3 不可解な遭難者3

 翌朝、親子で仲良く朝食をとっていると、侍女の一人が昨夜の女性が目を覚ましたと知らせに来た。エドワルドは衣服を改めると、早速女性の部屋へと足を向けた。コリンシアもついて来たがったが、連れて行くと落ち着いて話が出来そうにないので、知らせに来た侍女に預けて部屋で待つように言い含めておいた。

「おはよう、お嬢さん。気分はいかがですか?」

 部屋に入ると、女性は枕を背に当てて半身を起していた。エドワルドが努めて明るく声をかけると、彼女はビクリとして脅えたように振り向く。

 エメラルドのような緑の瞳が印象的で、まだ顔色は青白いものの整った顔立ちをしている。そして前日に助けた時にはもつれてしまっていた長い黒髪は、昨夜のうちに侍女達が丁寧にいたおかげで元のつややかさを取り戻し、肩から背中へと流れ落ちている。

「私はロベリア州総督、エドワルド・クラウス。ご家族の方が心配しておられると思う。貴女を保護している事を伝えておくから、お名前とお住まいを教えていただけますか?」

 エドワルドは寝台の脇にある椅子に腰かけると、自ら名乗った。だが、彼女はどこかうつろで、脅えたように虚空を見つめる。

「名…前…?」

「そう、教えていただけますか?」

 エドワルドは奇妙な違和感を覚えながらもう一度尋ねてみる。彼女はまだ気分が悪いのか、両手で頭を抱えて苦しそうにしている。

「わから……ない……」

「お嬢さん?」

「怖い……」

 彼女は頭を抱えたままわなわなと震えはじめる。

「おいっ、どうした?」

 エドワルドは彼女の華奢きゃしゃな肩をつかんで自分に向けさせる。彼女は自分を見ているのだが、視線はどこか宙をさまよっている。もしやと思い、エドワルドは手を女性の目の前にかざして振ってみるが、反応がない。

「そなた、見えてないのか?」

 そこへ騒ぎを聞きつけた侍女の一人がやってくる。すかさず彼は鋭く命じる。

「リューグナーをすぐに呼べ」

「は……はい、ただ今……」

 狼狽ろうばいしながら侍女はすぐに部屋を出ていき、入れ替わりに不機嫌そうなグロリアがやってきた。

「朝から一体何の騒ぎですか?」

 グロリアは脅える女性の肩をつかんでいるエドワルドの姿を見て、眉間にしわを寄せる。

「エドワルド、そなたよこしまな事を考えたのではないでしょうね?」

「ち……違いますよ。名前を聞いたら苦しみだしたのです」

 グロリアに何を疑われたか気付き、エドワルドはあわてて否定して彼女から手を放した。彼女は頭を抱えてうずくまり、さらに脅えて震えている。確かにそう受け取られかねない状況である。

「そなたは席を外しなさい。リューグナーもすぐに来るでしょうし、妾が代わりに話を聞こう」

「わかりました」

 確かに女性の寝所に男の自分がいつまでもいるべきでないと思い、エドワルドは後を大叔母と医者に任せる事にした。部屋を出ると、ちょうどリューグナーが医薬品の入ったカバンを抱えてやってきた。

「すまないが、頼む」

 エドワルドが声をかけると、リューグナー医師は無言で頭を下げて部屋に入っていった。

「どうしたものか……」

 部屋の外で思案していると、フォルビア家の家令オルティスがエドワルドを呼びに来た。

「殿下、アスター卿がお越しでございます」

「アスターが?わかった、すぐに行く」

 昨日の探索の報告に来たのだろうと思い、エドワルドはオルティスを従えて館の1階にある居間に向かう。すると中から子供のはしゃいだ声が聞こえてくる。もしかして……と思い、部屋に入ってみると、背の高い、栗色の髪をした若い男の腕にコリンシアがぶら下がって遊んでいた。

「コリン、部屋で待っていなさいと言っただろう?」

「だって……退屈なんだもん」

 一応、父親らしく注意するが、姫君はあまりこたえていないようで、アスターの腕にまだぶら下がって遊んでいる。

「すまないな、アスター」

「かまいませんよ、殿下」

 アスターは笑いながら答えると、姫君を肩に乗せる。彼女はいつもより高くなった目線に喜び、今度は彼の栗色の髪をかき回し始めた。それでも彼は止めさせようとはせずに平然としている。子供の扱いはエドワルドよりもずいぶん慣れているようだ。

 その間にオルティスが2人に暖かいお茶を用意してくれたので、エドワルドはソファに座ると早速それに口をつける。朝食がコリンシアと一緒だったため、彼は落ち着いて食事が出来ず、食べた気がしなかったのだ。

「あの後、付近を暗くなるまで探索しましたが、他に妖魔を見かけませんでした。ついでに近くの村にも寄ってみたのですが、行方不明になっている女性はいませんでした。探索が不十分だったと思いますので、今日も引き続きリーガスとケビンが昨日の付近を探索しています。ルークにも合流するように指示し、先ほど出て行きました」

 姫君にずっと頭をかき回されながらアスターは淡々と報告する。その平常心に半ば感嘆しながらエドワルドは2杯目のお茶を口にする。

「わかった。何か手がかりが見付かるといいのだが……」

「あの女性はまだ目を覚まさないのですか?」

 浮かない表情の上司にアスターが尋ねる。

「いや。目を覚ましたから話を聞きに行ったのだが、どうも様子がおかしい」

「おかしいといいますと?」

「目が見えていないらしい。おまけに名前を聞いてもわからないと言うし……」

「え?」

 さすがに肝の据わった副官でも驚いたらしく、言葉に詰まる。

「昨夜のリューグナーの診察で、頭を打った痕があると言っていた。もしかしたら記憶を失っているのかもしれない。今はリューグナーが診てくれている。私では抵抗があるかもしれないからと、叔母上が話を聞いて下さることになった」

「一時的に混乱しているならばいいですが、そうでないと困った事になりますね」

「ああ」

 深刻な状況なのだが5歳の子供にわかるはずも無く、肩の上が飽きたコリンシアはアスターから降りると、今度はソファに座る父親にダイブしてくる。狙いが少しずれて彼女の膝がエドワルドの鳩尾みぞおちに入る。いくら子供の膝でも不意に入ると相当きつく、彼はうめいて腹を抱える。

「うっ……」

「殿下、大丈夫ですか?」

 アスターがあわててコリンシアを止めようとするが、姫君は父親がふざけていると思い、ソファに倒れこんだ彼にきゃあきゃあ言ってのしかかる。

「やめなさい、コリンシア!」

 いつの間にか、戸口にグロリアが立っている。眉間にしわを寄せた彼女の後ろにはリューグナーも控えていた。

「病人が臥せっているのですよ。静かにしなさい」

 父親にのしかかったままのコリンシアは叱られて頬をふくらます。

「だってぇ……」

「だってではありません。そなたは皇家の直系、いずれはこの国の中枢に関わり、民衆を導かねばならない身です。もっと分別を身につけねばなりません」

 グロリアの厳しい言葉にコリンシアは口をとがらせる。そこでようやく父親のエドワルドが体を起こし、自分にのしかかったままの娘を床に立たせる。そしてその顔を覗き込んで口を開く。

「何がいけなかったかわかるかな?」

 コリンシアは渋々ながらうなずいた。

「こんな時はどうするのかな?」

「……ごめんなさい……」

 小さな声で娘が謝ると、甘い父親はそれで許して抱きしめる。グロリアはあきらめたようにため息をつき、いつもの席に座った。そして相変わらず無表情なリューグナーがその脇に控える。

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