第9話「忘れられた伝承」
ファザーと呼ばれた老人に連れられ向かった先は、村の外れにある小さな石造の教会の様な建物だった。
村から外れ、周りに建物などは無く、突き出した岩場の上に、ぽつんと一軒だけ立つその建物は、少し不思議な雰囲気を醸し出していた。
「ここなら村の者はほとんど来ることは無い。大きな問題が起こる事は無いじゃろ」
教会の様な建物の扉を開き、老人は中へ入るように促す。
「あなたはこの村の者……なんですよね?」
出会って間もない老人。それも竜騎士を敵視しているこの村の住人である老人が、自分たちを匿う様な行動を取る事に少し疑問を感じ、アーネストは尋ねた。
「そうじゃが?」
「あなた方は私達竜騎士を敵視いているはずでは? ならなぜ庇う様な事をするのですか?」
「その事か……。確かにこの村の殆どの者は、お主ら竜騎士達を敵視しておる。じゃが、同時に争いを望まぬ者も多くいる。わしもその一人と言う事じゃよ。さ、中へ入りなさい。こんなところに突っ立っているわけにもいかんだろ」
老人に促されアーネストとリディアは教会の中へと入る。一応老人は争いを望まないと口にしたけれど、念のため辺りを警戒しながら中へと入る。
教会の中は外から見た通りの大きさの礼拝堂だった。
長椅子がいくつか並び、部屋の最奥には祭壇がおかれ、祭壇の上には灰の竜を模したと思われる小さな石細工の竜が安置されていた。そして、祭壇の奥、部屋の最奥の壁には、大きく卵を抱えた竜の彫刻が刻まれていた。
それは、細部こそ異なるものの、竜騎学舎の裏手の山奥にあった古の竜達の神殿に刻まれた竜の彫刻と同じ形のものだった。
「アプス=レティス……」
壁に刻まれた竜の彫刻を目にし、アーネストは思わず、つい最近耳にしたばかりの名を口にしてしまった。
「ほう。その名を知っているとはな。最近の竜騎士は勤勉なのかな?」
アーネストが竜の神の名を口にすると、アーネスト達の後に続き、教会の扉を閉じながら入ってきた老人が、感心したような声を上げた。
「アプス=レティスとはなんですか?」
近くで聞いていたのだろう。リディアは竜の神の名に心当たりがないらしく、尋ねてきた。
「竜族の神の一柱、らしい……詳しくは知らない」
リディアに尋ねられ、アーネストは至極簡単にだけ答える。
「彼の神の名を知っているだけで驚きじゃよ。もう、人間でその名を知っている者はいないと思っていたのじゃがな。お主、その名、どこで聞いた」
「竜族に詳しい友人が教えてくれました」
「ほう、それはすごいな……」
アーネストの返答に、老人は酷く驚いた表情を浮かべた。
「そんなに驚かれるような事なのですか?」
「わしの知る限り、彼の神に関わる伝承を、人の字で記したものは存在しなかったはずじゃ。そのすべては
今のマイクリクスに竜言語を理解できるものなどいないと思っておったが……彼の神の名など、誰も知らないと思っておったのじゃよ」
「そう……ですか」
竜言語。古の時代、竜族達が用いた文字、言葉と言われる失われた言語の一つ。歴史は非常に古く、同様に長い歴史を持つエルフ語の元となった言葉と言われるほど古い言語だと言われている。同時に、エルフ語と似通っている事と、現在確認されている竜族で言語を話せるものが殆ど存在せず、竜言語を話すものは存在しないため、竜言語はエルフ語の古字で、竜の言語など存在しないとも言われている。
ふと、老人の話を聞き、気になる点にぶち当たる。
「この教会は『灰の竜』を祀る教会ですよね?」
「その通りじゃが……それがどうかしたか?」
アーネストは教会の祭壇に目を向ける。祭壇には確りと『灰の竜』を模した小さな石像が置かれている。けれど、それ以上に、竜の神アスプ=レティスの彫刻の方が遥かに大きく、目立っている様に思えた。
