第9話「示されたもの」
カーテン越しに淡い朝日が差し込み始める。朝日が静かな室内を照らしだし、少しずつ明かりで満たされていく。
気が付くと、朝を迎えていた。
いつ眠ったのだろう。あれからどれ位時間がたったのだろう。時間を忘れ、リディアは夜を明かしていた。
眠った気がしない。気が付いたら、朝になっていた。
淡く疲労感を感じる。眠っておかなければならないのに、心に疼く焦りの気持ちが、眠る時間を惜しいと感じさせる。
けれど、寝る間を惜しんだところで、できる事は無い。
寝る事も無く、できる事も無く、ただただ時間が過ぎ、朝を迎える。
だんだんと日が昇り、窓から差し込む上りが強くなっていく。
(起きなければ……)
日が昇れば、一日の生活が始まる。日々の生活が変わる事は無い。
人が死んだとしても、社会は変わることなく回り続ける。人の死などなかったかのように、普段通りの光景を回し続ける。
身体を起こし、動き始める。回り続ける社会の流れに従うために、生活を始める。
そっと、閉じたカーテンを開き、窓から外を眺める。
青空に一つの小さな影が、浮かんでいた。
飛竜だ。翼を広げ、悠々と飛んで行く。
ふと、白い騎竜の姿がその姿に重なる。
一度、首を振り浮かんだものを振り払う。あの白竜の姿は、もうここには無いのだ。あれは恐らく、竜騎学舎の生徒の騎竜の姿だろう。
季節は夏から秋に移ろい始め、先日長期休暇が終わりを告げ、授業が再開されていた。
竜騎学舎の生徒であるリディアは、本来なら竜騎学舎に居なければならない。だが、今、リディアが居るのは、竜騎学舎の寮ではなく王宮だ。今もまだ、父親であるアレックスの命で、王宮に居る。
私は、何をやっているのだろうか?
そんな焦る気持ちが、心に疼く。
自分は竜騎士に成る事を望んでいたのに、自分は今、王宮で足踏みしている。その事が、もどかしかった。
『竜殺し』。倒すべき敵が、王国に牙を向く、王国の敵が居るはずなのに、倒さねばならない敵がいるはずなのに、自分は此処で動けずにいる。それが、とてつもなくもどかしかった。
「私は……何をやっているのだろう……」
疼く心の内が、口からこぼれる。
コンコンとノックが鳴り響き、扉の向こうから使用人の声が響く。
「リディア様。起きておられますか?」
「起きています。何か用ですか?」
「アレックス様がお呼びです。直ぐに来るようにとのことです」
「分かりました。直ぐ向かいます。下がってください」
「はい、畏まりました」
扉の向こうから足音が響き、使用人が立ち去って行くのを感じる。
一日が始まる。微かに疼く様に焦りを抱えたまま、リディアは動き出した。
* * *
「リディアです」
「入れ」
「失礼します」
扉をノックし、名前を告げると、中から直ぐに入室の許可が下りる。リディアはそれに従い、室内へと入る。
父であるアレックスは、いつも通り執務机に向かい、何かの書類に目を通しつつ時折ペンを走らせていた。
一度、アレックスがリディアへと目を向け、姿を確認する。
「少し待て。すぐ終わらせる」
「はい」
アレックスはサラサラとペンを走らしていく。
父はいつも通りだった。何も変わらない、見慣れた姿だった。その事に、リディアは小さな怒りを覚える。
リディアの周りでは、ここ数日で多くの事が起きた。それなのに父は何事もなかったかのように過ごしていく。その事が少しだけ許せなかった。
ようやく作業を終えたのか、アレックスがペンを置き、一度息を付く。
「待たせたな」
「いえ、大丈夫です」
顔を上げ、再びリディアの姿を目にすると、アレックスは顔を顰めた。
「顔色が優れないようだが、体調は大丈夫か?」
「少し、寝不足なだけです。問題ありません。それで、要件はなんですか?」
返事を返すと、それ以上踏み込んでくることは無く、アレックスは執務机の引き出しから何かを取り出し、それをリディアに差し出した。
王室の印で封をした書類だった。
「これは?」
「お前宛てだ、読め」
アレックスから書類を受け取ると、封を解き、書類に目を通す。
『リディア・アルフォード。貴殿を、国王代行クレアスト・ストレンジアスならびに第三王子ラヴェリア・ストレンジアスの命において、竜騎士に任命する』
簡潔にただ一文そう書かれており、王室の判が押されていた。
「これは?」
書かれている一文を読んでみても、それがどういう事なのか上手く飲み込めず、聞き返してしまう。
「読んだとおりだ。お前は明後日行われる叙任式をもって正規の竜騎士に成ってもらう。それは、その書状だ」
「どういう事ですか? 私は一年次で、まだ竜騎士に成る段階ではないはずですが……」
「御前試合での活躍もあり、実力が認められたのだ。よって、前倒しであるがお前を竜騎士に任命することに成った。不満か?」
「それは……」
リディアは迷ってしまう。
竜騎士に成る。それは、ずっと望んできたことだ。けれど、それが予期せずいきなり目の前に示されたことに戸惑ってしまう。それも、半ば特例で前倒しの形では、余計に戸惑い、不安を感じる。自分に竜騎士としてやっていけるだけの実力と経験が、本当にあるのだろうか? 覚悟は、これから築いていくつもりだった。
リディアがその様に迷っていると、どたどたと大きな足音が部屋の外から響いたかと思うと、許可も取らず勢いよく扉が開かれ、見知った顔の大男が入ってきた。
「アルフォード卿! ここに居られるか!? 聞きたいことがある!」
大男――ヴェルノ・ブラッドフォードは部屋に入ると、そう大きく怒鳴りつけた。
「私なら、ここに居るが? それで、一体何の用かね。竜騎士ブラッドフォード」
荒々しく入ってきたヴェルノとは対照的に、アレックスは落ち着き払った態度で、そう応対する。ヴェルノはそれに、ギロリと睨みつける。
「あれはどういう事だ! アルフォード卿!」
再びヴェルノが怒鳴る。
「あれとは何のことだい? それだけでは何を指しての事か、判断が付かないぞ」
「とぼけやがって……。生徒を竜騎士に引き上げる件だ! どういう事だ!」
「どういう事かと聞かれてもな……。竜騎学舎の生徒は皆竜騎士に成るべく、そこへ通っている。そして、竜騎士への任命権は国王並びに王族のみが持つ。正式な手順で、正式に竜騎士に成る。ただ、それだけの事だ。そこに一体に何の問題があるというのだ?」
「大ありだ! 彼等はまだ、卒業の時期を迎えていない。それなのに、なぜ、今なのだ! 貴様が殿下に上訴したのは知っている。詳しく話してもらうぞ!」
ヴェルノは息を荒げながら、アレックスに詰め寄る。
「耳が早いな。緊急時故、前倒しで竜騎士に成ってもらっただけだ。有事の際はこのような事はあり得る。そうであったはずだが?」
「緊急? やはりアキュラスの件か!?」
「その通りだが?」
「貴様! 新兵をいきなり戦場に送り出すつもりか!? どういうつもりだ!?」
ヴェルノは大きく怒鳴る。それにアレックスは呆れたように溜め息を付く。
「一つ一つ説明せねば分からぬのか?
