第19話「わたしの意地」

 目の前に赤い炎が広がる。唐突に現れた炎を強引に避けようとし、悪竜は体勢を大きく崩す。その隙を見逃さず、ヴェルノはガリアを走らせ、追撃をかけさせる。


 まだ熱い熱が残る空気を突き抜け、悪竜の至近距離まで一気に近づき、ガリアは食らいつく。


『ガアアアアア!』


 ガリアの鋭い牙と力強い顎が、悪竜の鱗を砕き、肉を引き裂く。赤い鮮血をまき散らしながら、断末魔に似た咆哮を上げ、もがく。それでもガリアは悪竜を離すことは無く、牙を食い込ませる。


『『グオオオォォ!』』


 悪竜に噛みつき動きを遅くしたガリアへと、他の悪竜達が群がる。


 それに対しヴェルノは後方――悪竜達が襲い掛かってきている方向へと竜銃を向け、引き金を引く。


 引き金を引くと撃鉄が下ろされ、そこから連動するように竜銃の銃口から放射状に、ガリアのブレスと似た様な灼熱の炎が噴き出す。


『『ガアアアア!』』


 炎に煽られ、悪竜達は悶えるような咆哮を上げ、力を失い落下する。けれど、それで致命傷ということは無く、大きく高度を落としたのち体勢を立て直し、再びヴェルノ達を取り囲むように旋回していく。


 骨を砕く鈍い音と、肉を断ち切る音が響く。ガリアが悪竜の首筋を噛み千切った音だ。噛み千切られた悪竜は、そのまま力を失い、地上へと落下する。


 噛み付いていた、重たい重しが無くなるとガリアは一度大きく羽ばたき高度を上げ、体勢を立て直すとともに、赤い返り血を塗りたくった口を大きく開き、威嚇するように大きく咆哮を上げる。


『グオオオォォ!』


 ガリアの咆哮に気圧されたのか、悪竜達はガリアから少し距離を取り、隙を伺う様に旋回をする。


「これで諦めてくれれば楽なんだがな……」


 額に浮かんだ汗を、竜銃を握る手の甲で拭いながらヴェルノは呟く。


 上下、左右、後方と未だに多くの悪竜の姿が見えた。


 ヴェルノとガリア、それからもう一騎の竜騎士が、襲われていた学生達と合流してから、先ほどので合計三体ほど仕留める事ができた、けれど悪竜達は未だに諦める事は無く、狙いをこちらへと向けていた。


 編隊の方へと目を向ける。学生達を含む竜騎士九騎は未だ健在だった。けれど、その様相は酷く不安を感じさせるものだった。


 度重なる悪竜達のブレス攻撃に煽られ、蓄積したダメージによりよろめき、少しずつ少しずつ編隊の移動速度は落ちて来ていた。そして、それらの騎竜に乗る竜騎士体の表情はすぐれず、耳に付けた通信用の魔導具からは、各々の荒い息遣いが聞こえてきた。


 戦闘が開始されたから、まだそれほど時間が立っていない、それでも四方八方常に気を配りながらの戦闘はこたえるのか、疲労は相当なものとうかがえた。


 あと少し、耐えればいい。そのあと少しが、酷く長く思えた。適確に相手を追い回し、一気に踏み込んで来ようとせず、じわじわと安全に嬲り殺す。それは今まで耳にしてきた悪竜の狩りの方法とは、まったく異なるものだった。そしてそれは、酷く嫌な不安を煽るものでもあった。


『グオオオォォ!』


 ガリアが大きく咆哮を上げ、ヴェルノの施行を中断させる。視界の端に、下方から編隊の丁度死角に付くかのように、急上昇し踏み込んできていた。


 ガリアはそれにいち早く気付いたのか、咆哮を上げるとともに、ヴェルノが指示を出すよりも早く、踏み込んでくる悪竜の方へと舵を切り迎撃に向かう。


「へ、こいつ……」


 久々の実戦。そうであるにもかかわらず、周囲の状況把握能力に、ヴェルノの先読むように動くガリアの動きは、かつて共に戦場を駆けまわった頃となんら遜色なく、衰えを一切感じさせなかった。その事が少しだけうれしく思えた。




「メルディナ! 十時の方向」


「学生ども、八時の方向! 気を付けろ!」


「クリフォード君、お願い!」


 目まぐるしく指示が飛び交い、囲う様に飛びまわる悪竜達が編隊の傍をかすめ飛び、その都度連携して迎撃を行う。


 目で追うのでも精一杯で有るにもかかわらず、上下左右からくる悪竜の動きに思考が追い付かず、リディアは少しずつ、少しずつ周りが見えなくなり、状況が分からなくなっていく。


