第5話「アルミメイア」

 新学期が始まってから一週間が経ち、最初の休日が訪れた。


 アーネストの授業に対する生徒たちの態度は変わることはなく、むしろ初日の授業の影響で悪化の一途を辿っていた。


(どうしたものかな……)


 生徒たちの対応に頭を悩ませながら、アーネストはマイクリクス王国王都デルタスの街の中を歩いていた。


 アーネストには生徒たちの他にもう一つ抱える問題があった。それは日用品の問題だ。


 アーネストが元いた騎士団から、こちらへと移動する際必要最低限のものは持ってきたつもりだったが、いざ生活を開始してみればあれこれと足りないものが出てきてしまったのだ。そのためこうして、休日を利用して日用品の買い出しの為、街へと繰り出していた。


 そして、その日用品を済ませた今は、明日から再開される授業の事を本格的に考え始めていた。


 茜色に染まり始めた空を眺めながら、アーネストはお昼の時にパン屋で買った、グリッシーニと呼ばれる細長い棒状のパンをポリポリと齧っていた。パンを齧りついて食べるのはマナー違反上、食べ歩きなどはしたない事この上ないのだが、気にしないで置くことにした。どうせ自分は田舎貴族の息子で、育ちもそれほど良いわけではないのだ。



『ああ!? 金がねえだと!! ふざけんなよ、クソガキ!!』



 自分の少し他人に見せられないような姿を気にしながら、通りの端を歩いていると、遠くから響くような怒鳴り声が聞えてきた。


 どうせスラムの子供が食い逃げか、万引きを失敗させたのだろう。


 そう思い、余り関わらないようにしようと考えながら、念のため確認をと思い視線を声のした方向へと向けると、想像していたものとはすこし違ったものが目に入った。


 エプロン姿の筋骨隆々の男が、十二歳くらいの少女を怒鳴りつけていた。エプロンをつけた男は、男の後ろに映る食べ物屋の店主だろう。そして少女は、食い逃げか万引きを失敗させた少女なのだろう。


「お金とやらが必要だとは知らなかったんだよ!」


「知らないで済まされるわけねえだろ!」


 食べ物屋の店主が万引き犯の子供を捕まえて絞り上げる。そんな光景だった。けれど、怒鳴られている少女は想像していたものよりはるかに清潔感があり、とても食い逃げや万引きをするような者には見えなかった。


 微かに虹色を見せる白銀の綺麗な髪に、小奇麗な衣服に青白いローブ。そこにいたのは先日、竜騎学舎の城門で目にした少女の姿だった。


「ないものはないんだから、出しようがないだろ!」


 強面の店主に怒鳴られているにも関わらず、少女は勇ましいことに言い返していた。


「ないならないで、代わりの物で払ってもらおうか。そうだな……そのペンダントとかなら金になるだろ」


 店主は一度少女のつま先から頭を順繰りに眺め、金目のペンダントへと目線を向ける。そして、そのペンダントを奪い取ろうと腕を伸ばした。


 パシン。少女は店主の腕を思い切り弾いた。


「触れるな!」


 少女ははっきりと拒絶の言葉を口にした。


「ヤロウ。ふざけるなよ……」


 少女の態度に、店主は激高し拳を握りしめる。


 見ているだけで危なっかしい光景に、アーネストは見かねてゆっくりと近付き、店主に声をかけた。


「何があったんですか?」


「外野は黙って……ろ」


 怒りを振り回したまま店主は振り返り、声をかけたアーネストを目にして、驚きの表情を浮かべるとともに、怒りの勢いを落としていく。


「こ、これは、これは貴族様。なに、ちょっとしたトラブルですよ。あなた様が関わる事じゃありません」


 店主は先ほどまでとは全く違う態度で答えを返す。


 先ほどまでのアーネストの振る舞いは貴族と呼べるようなものではなかったが、それでも着ている衣服などは貴族と分かる服装であるために、店主はアーネストを貴族として認識してくれたようだ。


 アーネストはあまり貴族として特別扱いを受けることは好きではなかったが、ただの一般人として話を聞こうとしたら相手にされなかっただけに、こういう時は有難いと感じる。


「いいから話してくれ。何があった」


「こ、このガキが、うちで飯食ったにもかかわらず、金がねえって言うもんで、とっちめてたところですよ。なに、貴族様が関わる事じゃありませんぜ」


 店主はおずおずと答えを返す。想像していた通りの答えだった。


 アーネストは店主の答えを聞きながら少女の方へと視線を向ける。少女はその視線に、ギロリと鋭い視線を返してきた。


 黄金色の鋭い瞳。先日目を合わせたとき全く同じ瞳だった。それだけに何の接点も無いのに関わらず、なぜか放って置けない気がした。


「店主、いくらだ?」


「へ」


「彼女が口にした食事の代金だ」


「え、あ、銀貨六枚です」


「うっ」


 アーネストが代わりに払おうと、財布を取り出し店主に値段を尋ねると、想像以上の値段が返ってきた。


(こいつ、どれだけ食べているんだ……銀貨六枚とか、貴族の食事でもそんなにしないぞ)


