第2話「竜騎学舎の夏」

 高く昇った太陽が、雲一つない空から暖かな光を降らせ、青々とした地表を温める。日差しを浴びた花々が、風に煽られ揺れる。そよぐ風にほのかに甘い花の香りを乗せ流れていく。揺れ動く草花の間からは虫達の羽根を鳴らす音が響き、夏を演出していた。


 アーネストが竜騎学舎へ赴任してきて四ヶ月ほどが経ち、夏真っ盛りの季節へと移り変わっていた。


 辺りが夏の色に変わると共に、マイクリクス王立竜騎学舎もまた、夏の様相へと変わっていた。


 普段、多くの学生達が過ごしている校舎などには学生達の姿はなく、活気は薄れ、とても静かで穏やかな空気が満たされていた。


 夏季休暇。竜騎学舎は林間学習のカリキュラムを終えると、一月ほどの長い休暇に入る。そのため、夏真っ盛りのこの季節の竜騎学舎からは学生の姿は無くなり、静かな学舎へと姿を変える。


 授業も無くなり、多くの講師もまた学舎に残る理由が無く休暇に入る。学舎に残っているのは、竜舎に残っている飛竜の世話をする飼育員と、仕事を残している学舎の講師だけとなる。


 アーネストは、そんな居残り組の講師の一人だった。けれど、それは仕事を残しているためではなく、夏季休暇の間の居場所が無く、学舎に居残っているためだ。そのため、時間を持て余しており、何もせずに過ごすのも気が引けるため、アーネストは普段通り仕事を行っている竜舎の飼育員の仕事の手伝いをして夏季休暇の間を過ごしていた。



 竜舎の飼育小屋の片隅に、アーネストは手にしていた空になった鉄製の容器を置く。


「おう、ご苦労さん。もう休んで良いぞ」


 アーネストが空の容器を床に置くと、それを見ていたのか飼育小屋の奥から、飼育員のリーダー格の人物から労いの言葉が届いた。アーネストはそれに軽く会釈を返す。


 顔を上げ、竜舎の時計塔の方へと目を向ける。時刻は十二時少し前、昼休憩を取るには丁度いい時間だった。


「それでは、休憩を取らせてもらいます」


 大声で飼育小屋全体に届く様に一声かけ、アーネストは飼育小屋を後にする。



 ゆっくりと竜舎から学舎へ向けて歩く。


 学生も講師も居なくなるこの時期、竜騎学舎の食堂の必要性がなくなるため、今はやっていない。そのため、居残り組の人達の食事は、食堂を頼ることなく各自で済ませる事になる。今日の昼はどうしようかと、軽く考えながら歩く。


 ふと、アーネストは足を止め、視線をある方向へと向ける。


 竜騎学舎の敷地から、薄っすらと見える巨大な建物。マイクリクス王国王宮ハーティス宮殿。王国の中枢、有力貴族たちが集う場所、多くの事柄を隠し、多くの人心を掌握する場所。


 アルミメイアそれからハルヴァラスト、二つの竜からの願いをかなえるためには、どうしたって赴かねばならないと思える場所。けれど、今のアーネストにはその場所に立ち入る許しを得られておらず、力や権力も持ち合わせていなかった。


 アーネストは軽く頭をかく。どうするべきか、直ぐに良い案は浮かばない。けれど、焦ったところでいい結果が生まれるわけでは無い。そう言い聞かせ、アーネストは宮殿から視線を外した。



「おい、こら! 邪魔をするな!」


 何処からか、そんな可愛らしい声が響く。アーネストが立つ場所から直ぐ傍の竜舎の放牧場。その場所で、飼育小屋から運動をさするため飛竜を引いて出て来たアルミメイアが、何かに阻まれ声を上げていた。


 アルミメイアの足者で、「キュー、キュー」と声を上げ、一匹の幼竜ワームリングが翼を広げていた。


「お前、また抜け出してきたのか? 仕事中は邪魔をするなって言いているだろ!」


 幼竜を避けて歩こうとすると、幼竜はアルミメイアの前を回り込み、翼を広げ構ってほしそうな声を上げる。その度に、アルミメイアは困ったような表情を浮かべる。


 少し前から、アルミメイアはあの幼竜に懐かれていた。ここ最近は特にひどくなり、仕事の合間、合間にあんな風に絡まれている姿が目撃されていた。


 林間学習のため半月ほど竜騎学舎の竜舎を離れていたためか、今まで以上にアルミメイアからあの幼竜が離れなくなっているようだった。


 幼い少女と可愛らしい幼竜がじゃれ合っている姿。一見すると、そんな可愛らしく思える光景を、遠巻きに見ている他の飼育員達は、見入っているのか眺めているだけで、手を貸そうとする者はいない様だった。