多くの神々は神と神の間で深い関係を持っている事は多くあり、一つの神の教会で、関係する別の神のシンボルなどが刻まれている事は良くある。けれど、その神の神格がどれほど強かろうと、別の神の教会で、祀られている神以上に目立つようなシンボルや偶像が置かれる事は基本的にあり得ないはずだった。
「なるほど……お主は随分と勤勉なのじゃな」
アーネストが向けた視線を辿り、老人もまた祭壇へと目を向け、老人は何か納得したようにうなずいた。
「『灰の竜』とは神ではなく、守護者じゃよ。彼の竜はアプス=レティスに連なる竜の一体に過ぎんよ。じゃから、この教会は一個の竜にすぎない『灰の竜』より、主神であるアプス=レティスの方が目立つ作りになっておる」
説明を終えると老人は歩きだし、礼拝堂の奥に備え付けられた扉の前に立つと、
「こっちじゃ」
と促した。アーネストとリディアは、老人に促され、礼拝堂の奥へと進む。
礼拝堂の奥の扉の向こうは、教会の小さな居住区だった。
「ファザーお帰り」「お帰りなさい、ファザー」「おかえり」
老人、それからアーネストとリディアの三人が教会の居住区へ入ると、そこには多くの子供たちがおり、老人を迎えていた。
小さな居住区に、子供はざっと十人ほどおり、中には幼児の姿もあった。
「ファザー、お客さんですか?」
子とも達は、老人の姿を認めると、次にアーネストとリディアの方へと目を向けた。
「ああそうだ。だからお前たち、今日は少し静かにしていなさい」
「「は~い」」
老人がそう告げると、子供たちはそろって返事を返した。そして、老人を迎えるため、居住区の入り口に集まっていた子供たちが、散り散りになっていくのを見届けると、老人は歩みを進め、居住区の奥に備え付けられた小さなテーブルと机の傍へと歩み寄り、
「大した持て成しなどできませんが、まぁ座ってください」
椅子に座るように促した。
「えっと、お邪魔します」「失礼します」
アーネストとリディアは促されるまま、断りを入れ、とりあえず席に座る。二人が席に着くのを見届けると、老人も空いた席に腰かける。
「あの~。私達は、この村に物資の買い付けに来たのですが、それに付いてはどうするつもりですか?」
老人に促されるままこの場所まで来て、安全は確保できたものの、ここでは目的の物資などを購入出来るようには見えなかった。一向に買い出しと言う目的の達成へと至りそうにない事に不安を感じ、アーネストは老人に尋ねた。
「おお、そうじゃったな。お主の話に夢中になって、忘れるところだったわい。ちょっと待っておれ。
お主、買うもののメモを、少し貸してくれぬか? それから費用も頼む」
老人はそう言って立ち上がり、メモと費用を求め、手を差し出してきた。アーネストはそれに従い、とりあえずメモと買い出しの費用を渡す。
メモを受け取ると老人は「シーザー、カール」と二人の子供の名を呼んだ。
名前を呼ばれると、直ぐに子供たちは聞きつけ、老人の傍まで駆け寄ってくる。
「お前たち、お使いじゃ。子供たちを連れ、今から言う品を揃えて来るのじゃ。――」
老人は、集まった子供たちに買い出しの品を伝え、買ってくるように伝える。子供たちは老人の言葉を確りと聞き取り、頷くと、老人から買い出しの費用を受け取り、お使いに出ていくのか、他の子供たちを連れ、教会の外へと駆け出して行った。
「これで、お主たちの欲しいものは手に入るじゃろ」
子供たちを見送ると、老人は再び席に着いた。
「よかったのですか? 私達の仕事を代わりに引きくけてしまって」
「さっきも言ったであろう。わし等は争いなど望んでおらぬ。争いが避けられぬのなら、協力するさ。
それに、子供らをただここで遊ばせておくより、適度にこうして仕事を与えた方が、子供たちの為になるじゃろ」
