがそういうと、他の3人も頭を下げる。エドワルドは頷き返し、まずはグランシアードが飛び立つと残りの4騎も次々と飛び立った。
「行ってきまーす!」
初夏の青空にコリンシアの元気な声が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます