第19話「戦場に立つ意味」
日が落ち、夜になる。
告げられた降伏勧告への回答期限は明日の昼。それまでは攻撃を行わないらしく、ラドセンス砦の前に並ぶ、王国の兵達は陣形を保ったまま動くことは無かった。
夜闇に包まれ、灯された篝火が闇の中から王国軍の全容を照らしだす。そんな光景が、砦の見張り塔の上から見る事ができた。
攻めてくることがなくとも、陣形を維持したまま待機している王国軍。規模こそそこまで大きいものではないが、直ぐ傍に敵が控え、直ぐにでも攻められる状況は、強く不安を掻き立てられ、落ち着かなくなる。
そのような形で皆不安を抱えているのか、砦内で待機している兵達からはそわそわと落ち着きのない空気が伝わってきていた。
夜闇に浮かぶ敵軍の姿を眺めながら、アーネストは鞘から剣を引き抜き、刃を視界に映る敵陣へと重ねる。
自分にも不安があるのだろう。アーネストはこうすることで、心を落ちつけたかった。
しばらくそのまま敵陣を眺めていると、何処からか視界に影が差した。唐突に現れたその影にアーネストは小さく驚く。そして、目を凝らして差し込んだ影に目を向けてみると、それが黒猫の姿だと気付き、ほっと息を付く。
黒猫は半ば影に溶け込むようにして立ち、灯された篝火の光を受けて輝く琥珀色の瞳がこちらをじっと見ていた。
小動物の感情が分かるほど、アーネストは彼らの感情に機敏ではない。けれど、じっと目を離さず向けてくるその眼からは、何かを尋ねてきているような、試されているような、そんな気がした。
「なんだよ」
アーネストは黒猫に尋ね返す。もちろん、黒猫が喋れるわけはなく、答えなど返ってくることは無かった。
そうしてしばらくアーネストと黒猫は向かいあう。けれどそれは唐突に、黒猫の真意も分からぬまま終わりと告げる。
黒猫は何かの拍子に踵を返し、見張り塔の端に立つと、そこから闇に消える様に飛びおりていった。
「まだ、寝てなかったのか? 明日、戦いになるんだろ。寝なくていいのか?」
黒猫が闇に消えると直ぐに、見張り塔の階段の方から、そう声がかかった。
声をかけられ目を向けると、アルミメイアが見張り塔の上へと昇って来ていた。
「すぐ寝るよ。寝る前に、少し見ておきたかったんだ。相手の様子を」
答えを返し、再び敵陣へと目を向ける。アルミメイアはアーネストの答えを聞くと、そのままゆっくりとアーネストの傍に歩み寄り、隣に腰を降ろす。
「なあ、敵は、強いんだよな?」
アルミメイアがアーネストの隣に座ると、静かにそう問いかけてきた。
「強い、だろうな……」
アーネストもアルミメイアの問いに、静かに答えを返す。
「お前。死ぬつもりとか……考えてないよな?」
アルミメイアは続けてそう問いを返してきた。その言葉に、アーネストは小さく驚き、苦笑を浮かべる。
「私は人の全てを知っているわけじゃ無い。けど、人が飛竜を簡単に倒す事は出来ないことくらいは分かる。人一人に、飛竜10体。どうしたって敵う数じゃない。お前を信用していないわけじゃ無い。けど、やっぱり私には、無理だと思える。だから――
今更言う事じゃないけど、私にはお前との約束がある。だから、お前が死ぬのは嫌だと思う」
不安を吐き出すようにしてアルミメイアは尋ねて来る。
「大丈夫だよ。勝つ事は出来なくても、死ぬつもりはない。ちゃんと考えているつもりだ」
取り繕う様にしてアーネストは答えを返す。
どうしたって勝てない相手だと、アーネスト自身も思っている。けれど、死なないよう立ち回る戦い方も考えてある。完全ではないかもしれない、それでも死ぬつもりなどはないつもりだ。
「嘘を付かないで欲し。もし、本当に無理だって言うなら、私が、お前の代わりに、あいつらを全部食い殺してやったっていい」
