第30話「魔法使い」

 視界を覆う様に、青白い布がはためく。フィーヤの目の前に、一つの人影が舞い降りた。


 女性で、それほど背が高いという訳ではないフィーヤより、さらに小柄な人影。それが、フィーヤと、黒衣の襲撃者の間に、割って入る様に舞い降りた。


 弾き飛ばされたのか、先度を振り下されようとしていた一振りのナイフが、音を立て地面に転がっていく。突然現れた人影を挟んだ向こう側で、黒衣の襲撃者が片手を抑え、よろめきながら遠ざかる。目の前の人物が何かしただろう。フィーヤへ振り下されるはずのナイフは、届く事は無かった。


 助けられた。助けなど期待できる状況で無かっただけに、その事実に大きく驚かされた。


「あなた……は?」


 青白いローブを身に纏った見知らぬ人影に、どうにか声を出し、名を尋ねる。


 青白いローブを着た人物は、一度、視線だけをこちらへ向けると、直ぐに目の前の黒衣の男達に視線を戻す。


 片手を抑え、痛みに顔を歪める黒衣の男は、鋭く怒りの籠った瞳をローブの人物へと向ける。


 確認、警告もなく、黒衣の男達は、一度目配せをした後、全員が各々武器を抜き、ゆっくりと距離を詰めてくる。


 相手は五人。決して多いとは言えない。けれど、見るからに殺しに特化した者達。多少、戦闘の心得があろうと、これだけの相手では敵う相手とは思えなかった。


「逃げてください」


 故に、その言葉を告げる。私に関わり、私を助けようとして誰かが死ぬくらいなら、私がここでいなくなった方が良い。そう思った。


 けれど、ローブの人物はその言葉に答えを返すことなく、そして、その場から動くこともなかった。


 黒衣の男達がじりじりと距離を詰め、そして、ある程度の距離まで詰めると、そこから一気に駆け出し、襲い掛かる。素早く、流れるような動きで、襲い掛かる。


 ローブの人物はそれに、ただ片手をかざし、そして、


『とまれ』


 とただ一言小さく口にする。


 唐突に、襲い掛かっていた黒衣の男の内、三人が膝をおり、倒れる。勢いの乗ったまま倒れる方ととなり、地面に身体を打ち付けながら転がる。


 突然倒れた男達に、残った男達は戸惑い、一瞬動きが止まるが、直ぐにそれらを無視し、襲い掛かってくる。


 ローブの人物は、それを見て舌打ちを一つ。


 薄暗い通路に差し込む微かな光を、ナイフの刃が反射し、輝く。閃光が線を引き、それが目の前の小さな影へと振り下される。


 素早い一撃。とても避けられるものとは思えない。けれど、ローブの人物は、それをギリギリのところで体勢を低くし、躱す。そして、目で追えないほどの速さで、回し蹴りを叩きこんだ。


 小さな見た目からは想像も出来ないほどの力による衝撃音。黒衣の男は大きく吹き飛び、通路の壁に打ち付けら、壁にひびが入る。


 もう一人の黒衣の男が、先ほどの黒衣の男を陰にする様にして、死角からローブの人物に襲い掛かる。


 地面から這う様に、銀の刃が襲い掛かる。


 衝撃音。もう一人の黒衣の男の身体が、後方へと吹き飛ばされる。ローブの人物は、黒衣の男達の二撃目より早く、体勢を立て直すと、即座に拳を襲い掛かる男に叩き込んだのだ。