 ここ最近あの幼竜の脱走事件がひどくなり、それに手を焼くと同時に、決してアルミメイアから遠く離れて行く事が無いため、最近ではアルミメイアの傍にあの幼竜がいる事は黙認されるようになっていた。


 アルミメイアと目が合う。


「アーネスト。悪いが、この幼竜をどけてくれないか? 邪魔で通れない」


 目が合うとすぐさま、そう懇願してきた。


 名指しで頼まれてしまっては、断るわけにもいかず「分かったよ」と了承の返事を返すと、アーネストは放牧場の柵を乗り越え、アルミメイアの傍に歩み寄ると、足元で鳴く幼竜を抱き上げた。


 幼竜はアルミメイアから引き離されると分かると、大きく暴れ出し、それをアーネストはどうにか押さえつけ、抱き上げる。


 幼竜が「キー、キー」と鳴き、威嚇する。それは、抱き上げ、幼竜の行く手を阻んだアーネストに対しでは無く、アルミメイアの方へと向けて発せられた。


 幼竜にとって都合の悪い行動を取った、アーネストに何らかの攻撃を加えるかと思っていたが、そのような事は無く、そのままアルミメイアへと目を向け続ける幼竜の姿に、少し違和感を覚え、アーネストは幼竜の視線を辿り、アルミメイアへと目を向ける。


 幼竜の視線の先、アルミメイアの左肩には、一匹の黒猫が垂れ下がっていた。


「悪い。アーネスト、コイツも預かってくれないか? こいつがいると、そのチビが嫉妬するんだ」


 アルミメイアは黒猫が垂れ下がった肩をアーネストに差し出す。


「お前、この猫、どうしたんだ?」


 見た事も無い猫を肩に乗せたアルミメイアに、アーネストは尋ねる。


「知らん。一昨日からずっとついて来て、コイツがいるとチビが対抗心燃やして、困る」


 困ったように表情を浮かべ、「どうにかしろ」と言う様に猫が乗った肩を突きだしてくる。


 アーネストはそれに従い。幼竜を片手で何とか抱え、空いた片手でアルミメイアの肩に垂れ下がっている黒猫を抱え上げる。


 ふてぶてしい顔をしている黒猫は、人に慣れているのか、アーネストが抱え上げても一切抵抗を見せる事は無かった。誰かの飼い猫だろうかと、見て取れる範囲で確認してみるが、誰かの飼い猫である事を示す首輪などは一切見つけられなかった。


 アルミメイアの方から黒猫を抱き上げると、幼竜はそれで少しは満足したのかいくらか大人しくなり、反対の手に抱えられている黒猫に対し「キー、キー」と威嚇の声を上げる。


 幼竜の威嚇に対して、黒猫はどこ吹く風と言う様に受け流し、明後日の方へと視線を向けた。


 幼いとはいえ、強力な魔獣である飛竜の威嚇の声に怯まない黒猫。その神経の図太さに、少しだけ感心してしまう。


「この作業を終えたら、休憩に入れるから、それまで面倒を見いててほしい」


「分かったよ」


「助かる」


 アーネストが幼竜と黒猫を受け取ると、アルミメイアはようやく肩の荷が下りたという様に、表情を明るくして、飛竜の手綱を引き、放牧場の奥へと歩いて行った。


「あまり、あいつを困らせるなよ」


 放牧場の奥へと飛竜を引いていくアルミメイアを見届けると、アーネストはそう幼竜を窘める。幼竜はそれに、反論するかのように抗議の声を上げた。



 竜舎の手伝いを一通り終え、休憩に入ると直ぐに昼食を済ませようかと考えていたが、アルミメイアから二つのお荷物――幼竜と黒猫を任されてしまったために、この二匹を連れて歩くわけにもいかず、アーネストは近場の木陰を見つけると、そこへ腰を降ろし時間を潰す事にした。


 座ると同時に腕を広げ、抱えていた二匹の幼竜と黒猫を開放する。黒猫は草むらに着地すると、直ぐに腰を降ろし、座り込む。幼竜は、ある程度人の言葉が分かるのか、ここから離れてはいけない事を察し、アルミメイアの元へ駆けだす事は無かった。