 それでもどうにか追いつこうと、目を走らせ、思考を巡らせていく。



「そこの女子学生! 右だ、避けろ!」「リディアさん! 避けて!」



 護衛の竜騎士とメルディナの二人の声が同時に大きく、耳に付けた魔導具から響き渡る。


「えっ」


 言われた方向へと目を向ける。白い冷気の靄がかかった向こうから、鈍く青白い鱗に覆われた悪竜が、すぐ近くまで迫っており、口を大きく開き、その霜の降りた鋭い牙をリディアへと向けていた。


 鋭い歯がリディアへと振り下され――そこで、リディアは恐怖から目を逸らすように目を閉じた。



 ガリと固いものが擦れる嫌な音が響き、その直ぐ後に衝撃が騎竜であるヴィルーフを伝い、響く。


 ガクンとヴィルーフが一度体勢を崩し身体を揺らす。そして、どうにか踏みとどまり、すぐさま立て直す。


「らああああ!」


 オズウェルの声が直ぐそばと、耳に付けた魔導具からと二重に成って響く。


「馬鹿野郎! ランスから手を離せ、そのままだと振り落とされるぞ!」


 すぐに死をもたらす痛みが襲うことは無く、代わりに怒鳴る竜騎士の声が響いた。


 ゆっくりと目を開く。目の前には、大きくバランスを崩したオズウェルとその騎竜の姿があった、その直ぐ前方に、竜騎士用のランスを咥え、体勢を崩しながら首を大きく振る、先ほどの悪竜の姿があった。


「へへ、何とか間に合ったぜ」


 どうやらリディアに攻撃が届く前に、間にランスをすべり込ませ、防いだようだった。


「オズウェル。よくやった」


 ガリアに騎乗したヴェルノが、下方から滑り込むように滑空し、ランスを咥えた悪竜の後方へと回り込むと、器用に旋回し悪竜へと一気に距離を詰めると、食らいつく。


『ガアアアアア!』


 悪竜が痛みに悶え咆哮を上げる。



「だ、大丈夫?」


 ガリアに食らいつかれ悶える悪竜を見届けると、心配するような声でフィルが声をかけてくる。


「だ、大丈夫。問題ない」


 唐突の出来事でどうしようもない程に上がった息をどうにか整えながら、答えを返す。


「周り、見えてないみたいだけど……」


「少し、混乱しただけですよ。大丈夫」


 どうにか気丈に振る舞って見せ、小さく歯ぎしりをする。



 不甲斐無い。そう自己嫌悪を募らせる。


 戦いに参加するために竜騎士を目指したわけでは無い。けれど、目指すからには全力で恥じない様にして来たつもりだった。戦えと言われれば戦うし、行けと言われれば死地へでも向かう覚悟はあったつもりだった。


 けれど、実際の戦場に立たされた時、何もすることが出来なかった。戦場の空気と恐怖に飲まれ、動揺し何もできなかった。


 まだ学生で、猶予期間であるため、失敗は許されるのかもしれない。それでも、今動けないという事は、実際のその時が来た時に動けるという保証はない。むしろ、動けないという可能性の方が大きいと思えてしまった。



「リディアさん。もし、混乱するようだったら、俺の声に従って、先導するから」


 気遣うような声で、フィルは提案する。



 それどころか同年代の相手に気遣われてしまった。



 これではまるで、侯爵の娘の肩書を下げたままの、何もできなかった頃と何も変わらないではないか。



 顔を伏せ、強く唇を噛む。



「マーティン! リディア――」


『グオオオォォ!!』



 クリフォードの叫び声と、それを覆い被せるような悪竜の咆哮が響き渡る。上方から悪竜が急降下して襲い掛かって来たのだ。


 フィルとリディアはどうにかそれに気付き、即座に回避行動を取らせる。急な事で、少しだけバランスを崩させる。それはフィルの方も同じらしく、フィルの騎竜もバランスを崩しよろめく。けれど、それでどうにか急降下してきた悪竜の攻撃は避ける事ができた。


 しかし、攻撃を仕掛けてきた悪竜は一体だけではなかった。少し編隊が崩れたすきに、二体、三体と続き、襲い掛かってくる。狙いは体勢を大きく崩し、編隊から少し外れたフィルだった。


 一体、二体と続けざまに、高速でフィルとの距離を詰め、食らいつこうとしてくる。それをフィルはどうにか躱そうとさせるが、その代償として今以上に体勢と、編隊からの距離が遠ざかる。そして、完全に体勢を崩し避けられなくなったところに、最後の悪竜が攻撃を仕掛け、フィルの騎竜の胴体に牙を突き立てさせる。