今、バリオスが南下し、港を一つ落とされた。防衛の要である白雪竜騎士団も居ない。なら、新たに竜騎士団を結成する必要がある。よって、竜騎学舎から竜騎士を募り、新たな竜騎士団を結成することに成った。それだけだが?」
「そんなことは分かっている。その竜騎士団がなぜ竜騎学舎の生徒から選ばれなければならないのかと聞いているんだ! 今まで通り、各竜騎士団から竜騎士を集めれ良いではない!」
ヴェルノの切り返しに、アレックスはまた溜め息を吐く。
「これから季節は冬となる。寒くなってからでは、こちらの進攻は難しくなり、相手が地盤を築くのに十分な時間を与えてしまう。そうなってはバリオスを取り戻すのが難しくなる。そうなる前に動くためには、王都に居る竜騎学舎の生徒から竜騎士を選定する必要があった。故に、それを選択した。
あなたは、バリオスにを受け渡せと言うのかな?」
「それは……」
アレックスの切り返しにヴェルノは押し黙る。
「彼等はまだ若い……。いきなり、このような戦場に送り出すのは、荷が重いと思われますが……」
一度押し黙るが、それでもヴェルノは食い下がる。
「若いか……。竜騎学舎の入学年齢は十五歳から。十五歳であるなら、私兵として戦場に立つものもいる。若いと言う年齢ではないと思われるが?」
「私兵として戦場に立つのと、竜騎士として戦場に立つのでは、背負うべき責任に差があります。同じ物差しで測るものではない!」
「なるほど、確かにその通りかもしれないな。だが、この時期であれば、竜騎学舎の生徒は、必要とされている知識をすべて習得している事になっているはずだが? なら、何の問題も無いと思われるが?
それとも、あなたは手御抜いていたのか?」
「そのような事は、断じてない!」
「なら、あなたの生徒は十分それに耐えうるのではないのか? 私はあなたを優秀な竜騎士であり、優秀な教官だと信頼しているつもりだ。その優秀な教官の下で鍛えられた竜騎士であるのなら、任をこなせると考えていますが?」
再びの切り返しに、ヴェルノは再度押し黙る。そして、しばらく黙りこんだ後、視線をリディアの方へと向ける。
「リディア。お前にも書状が来たはずだ。お前はそれに従うのか?
もしお前が、まだ戦場に立つ覚悟がないと言うのなら、俺は、お前達生徒を守るために直訴するつもりだ」
抱えた怒りを抑え付けるようにしてヴェルノが尋ねて来る。
リディアは再び迷う。
本当にこのまま竜騎士に成ってよいのだろうか? 自分にそれが出来るだけの力があるのだろうか?
一瞬、頭に一人の男の背中を思い浮かべる。戦場に旅立ち、消えて行った男の背中。
そして、見た事も無い血塗られた別の騎士の姿が思い浮かべる。『竜殺し』。
自分は何を迷っていたのだろうか? 答えなど最初から決まっていたではない。自分はずっとそれを望んできたはずだ。
「私は、戦士です。戦士としての私の力が望まれたのなら、それを断る理由などありません。私は、戦います」
リディアは静かに答えを返す。
ヴェルノはそれに大きく驚き、それから少し悲しそうな表情を浮かべる。
「そうか、分かった……」
ヴェルノは小さく頷く。
「納得してくれたようだな」
「納得はした。だが、すべてに納得したわけでは無い。俺達竜騎学舎の講師には、自分の生徒を守る義務がある。たとえ正規の手順を踏んだものであろうと、彼等は俺達の生徒だ。それは変わらない。もし、彼等の身に理不尽があったのなら、俺は黙ってはいないぞ。その事だけは覚えておけ」
「分かった。心得ておこう」
最後に、ギロリとアレックスを睨みつけ、それからヴェルノは退出していった。
「話は以上だ。お前も下がってくれ」
ヴェルノが退出するのを見届けると、アレックスはそう告げる。
「はい。失礼しました」
リディアはそれに従い、ヴェルノに続き、アレックスの執務室から退出していく。
先ほどまでリディアの胸の奥で疼いていた焦燥感が、少しだけ薄らいだ気がした。
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