出て行った子供たちの姿を追うかのように、老人は窓の外の景色に目を向けた。
「あの子供たちは?」
買い出しと言う仕事がなくなり、何もすることがなくなってしまったアーネストは、少し気になった点を尋ねた。
教会とはいえ、人口二百人程度の村にしては子供が多く集まりすぎている気がした。
「孤児じゃよ」
「孤児、ですか……それにしても数が多すぎる気がしますが……」
アーネストが尋ね返すと、老人は一度ため息を付いた。
「皆孤児じゃよ。ここ最近、飛竜が人を襲う事件が多くてな。それで親を失い、家族を失った孤児たちじゃ」
「飛竜が人に敵意を持っている」そう口にしたヴェルノの言葉が思い出された。そして、それがこうも大きな被害を出していたことに驚き、同時にショックだった。
「お主ら、わし等がなぜ竜騎士を、王国の者達を恨むか分かるか?」
何かを試すように老人はそう問いかけてきた。
「それは、私達竜騎士が、昔、あなた方の神、守護者を殺したからでは?」
「そんなものは、ただの建前にしかすぎんよ。
本当は、ただ怖いだけなんじゃ。飛竜と言う圧倒的な力を持った捕食者が、直ぐ傍で暮らし、その制御されない力が、自分たちに向けられるのが。
その、耐えようのない不安と恐怖の捌け口として、お主ら竜騎士と王国の者達が選ばれた、ただそれだけじゃよ。
ちょうどいい理由もあるしの。お主ら竜騎士が、守護者を殺し、それによって箍が外れた飛竜達が自分たちに牙を向けた。だから、お主らが悪い。とな」
「竜族と人との関係は、神聖竜レンディアスとの盟約で保たれているはずです。そこに、守護者がどうだと言う話はなかったはずです」
老人の話に、反論を挟んだのはリディアだった。そして、神聖竜の存在に懐疑的だったリディアが、その名を口にした事に少しだけ驚かされた。
「そうじゃな。しかし、現に飛竜はわし等に牙を向いた。目に見える形で効力を見せぬ盟約など、無いに等しい。
それにな、千年前に一度だけ現れた竜より、長年傍に居て守護し続けてきた守護者の方が、わし等にとって馴染み深く、尊い存在じゃ。この村に、神聖竜の名を知るものなど、どこにもおらぬよ」
「けれど、そうかもしれませんが、この地はマイクリクス王国の一部です。この地が繁栄、保たれてきたのは、神聖竜の力が、王国の力があったからです。ですから――」
「事実はどうあれ、わし等にとって、この地で暮らしてこれたのは『灰の竜』の力があったからじゃ。みな、そう思っておるのだよ。正確な事は、誰も求めておらぬ。
そして、今、飛竜の脅威を止める事の出来ていない、竜騎士も、王国も、神聖竜も、信用していないのじゃよ」
老人に反論され、リディアは目を伏せ、悔しそうに拳を握った。
「なら、あなた方は、飛竜達の脅威にどう接していくつもりなのですか? 今まで守護していた『灰の竜』は、もういませんよね」
口を閉ざしたリディアに代わり、アーネストが尋ねる。
「さあ、どうすればいいのかね。それが分からぬから、皆不安になり、恐れ、やり場のない思いを、怒りとして、お主らにぶつけているのであろう」
老人は静かに答えた。
「それでは、何も解決しませよ」
「そうじゃな。じゃが、現状を変えられるだけの力を、誰も持ち合わせてはおらぬのじゃよ。残念ながらな」
老人は諦めにも似た言葉を返した。
「お主は、どうしたらいいと思う? この状況を変えるには」
そして、老人はアーネストにそう問いかけてきた。老人の目には、何処か諦めた様な、達観した目をしていた。
その問いにアーネストは、
「……分かりません」
うまく言葉を返すことができなかった。
人と竜、その二つ関わりに対する問題に対する答えを、アーネストは導き出すことができなかった。
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