 示された値段にためらいが浮かぶが、アーネストは一度ため息を付き店主に向かって金貨一枚を放り投げた。銀貨六枚食事の代金にしては多い金額。


「迷惑料だ。貰っておけ」


 アーネストはそう告げると、店主とアーネストのやり取りを眺めている状況を読み込めて居なさそうな少女の手を取り、その場を後にした。


 金貨を受け取った店主は驚きの表情を浮かべ、一度アーネスト達を静止する声を上げたが、追ってくることはなかった。



 アーネストは少女の手を引きながら歩き、気が付くと街の広場に出ていた。


「いつまで握っているんだ」


 少女は広場まで来ると手を振り、アーネストの手を振り払った。


「あ、わるい」


 アーネストは手を引っ込める。少女に手を振り払われた事で、我へと返った。


 改めて考えると、見ず知らずの少女を庇うだなんてバカなことをしたなと、反省をする。けれど、してしまったことは変わりないので、このまま放りだす事には気が引けてしまう。


(とりあえず、説教の一つでもして終わりにするか)


 少女に対してこれからどうするべきかを考え、結論を出すとアーネストは口を開いた。


 キュルルルゥ。けれど。アーネストが発しようとした声は、少女の可愛らしいお腹の音によってかき消されてしまった。


「し、しばらく何も食べてなかったんだ。許してくれ」


 お腹を鳴らしたことに、恥ずかしさを覚えたのか少女は頬を赤くして、言い訳を口にした。


 そんな少女の態度に、さっそく怒る気力も削がれてしまう。


「これ、食べるか?」


 アーネストは手持ちの荷物の中から、昼食の為に買ったパンの残りを差し出す。


「い、いいのか? お金とかいうのを払えって言うなよ?」


 パンを差し出すと少女は驚きの表情と共に、パンとアーネストの顔を交互に見比べ、警戒の色を強くする。


「言わないよ。処分に困ってた所だから、ただでいいよ」


「そ、そうか」


 少女はアーネストの了承を得ると、素早くパンを手に取り、一度アーネストに目線を投げたあと、テトテト広場の端に駆け寄り、腰の高さくらいの塀の上に腰を降ろすと、手にしたパンにかぶりついた。


 アーネストも少女を追って広場の端へと歩き、塀の上に腰を降ろした。


 そしてしばらくモソモソとパンを食べる少女の姿を眺める。少女は一度アーネストに視線を返すと、食べているところ見られたくないのかそっと背中を向けるように、姿勢を整える。


「なあ、お前――」


「お前じゃない、アルミメイアだ」


 ただ眺めていても何も始まらないと思い、アーネストは話の取っ掛かりを探すため口を開いたが、質問を言い切る前にアルミメイアと名乗った少女に、鋭い言葉と共に遮られた。


「ああ、悪い」


(アルミメイア……聞きなれない名前だな)


 アルミメイア。聞きなれない名前に、いくつかの疑問と共に彼女の素性が少しだけ見えてきた。


 おそらく彼女は王都、もしくはマイクリクス王国出身の者ではないのだろう。また、遠目に見ただけではわからなかったが、猫の様に縦に細長く割れたような黄金色瞳は、人のそれとは大きく違っていた。もしかしたら彼女は何らかの亜人種なのかもしれない。


「アルミメイアは……人間なのか?」


 亜人種の中には差別などに過敏になる者がいるため、注意を払いつつ尋ねる。


「は? 見ての通り、人間だろ」


 アーネストの問いに呆れたような声と、訝しげな視線でアルミメイアは答えを返し、自分の姿かたちが人間であることを示すかのように両手を広げた。


 アルミメイアが示すように、彼女の体からは瞳を除いて人とはものと見られないものは見当たらなかった。


(ハーフかクォーター……か? まぁ、どうでもいいか)


「アルミメイアの両親は今何をやっているんだ?」


 一度空を見上げ、沈みゆく太陽を眺め、そろそろこのままにしていてはいけないという思いから、親の所在を聞き出そうと尋ねる。迷子にしろ、そうでないにしろ親元に届けなければいけない時間だ。