覚悟を決める様に自らの腕を強く握りしめ、アルミメイアがそう告げてくる。そんな、アルミメイアの言葉に、アーネストは少し嬉しく想い、小さく笑う。けれど、直ぐに表情をただし、否定の言葉を告げる。
「それは、やめてくれ。
これは俺達人間の問題だ。だから、お前が無理して付き合う必要はない。
俺は、お前とは他の人間と同じような関係でありたいと思ってる。だから、お前の力に頼りきりになりたくないし、お前みたいな子供を戦場に立たせるなんてことはしたくない。
それに、俺は死ぬつもりなんかは無い。それは嘘じゃない」
アルミメイアの頭に、優しく手を置き、そして、軽く言い聞かせるようにしてそう答えを返す。
アーネストの言葉に、アルミメイアは暫く無言の返事を返す。
「分かった。そう言うんなら、私は何もしない」
それからアルミメイアは小さく頷く。
「けど、嘘は許さない。もし、死なないってのが嘘だったら、私は、私に嘘を付いたお前を一生恨み続ける。数百年、数千年恨み続ける。それだけは覚えておけ」
「わかったよ……」
鋭く言葉を告げるアルミメイアに、アーネストはそう小さく返事を返した。
* * *
日が落ち夜になると、本陣から離れたこの場所は、照らされる明かりが弱くなり、薄闇に閉ざされる。
その時間になってもなお、エルバートはその場所から動くことは無く、闇の中で明かりを輝かせるラドセンス砦の全貌を眺めていた。
「まだ、こんな所に居たのですか……」
そのままずっと砦を眺めていると、背後からそう呆れの混じった声がかかった。振り返るとディオンがこちらへと歩いて来ていた。
「なんだか動く気になれなくてな。それで、そっちはどうだった?」
「いつも通りですよ」
「そうか。なら、面倒な事は考えなくていいな」
「そうですね」
軽く息を付きながら、ディオンがエルバートの横に立つ。
「それより、フェリーシアが呼んでるみたいですよ」
ディオンがエルバートの横に立つと、何かを思い出したかのように、ディオンがそう告げる。それにエルバートは舌打ちを返し、溜め息を付く。
「たく、感の良い女はこれだから嫌いだね」
「何かやらかしたのですか?」
フェリーシアは飛竜の中では、大人しい飛竜だ。そのため滅多な事で吠える事も無ければ、声を上げる事も無い。それだけに、その小さな変化で感付いたのだろう、ディオンが尋ねて来る。
エルバートはそれに少し悩み、そして諦めて口を開く。
「なあ、ディオン。お前は、何のために剣を取り、戦うんだ?」
エルバートに問われ、ディオンは少し考え、それから口を開く。
「王国の平和のため。ですかね」
ディオンの答えに、エルバートは小さく笑う。
「そう言うんじゃねえ。もっと、なんていうか、自分にとっての戦う理由みたいなものだよ」
「それは……ちょっと分かりませんね」
「だろうな。俺も、そうだった。王国の平和だと、そんな曖昧なものを掲げて、前の戦争を戦った。家族のためっていうのもあったが、けど、それもやっぱり良く判らなかった。
けどな、戦いで生き残るために、心を壊さないために、そう言う、自分にとっての戦う意味っていうのは、大事たと思う。昔の俺に、それがなかった。だからだろうな、戦っていく中で、頭の中が良く判らくなっていた。何のために戦って、何でこんなつらい思いをして、何やってるのか分からなくなった。
前にアメリアに言われたよ。『あなたは戦争が終わって暫くの間、まるで抜け殻の様だった』ってな。それ位、何も考えられなくなってたみたいだ」
「とても想像できませんね」
「だろうな。俺にも想像できん。けど、実際に戦争が終わってすぐの事は、ほとんど良く覚えてない。終わった時の事さえはっきりとは覚えない。
それ位何も考えず間にも感じられなくなってた……らしい」
「そう、だったんですか……」
