第16話「怒りの言葉」

「なら、許可なく踏み込んだのならどうなるか、理解してるんだろうなぁ? 人間」



 それはその声と共に立ち上がった。アーネストとアルミメイアの視線の先、部屋の最奥に安置された、竜を模した石像と思われたそれは、ゆっくりと身体を持ち上げ、首を上げ、黄金色の鋭い瞳をこちらへと向けた。


 それは岩の様にごつごつとした、灰色の鱗に覆われた竜だった。平均的な飛竜より二回りほど大きな身体を持ち、飛竜の様な大きな翼をたたみ、飛竜とは異なる逞しい四肢を地面に降ろした姿だった。


 大きさや細部は異なるものの、アルミメイアと同じ竜のそのものの姿だった。


「灰の竜……」


 その姿、その色、目の前の竜の姿を見たアーネストは、思わずその名を口にする。その声を聴いたのか目の前の竜はニヤリと、大きく裂けた口を歪める。


「そうだ。俺は『灰の竜』だ。200年前、貴様ら人間に殺された『灰の竜』だ! なら、その恨み、憎悪がどれ程のものか、分かるような? 人間」


 ずしりと重たい足音を立て、ゆっくりと灰の竜はアーネストの目の前に立ち、殺意を滲ませたような牙を覗かせる。


 対峙して分かる威圧感。敵意を持って睨みつけてくる竜の瞳が、これ程恐ろしいものなおだと実感させられ、身体を竦む。飛竜や悪竜などとは明らかに違う、言いようもない恐ろしさがあった。そしてそれは、明らかな殺意をもってアーネストを見ていた。


 逃げなければ殺される。そうと理解しながら、恐怖に竦んだ身体ではそれさえも許されなかった。


「そんなに脅すな。こちらに敵意は無いんだ」


 一歩、一歩近づき、短剣の様に鋭く大きな牙が今にも振り下されようと言う時、アーネストと竜の間にアルミメイアが割っては立った。その事を予想していなかったのか、灰の竜はそれに大きな驚きの表情を浮かべる。


 そして、竜はアルミメイアのある一点を目にすると、鋭く睨みつける。


「そのペンダント……なるほど始祖竜オリジンの末裔か……」


 アルミメイアを警戒するように灰の竜は一歩後ろへ下がり、距離を取る。


「竜の身でありながら人の姿を取るか……愚かな」


 憎悪と侮蔑の籠った声で、竜は吐き捨てる。


「お前は、人が嫌いなのか?」


 アルミメイアの問いに竜は肩を震わせる。


「逆に聞く、なぜ人間を好きになれる。人間がどれ程いやしく、薄汚いか、知らない訳ではないだろ」


「私は……人間の事は良く判らない……だから、お前がなぜそこまで人を恨むのか、理解は出来ない」


「何も知らない子供ガキか……そこの人間にでもたぶらかされたか?」


 アルミメイアの答えを聞き、竜は彼女とアーネストに蔑みの目を向ける。それにアルミメイアは少し怒ったような視線を返す。


「私を侮辱するのは構わない。けど、彼を侮辱するのは辞めろ。彼は私の友人だ!」


 強く怒気の籠った声で答える。それに竜は大きな笑い声をあげる。


「それがたぶらかされているって言ってるんだよ! 人の口にする、友人などという言葉は幻想だ。

 愛情、信頼、家族。そんな言葉を使いながら、結局自分に都合の良い事だけしかしない。

 見ろ! 竜と共に生きる国と歌い、竜を良き隣人と言いながら、鎖で繋ぎ、檻に閉じ込め、自由を奪い、意志を奪い、自分の都合の良い奴隷にする。それが人間だ! それでもなお人間を友人と呼べるのか!?」


 怒りに任せ竜は言葉を吐き捨てる。それは、かつてアルミメイアが口にした言葉と同じ意味を持つ言葉だった。それもアルミメイア以上に強い感情と実感のこもった言葉だった。


 アルミメイアはその言葉に、答えを返す事は無く、口を閉ざした。


 後ろから眺めるアルミメイアの背中。そこからは何の感情も読み取る事は出来ない。できれば竜の言葉に竜であるアルミメイアの言葉で反論を返してほしいとアーネストは思った。けれど、直ぐにアルミメイアは言葉を返す事は無かった。


「『灰の竜』がなぜ殺されたか分かるか?」


 怒りの籠った瞳のまま竜は問いかけてくる。


「邪魔だったからだ。

 竜を建国の象徴、国の象徴と掲げておきながら、自分達以上の力、影響力のある竜が邪魔だったんだよ。だから殺した。

 こちらがどれだけ手を貸そうが、尽くそうが、何一つ見返りを返すことなく、その恩を忘れ、邪魔になれば消す。それが人間だ。

 それでもなお貴様はその人間を庇うのか? 今なお竜の尊厳を踏みいじる国を作る人間を庇うのか?」


 竜は強い怒りと共に訴える。


「お前はそれで……どうしたいんだ?」


 強い怒りをぶつけてくる竜に対し、アルミメイアは憐みにも似た声で、尋ね返した。


「人間はすべて殺す。出来る事ならな、すべてな!」


 怒りの声と共に竜は一歩踏み出す。


「こいつも殺すのか?」


「殺す。人間はすべて敵だ。生かしはしない」


「それで、どうなるだ……? 何かが変わるのか? それともお前は、本当にすべての人間を殺すつもりなのか?」


 アルミメイアの言葉に竜は顔をしかめる。


「お前の言う様に、人は薄情で、人のために尽くした飛竜達の事を顧みない者達は多くいるのかもしれない。私もそれを見てきた。

 鎖に繋がれ、檻に閉じ込められた飛竜も見た。それに対し、何とも思わない者達は多くいた。

 けど、すべての人がそうだったわけじゃ無い。本当に心から飛竜を愛し、大切に思うものもいた。だから――」


「だが、人の社会は何一つ変わらない。その飛竜を愛すという者達は何をした?