 静寂、そして、男達のうめき声。目の前の小さな影は、一瞬にして先ほどの男達を制圧して見せた。


 静かになり、動く影が見られない事を確認すると、ローブの人物はこちらへと向き直る。


 小さく、返り血の付いたローブをはためかせ、怒りの色がこもった黄金色が、フードの下からこちらを覗きこむ。


 ぞくりと背筋に悪寒を走らせるような恐怖を感じさせられる。


 怒りの色がこもった黄金色の瞳が揺れる。蛇のように、恐怖で動きを縛る瞳。その瞳に捕らえられ、動けなくなる。


「どこへ行けばいい?」


 強く、その黄金色の瞳に意識が捕らえられたところで、それを断ち切るように、ローブの人物がそう尋ねて来る。


「ただ闇雲に逃げていたわけじゃ無いだろ? 何処へ行けばいい?」


 静かな鋭い声は、フィーヤが想像していたようなものとは、真逆の言葉を尋ねてきた。



    *    *    *



 パキ。


 水晶玉に、乾いた音ともに大きな亀裂が入る。


「ひっ!」


 静かな空間で、唐突に鳴り響いたその音に、意匠を凝らしたローブに身を包んだ初老の男が、思わず悲鳴を上げる。


 水晶にひびが入る音が鳴ったと思ったが、その後、何かが起こる事は無く。薄暗い室内は再び静寂で満たされる。


 ローブの男は、それでも暫くの間、ひびの入った水晶を睨みつけ、固まる。


 ひびの入った水晶は、机の上の柔らかな布の上に鎮座されたまま、特に変わったところを示す事は無かった。


 ふと、脳裏にあの黄金色の瞳が掠め、再び身体が震えだす。


 見られた。そう思うと、居てもたってもいられなくなる。


(大丈夫だ。何もない。何も起きていない)


 そう言い聞かせ、どうにか心を落ち着ける。


 見られたところで、ここへ来る術は無い。そう考えるが、同時に、見返すだけの技量があるのなら、即座に此処へ来るだけの力が無い方がおかしい、という考えが浮かび、再び落ち着かなくなる。


 視線を彷徨わせ、ローブの男は自衛に仕えそうなものを探し始める。


 丁度その時、部屋の扉が乱暴にノックされたかと思うと、荒々しく開かれ、一人の男が室内に入ってくる。


 高そうな宮廷服に身を包んだ小太りの男。男は室内に入るなり、怒鳴り散らす。


「どうなっている!? まだ捕まえられんのか!? たかが小娘一人だぞ!」


「は、今、探します」


 怒鳴られ、怯えたローブの男は慌てて答え、ひびの入った水晶玉の前に立つ。


 答えてすぐ、自分の発言が失言だったことに気付く。


「探すだ!? 貴様、今まで何をやっていた!!」


 拳を机に叩き付け、男が吠える。


 理不尽な怒りをぶつけられ、ローブの男は、沸々と怒りが沸く。



 ローブの男は、マイクリクス王国の宮廷魔導師だ。魔法の腕を買われ、国のため尽くす魔術師として、特別な地位を与えられた魔導師。


 今は、その任の一つとして、『念視スクライング』の魔法で、国王暗殺の容疑をかけられたフィーヤの居場所を特定し、それを衛兵達に伝えるという仕事をしていた。


 先ほどまで、何の問題なく仕事をこなせていた。けれど、あの青白いローブを纏った魔術師が現れてからは、一転。『占術妨害カウンター・ディテクト』の魔法により、簡単に『念視スクライング』の魔法を防がれ、居場所が分からなくなってしまった。


 宮廷魔導師は、自分がこの国一番の魔術師であると自負している。生半可な魔術師とは比べられない程の努力を重ね、力を付け、この地位まで上り詰めた。並みの事では後れを取らない。そう、思っていた。


 『念視スクライング』の魔法を、『占術妨害カウンター・ディテクト』で妨害することは、そんなに簡単な事ではない。対象の魔法に対して、同程度の強度の『占術妨害カウンター・ディテクト』をぶつけなければ、妨害は出来ない。それは、少なくとも相手は、『占術妨害カウンター・ディテクト』の扱いに関しては、自分と同程度以上の力がある魔術師という事を意味する。


 それどころか、普通は気付く事のない『念視スクライング』による探知を、見抜いてみせた、それは魔法の扱いに関して相当の力を持つことを意味する。


 それだけ力がある相手がいる事を話したところで、魔法に対する理解の無い目の前の男は、事の大きさを欠片ほど理解しないだろう。そんな男に、まるで無能者の様に怒鳴られる事に、怒りを覚える。