「到底想像できないよな……今の俺を見ると。けど、事実だ。そんな俺が立ち直れたのは、俺に息子が生まれた時だった」
言葉を紡ぎ、その時の光景を思いだしエルバートは小さく笑う。
「子供っていうのは不思議だよな。小さな命が生まれた時、その命の熱を感じた時。俺は初めて、自分が進んできた道が、俺がやって来たことの全てが、未来に繋がってたんだなって思えた。
その時初めて、俺は、あいつらが生きる世界を守るために戦ったんだなって、戦ってきた意味を理解したよ。
そしたら、ようやく前が見えた気がする」
「そんなことが、あったんですね」
エルバートの過去話を聞き、ディオンは小さく笑う。
「けど、な。俺は、その戦った意味ってのを見出した時、同時に分かっちまったんだ。俺は、どれだけ罪深い人間だったかを……な。
俺は、多くの人間を殺してきた。戦う力もなくなり、命乞いをする相手さえ殺してきた。そいつらにだって、家族が居てそいつを大切に思う親たちが居たはずだ。けど、俺は、その親から未来を――幸せを奪ってきた。それを、理解しちまった。
戦争だから仕方がない。そういうものだって、分かっている。けど、その事実は変わらない。だから、その事が、その事実の上に立つ俺の幸せが、怖くなった……。そして、こうしてまた、戦場に立ち、誰かを殺す事が、怖く思えたんだ」
微かに震える手を別の手で掴み、軽く押さえつける。
「なら、なぜここへ戻ってきたのですか? もう、あなたは十分戦いました。あなたが戦う事避けたとしても、誰も責めたりはしたいと思いますが……」
「そうなんだがな……けど、俺の代わりは誰がやるのかって、考えたら、身体が動いちまった。俺が感じた苦しみを、あいつに感じてほしくないって思ってな」
「けど彼は……あなたの後任に成る事はありませんでした。ですから――」
「分かってるよ。そんなことぐらい。けどな、やっぱり考えちまうんだよ。俺が、今ここで戦わなかった、あいつが、あいつらが、戦う事になるんじゃないかってな……。誰かの幸せを奪う罪。その苦しみを知る俺が、親として、子がそうなる道を見過ごせるかよ」
「あなたが竜騎士団に復帰すると聞いた時、嬉しくありましたが、同時に疑問も感じていました。その理由が、これだったのですね」
「そうだよ。個人的な思いで悪いな」
「いえ、そうは思いません。あなたらしいと思います。けど、なんだか納得できません。あなたは十分苦しんだ。これ以上苦しむ必要はないと思います」
「いいんだよ。これ。これからの未来は、未来を歩むあいつらのものだ。老い先短い俺のものじゃない。俺が苦しんだとしても、あいつらが歩む未来が明るいものなら、俺はそれだけで幸せでいられる。だから、良いんだよ」
空を見上げ、ここには居ない者達の事を思い浮かべエルバートは笑う。
それを見て、ディオンは顔を顰める。
「納得できないか?」
「当り前です。あなたはもっと、自分が幸せでいられる事を考えるべきだと、俺は思います」
「やっぱり分からねえか。
ああ、そうだ。今度、俺の家に来いよ。もうすぐ、俺の孫が生まれるんだ。予定日は確か、秋頃だったかな。生まれたばかりの子供の顔ってのを見れば、お前も少しは、俺の想いを理解できるだろ。どうだ?」
思いだし、これからの事を思い浮かべてエルバートはまた笑う。それには、さすがに毒気を抜かれたのか、ディオンは諦め溜め息を付く。
「なら、それまでにすべてを終わらせないといけないですね」
「そうだな。リディアとの約束もあるし、どっかにいるバカ息子を縛って連れ帰らないといけないしな」
「そうですね」
茶化す様なエルバートの冗談にディオンは笑った。
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