『グガアアアアア!!』



 赤い鮮血が飛び散り、聞いた事のないような飛竜の叫び声が上がる。



「クリフォード君、そっち!」


「オズ! 大丈夫か!?」


「クッソ、こいつら!」



 助けを求め、周りへと目を向けようとした時、耳に届いたのは非常な叫びだった。


 一気に畳み掛け、編隊を崩しにかかったのか、耳に付けた魔導具から、目の前の状況とは違う状況への対処を求める声が響いた。


 目の前で、フィルとその騎竜の姿が少しずつゆっくりと遠ざかっていくように見えた。



 また、何もできなのだろうか?



 恐怖で竦み、身体が固くなっていくのが分かる。



 竜騎士に成ると言いながら。何もできないまま、ただ見ている事しかできないのだろうか?


 何もできない人形の様な、小娘のままなのなのだろうか?



 違う! そんな私を変えたくて、変えるために此処へ来たんだ! だから――



『ヴィルーフ!!』



 自らを鼓舞するように、精一杯の声でリディアは叫び、鐙を蹴る。ヴィルーフもリディアの意志をくみ取ったのか大きく咆哮を上げると共に大きく羽ばたき、目の前の30ftほど先のフィルの騎竜に噛みつく悪竜へと突撃をかけた。


 別の悪竜がヴィルーフに攻撃を咥えようと迫る。それをヴィルーフは器用に躱し、騎竜に食らいつき、動きが鈍くなっている悪竜の背中から、翼の付け根ごと首筋に食らいつき、足でア悪竜の胴体を引き裂く。


『ガアアアア!』


 悪竜は叫び声をあげ、噛みついていた飛竜を離す。


 拘束が解かれた飛竜はよろよろと離れ、どうにか体勢を立て直してく。


「ヴィルーフウゥ!」


 怒りにも似た叫び声を上げる。それに応え、ヴィルーフは力一杯首を振り、悪竜の肉を引き裂く。


 噴水の様に血が吹き出し、少しずつ悪竜の動きが遅くなっていき、最終的に事切れた様に動かなくなり、落下する。


(まずは一つ)


 戦える。そう、勇気が沸く。気が付くと先ほどまで固まっていたはずの体が、血が通ったかのように解れ始めていた。


 リディアは小さく笑みを浮かべた。


 

 私はちゃんと戦える。



「アルフォード!」



 視界の端に何かが掠め、そして――



 リディアの体が騎竜であるヴィルーフの背中から離れ、宙を舞っていた。


 目の前に粉々に砕けた騎竜用の鎧の破片が浮かび、手には空しくその役目を果たさなくなった手綱が握られていた。


 一瞬、頭の中が真っ白になる。何が起きたのか理解できなかった。


 視界の端に黒い鱗――ヴィルーフの姿が映る。ヴィルーフは先ほどとは別の悪竜に噛みつかれ、もつれ合っていた。


 少しずつリディアの体が重力に引かれ、自由落下を開始する。まだどうにか羽ばたき揚力を持つヴィルーフとの距離が開いていく。ヴィルーフは悪竜を引きはがそうとしながら、リディアの方へ視線を向けもがいていた。けれど、ヴィルーフの抵抗はむなしく、とどめという様に別の悪竜がヴィルーフに攻撃を仕掛け、食らいつく。


 黒く美しいヴィルーフの鱗が砕かれ、その下から赤い血が噴き出す。


「や、め、ろ……」


 自然と声が漏れ、ヴィルーフへと手を伸ばす。


「アルフォード!」


 上方から赤い竜騎士の姿が見える。


 ヴィルーフの影から三体目の悪竜が姿を現し、羽をたたみリディアに向けて急降下を始める。


「アルフォード!」


 赤い竜騎士が叫ぶ。けれど、距離は遠く間に合いそうになかった。


 竜騎士の装備のベルトに仕込まれた『軟着陸フェザー・フォール』の魔法が起動し、ふわりと浮く感覚に包まれる。


 悪竜がリディアの直ぐ傍まで距離を詰め、口を大きく開く。


 悪竜が吐く冷たい吐息が肌にあたる。


 鋭く大きな牙が目に入る。


 はっきりとした死が目に入る。



 ここで、死ぬの?



 どこか他人事のような疑問が頭に浮かぶ。



(私は……)



 悪竜の牙がリディアへ向けと振り下される。そして――リディアは目を閉じた。



『グオオオォォ!』



 遠くで飛竜か悪竜の咆哮が響き、

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