 アーネストが尋ねると、アルミメイアはピタリと動きを止め、警戒をあらわにする。


「なんでそんなことを聞く?」


「もう帰らないとまずい時間だろ。それに、食い逃げをしようとする子供は、親に叱ってもらわないといけない」


 アルミメイアがなぜ警戒をしたのかはわからないが、気にすることでもないと思いアーネストは話を続ける。


 アーネストの言葉に対しアルミメイアは困ったような顔をする。


「私の親は……近くにはいない」


 アルミメイアは少し考え、言葉を選ぶようにして答えを返してきた。


「親が近くにいないって……一人で生活しているのか?」


「そうだ」


「お金が無くてそれって……ああだからか」


 どうやらアルミメイアに関する状況は思っていたものより、面倒な状況の様だった。


「頼れる親戚とか、知り合いはいるのか?」


「そんなものはいない」


 アルミメイアの返答に、アーネストは思わず頭を抱えそうになる。


「まさかとは思うが、住む家は……」


「あるわけないだろ」


「マジか……」


 愈々をもって面倒な拾い物をしてしまったと後悔の念を強くする。


 親元を離れ、知らない街でただ一人。家出かその類だろう。住んでいた街や村から多少遠出した程度ならまだ何とかなったかもしれないが、ここまで来ていまったら一人ではそう簡単に帰れはしないだろし、親の迎えも期待できそうにない。そんな人間が行きつく先はスラムくらいしかない。


 チラリと少女の姿を見る。丁寧に手入れがされた髪に、質素な物ではあるが小奇麗な衣服、傷一つない白い肌。おそらく大切に育てられてきたのだろう。そんな少女が当てもなく街をさ迷った挙句、のたれ死ぬか無法者の集まるスラムへと流れるのを想像すると、酷く良心が痛んだ。


 お金もないうえに、おそらく自分で食い扶持を作れる能力もないだろう。ひどく悩まされる事案だった。


 ゆっくりと日が沈んでいき、辺りを照らす明かりは街燈に灯された『尽きない炎コンティニュアル・フレイム』の魔法の明かりだけとなっていく。


 アーネストは大きくため息を付く。


「アルミメイア。泊る場所が無いのなら、今日は俺のところで泊めてやる。一緒に来い」


 これからの過ごし方、親との事、帰り方など考えることは多くあったが、とりあえず早急に考えなければいけないのは今夜の過ごし方だと考え、アーネストはそう提案する。さすがにこのまま放りだす事は出来そうになかった。


「何が狙いだ?」


 アルミメイアは再び警戒をあらわにする。正確な事は判らないが、考えなしに行動をしておいて、細かい警戒はするのだなとアーネストはアルミメイアの対応に呆れる。


「お前みたいのを放って置けないだけだ。他意はない」


 アーネストの答えを聞いてアルミメイアは、真意を探るようにじっとアーネストを見つめる。暗視能力を持つのか鏡の様に『尽きない炎コンティニュアル・フレイム』の光を反射して光るアルミメイアの瞳は少し不気味だった。


「わかった。世話になる」


 アルミメイアはあまり本意ではないのか、恥ずかしそうに視線を外し答えを返した。



 日が落ち暗闇に閉ざされた竜騎学舎へと続く長い道を、アーネストはアルミメイアを連れて歩く。


 竜騎学舎は魔獣の類の飛竜を取り扱う性質上、王都の住人が住む場所から離れた場所にある。そのため日が落ちると辺りを照らす街燈などはなく、竜騎学舎へと続く道は暗闇に閉ざされる。


 暗闇に閉ざされほとんど何も見えない道を、アーネストは今日買ったランタンに明かりを灯し、それを頼りに進む。


 長い坂道を抜けると、その先に古めかしい城壁に囲われた不気味な古城の様な建物が顔を出す。もう、ほとんどの職員と生徒が寝ている時間なだけに明かりは殆どついておらず、一見すると黒い何かが聳えたっている事がわかる程度あった。


「あれは……」


 アーネストの後ろを歩くアルミメイアがぽつりと呟く。


「見えるのか?」


 アーネストが竜騎学舎の講堂がある辺りを眺めるが、手にしたランタンの明かりはそこまで届いておらず、辛うじて影が見えるだけだった。


 アーネストが振り返りアルミメイアの様子を確認する。微かな光を集め、反射し、輝くアルミメイアの双眸が、じっと竜騎学舎の講堂がある辺りを睨みつけていた。暗視の力で闇の向こうに映る建物の姿を捉えているのだろう。


「あれが、俺が暮らしているマイクリクス王立竜騎学舎だ。と言っても住んでいるのは今見えている大きな建物ではなくて、別にある寮だけどな」


「そうか」


 アルミメイアは講堂を睨みつけたまま、空返事の様な答えを返す。


「何か、気に入らない点でもあったか?」


「……なんでもない」


 アーネストが尋ねるとアルミメイアは一度目を閉じすると、先ほどまでの態度がまるで嘘であったかのような、澄ました顔で答えを返した。


「そう、か……。なら行くぞ」


 少し問いただしたい気持ちもあったが、時間が時間だけに先を急ぐことを優先した。竜騎学舎に何か思うことがあるような態度をしましていた、アルミメイアはアーネストの言葉を聞き入れ、言い返すことなく従ってくれた。



 帰寮が夜遅くなり警邏の衛兵に迷惑をかける事になったが御咎めはなく、事情を話せばアルミメイアの事も特に追及されることはなく、平穏無事に今日一日を終えることができた。

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