 何もしていな。ただ社会の中で流されるままだ。現状に見向きもせず、見て見ぬふりをする。そんな奴らが何だと言うだ!」


「そうだな。だがそれはお前も同じだ。何もせず、この狭い部屋に留まるだけだ。何もしていない……私も、同じだがな。

 それで、どうなるんだ? 人一人殺したところで、世界は変わるのか?」


「すべての人間が死ねば、我らをしいたげるものはいなくなる」


「かもしれないな。けど、その前にお前や、お前に関わる多くの者が殺されるだろ。お前はそれを望むのか?」


「何が言いたい?」


「私にはまだ、どうすればいいかは分からな。これが正しい選択なのかも。けど、竜を愛するものが居るのなら、彼らと共に歩めれば、現状を変えられるかもしれない。

 人の社会なら、人に手によって変えられるはずだ」


 アルミメイアの言葉に竜は静かに笑う。


「そんなものは幻想だ。今でさえ何も変わらず、人は竜を顧みず、人の都合の良い社会だけを築いている。それが今更どう変わると言うんだ。共存などあり得ない。

 それは、もう遅い……」


 竜は冷たく諦めた様な声で答えを返した。


「向かって左に有る通路を進めば、地上へ出られる。コボルド達も知らない道だ。

 不愉快だ。俺の前から消えろ!」


 お前とはもう話す事は無いと言う様に切り捨て、竜は元いた部屋の最奥へと戻っていく。


「アーネスト、行くぞ」


 部屋の奥へと戻っていく竜を見届けると、アルミメイアは静かにそう告げ、手を差し出してきた。


 アーネストのアルミメイアの手を取り立ち上がる。アーネストが立ちあがると、アルミメイアは静かに竜から背負向け、竜が示した道へと歩き出した。アーネストもそれに続き歩き出す。


 一度、振り返り竜の方を見る。遠目に見る竜が居る部屋は、酷く冷たく、そこで眠る竜の姿は酷く孤独なように見えた。


「小娘。人と竜との道は分かれた。もう止められない。忠告だ。もしお前が人に肩入れすると言うのなら、お前はお前の手で竜を滅ぼすことに成る」


 最後に竜は、立ち去るアルミメイアにそう告げたのだった。



   *   *   *



 暗闇に閉ざされた道を、小さな明かりを頼りに進む。竜が告げた様に、コボルド達がその道へと追ってくることは無かった。


 静かに足音だけが響く。竜から離れてからずっと、アルミメイアは口を開くことは無かった。そして、声のかけづらい空気が静寂を呼んでいた。


「なあ、アーネスト。私はどうしたらいいのだろうな?」


 最初に静寂を破ったのはアルミメイアからだった。


「私は、母様が語ったこの国の話が好きだった。母様の語った理想が好きで、母様の語った人間が好きだった。だから、ここで、母様の語ったものとは違う現実を見せられても、もしかしたらって思えた。

 けど、この地に住み、この地で人間と暮らした者から、それは幻想だと言われた……。今は、あいつが語ったことが、真実なんじゃないかって、思えてしまう」


 アルミメイアは足を止め、アーネストの方へと向き直った。


「私は……まだ人の事が良く判らない。私は……人を、お前を信じしていいのだろうか?」


 アルミメイアは首にかけたペンダントを握りしめ、浮かない表情で此方を見上げていた。その瞳は、不安で揺れていた。


 アーネストも足を止める。そして、言葉を探す。


 アーネストはアルミメイアの前で、飛竜が好きだと語った。それに偽りはないと思っている。けれど、彼らの為に、本気で何かをした事は無い。アルミメイアの問いである『正しい人と竜のあり方』と言う問いに、未だ答えを出せていない。そんな自分だからだろう、今のアルミメイアと、先ほどの竜の言葉に上手く答えを返せなかった。


「悪い。今のは忘れてくれ」


 言葉に迷うアーネストを見て、アルミメイアはそう言う。そして、言葉を返せないアーネストの罪悪感を拭う様に、軽く笑った。


 作り物の笑顔。そう分かるものだった。目の前の幼い少女にそんな表情をさせる自分が許せなかった。


「俺は、君とシンシアが好きだ。だから、君が望むもの、望むこと、それにすべてを叶えたいと思っている」


 何の根拠も保障も実績もない言葉。そんな言葉しかかけられない自分の不甲斐無さを後悔しながら、こんな言葉しかかけられない自分を許してくれと願った。そして、その言葉に偽らないと胸に誓った。


 アルミメイアはアーネストの言葉に答えを返す事は無く、静かに背を向け、再び歩き出したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る