「さっさと探せ!」


 宮廷魔導師の気持ちを、露ほど知らない男は怒鳴る。


「は、ただ今」


 宮廷魔導師は、それに対し歯ぎしりするような怒りを浮かべながら、水晶玉に手を翳し『念視スクライング』の魔法を再開する。しかし、それは直ぐに、頭の中で何かが弾けたかと思うと、中断させられる。


 強力な『占術妨害カウンター・ディテクト』を受けた感触だ。何度も魔法を発動さえようとするが、やはり、弾かれ繋がらない。


 集中に精神と、体力が削られていき、汗が頬を伝う。


「まだか?」


 一向に反応を見せない宮廷魔導師に痺れを切らしたのか、男が怒気の孕んだ声で尋ねて来る。


「す、すみません。『占術妨害カウンター・ディテクト』が強く、上手く探知が――」


「ふざけた戯言は良い! 俺はやつを探せと言ったんだ! それ以外の答えを聞きたいわけではない!」


 男が再び怒鳴る。


 こちらの労力を理解せず怒鳴り散らす男に、宮廷魔導師は忍耐の限界を感じ、口を開きかける。



「王宮内で、そのように怒鳴り散らすのは辞めていただけないかな?」



 宮廷魔導師の言葉は、男の背後から届いた言葉によって閉ざされる。


「こ、これは、これは、アルフォード卿。このような所にどのようなご用件で?」


 男が明けたままにしていた扉から、白髪交の混じった栗毛色の髪を綺麗に整えた男が、室内へと入ってくる。アルフォード卿――アレックス・アルフォード侯爵の姿を目にすると、男は先ほどまでの態度は何処へやら、ニコニコと笑顔を浮かべ、そう返事を返す。


「反逆者への対応が思う様に進んでいないと聞きましてね。様子を見に来ました」


「そ、そうですか……何、たいした事はありません。直ぐに見つけ、捕らえて見せます」


 男はニコニコの笑顔を浮かべたまま、適当な答えを口にする。


 アレックスはそれに、しばらく視線を向けた後、視線を宮廷魔導師の方へ向け、


「何があった?」


 尋ねて来る。


「は、はい。強力な『占術妨害カウンター・ディテクト』を使われ、探知が出来ていません……」


 アレックスの物言わぬ恐ろしさを与える視線にさらされ、宮廷魔導師は一度口ごもると、正直な答えを返す。その言葉を聞き、アレックスの横に立つ男は、表情が青ざめる。


「なるほど、どうやら誤算があったようだな。君、今は宮廷魔導師の力は借りられない。それを前提に、衛兵に指示を出しなさい」


 宮廷魔導師の言葉を受けると、アレックスは男にそう指示を出す。男はその言葉を聞くと「は、はい」と、上ずった返事を返し、部屋から飛び出していく。


 煩わし男が追い払われた事で宮廷魔導師は、ほっと息を付く。


 これで解放された。そう思ったが、そう言う訳にはいかなかった。


 男が飛び出した後も、アレックスは立ち去る事は無く、じっと宮廷魔導師の方に視線を向けていた。


「ど、どうかなさいましたか?」


 宮廷魔導師は恐る恐る尋ねる。


「魔法が万能では無い事は理解している。そして、君が宮廷魔導師で、その地位に相応しいだけの力を持っている事も理解している。しかし、その力を示し続けられない様では、君がその地位に相応し人間ではないと判断するしかなくなる。その事は、理解しているな?」


 鋭い視線を向けたまま、アレックスはそう諭す。


 言外に「二度目は無い」と告げるその言葉に、宮廷魔導師は震えあがる。


「は、はい。心得ております」


「ならいい」


 アレックスは、そう答えは返すと、踵を返し宮廷魔導師の部屋から立ち去って行った。

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