 代わりに幼竜は、アルミメイアが言った通り、対抗心を剥き出しにしたかのように「キー、キー」と黒猫に向けて威嚇の声を上げながら、黒猫の前に立ち翼を広げる。それに対し黒猫は幼竜の事を無視するかのように、首を横に振り、視界から幼竜を外す。幼竜はその度に黒猫の目の前に回り込み、威嚇の声と翼を広げる。そして、その度にまた黒猫は首を振り、幼竜がその後を追う、それを繰り返していた。


 しばらくの間、そんな幼竜と黒猫の格闘を見守り、放って置いてもどこかへ行くことは無いと判断すると、アーネストは視線を放牧場へと向ける。


 放牧場ではアルミメイアが、飼育小屋から連れ出した飛竜の手綱を長い鎖に括り付け、飛び立っても遠くへ行けないように繋いでいた。


 アルミメイア自身が竜であり竜族であるためか、飛竜達は基本的にアルミメイアに警戒心を抱くことは無く、それどころか簡単になだめられたりしている。そういった事から、アルミメイアは竜舎での仕事に重宝され、竜騎学舎に来てからは竜舎での飛竜の飼育の仕事を任されるようになっていた。


 能力面だけ見ればアルミメイアにとって飛竜の飼育という職は天職といえるかもしれない、けれど本人はそれほど飛竜の飼育という仕事を快く思っていない様子だった。


 仕事の合間、合間に見る、飛竜と接し語りかけたりしている時のアルミメイアの表情はとても楽しそうだった。けれど、そうでない時の表情は少し悲しそうに見えるときがあった。


 飛竜の手綱を縄に括り付ける作業をしているアルミメイアの表情は、どこか物憂げだった。



 暖かい陽気の中、涼しい風が靡く。


 暖かさと涼しさに揺られ、喧騒もなくゆっくりと流れる景色を眺めていると、少しずつ、少しずつ時間の感覚が薄れ、意識が遠のいていく。


 気が付くとアーネストの目は半開きになり、船を漕いでいた。


「悪い。待たせたな」


 遠くからアルミメイアの声がかかる。その声でアーネストは意識を取り戻し、顔を上げる。


 アルミメイアの声と足音に気付いたのか、幼竜は黒猫から視線を外し、振り返るとすぐざま駆け出し、アルミメイアへと飛び込んでいった。


 放牧場の柵を乗り越えたアルミメイアを、飛び込んできた幼竜を慌てて受け止め、抱えた幼竜に一度咎めるような視線を向ける。幼竜はそれが見えていないのか、顔をアルミメイアの胸にうずめ「クルル、クルル」と嬉しそうに無く。それで毒気を抜かれたのか、アルミメイアは半分呆れた様な表情を浮かべる。


「待たせたみたいで、悪い」


 幼竜を抱きかかえたアルミメイアが、アーネストの傍に歩み寄るとそう謝罪を口にした。


「いいよ。急ぎの用なんかが有ったわけじゃ無いから。それより、昼はどうするつもりだ?」


 特に昼食を一緒に取るなどの約束を交わしていた訳では無いが、流れでアーネストはアルミメイアに誘いの言葉を口にする。


「そうだな……」


 アーネストに尋ねられるとアルミメイアは宙へと目を向け考え込む。


 アルミメイアが竜騎学舎で過ごすようになって、四ヶ月ほどが経っており、最初の頃は彼女の無知さにあれこれと教えねばならない事があったが、今ではだいぶ人間の生活に成れており、ほとんど手がかからなくなっていた。



「よう。お二人さん」


 アルミメイアがしばらく考える様に視線をさ迷わせていると、唐突にそう声がかかった。


 声がした方へ目を向けると、そこには長身の男性――ヴェルノが、座るアーネストと、背の小さなアルミメイアを見下ろすように立っていた。


 ヴェルノもアーネストと同じ居残り組の講師の一人だった。ただし、ヴェルノもアーネスト同様、仕事を残しているわけでは無く、単に休暇中に過ごす場所が無く、竜騎学舎に残っているだけだった。


 アーネストはヴェルノの挨拶に軽く会釈を返す。


「ヴェルノさん、お昼はまだですか? よかったら一緒にどうです?」


 流れでアーネストはヴェルノにも昼食の誘いをかける。


「お、それは有難い話だが、その前にちょっと話がある。少し時間いいか?」


 ヴェルノの唐突な切り出しに、アーネストは小さく頷き答えを返した。

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