第4話 おとんとおかんの信頼関係
おとんは俺たちが食堂の後片付けをしている間に隣の自宅に帰ってきたらしく、ビールと枝豆をテーブルに出し、リビングのカーペットに寝そべってプロ野球観戦をしていた。
おとんは温和な人物だが、家庭のことに関しては全く頓着がない人だ。
おかんが最近食堂を切り盛りしていることはさすがに知っているものの、いつも自宅で出されたものを食べているだけの父は、その食堂で異世界の食材を使っていることも、自分が食べているものが異世界の食材だったことも、自宅の庭が異世界に通じていてちょくちょくおかしな風貌の人間が通り道にしていることも、まったく気づいていなかった。
「ふむぅ……。それで、おかあちゃんが突然魔物にさらわれていった、と……」
目をしぱしぱさせながら眼鏡を外し、ランニングの腹のあたりでレンズを拭くおとん。
その仕草からは、常に凪いでいるおとんの心が波立っている様子は伺えない。
「そうなんだ。あいつらは魔王の手下だ。おかんさんはきっと魔王軍の誰かの指図でさらわれたんだと思う」
エリカが唇を噛み締めると、眼鏡をかけ直したおとんがふむぅ、とため息にも似た声を漏らす。
「悠斗。おとうちゃんは異世界のことはさっぱりわからんし、正直な話、行っても足でまといになるだけだと思う。
ここは悠斗とエリカちゃんでおかあちゃんを助け出してほしい」
「いや……。
そう言われても、俺も入社してすぐだし、有給そんなに貰えてないしなぁ」
渋る表情を見せた俺を、不安げなエリカが覗き込む。
「ユウト。
それはどういう意味だ?」
「仕事を休めないってことだよ」
「そんなっ!
ユウトは自分の母親が心配ではないのかっ!?」
形の良い眉を釣り上げて詰め寄るエリカをなだめたのはおとんだった。
「エリカちゃん、おかあちゃんはきっと大丈夫だよ。
何せ若い頃にアマゾンの主と呼ばれた巨大アリゲーターと死闘を繰り広げた経験があるくらいだ。異世界でそう簡単にどうこうなるはずはないよ」
アリゲーターとの死闘は初耳だった。
死闘の結末についての言及がなかったが、おかんがピンピンしているところを見れば言わずもがなだ。
それじゃあ、俺達が転移してすぐに襲ってきた
愕然とする俺に向かって、おとんが常と変わらぬトーンで言葉を続ける。
「このご時世にせっかく入社できた会社だ。悠斗の事情もわかる。
だからこうしたらどうだろう?
しばらくの間は上司に掛け合って定時で会社を上がらせてもらい、その後異世界でおかあちゃんを探す」
「そんな呑気な探し方でいいのか……?」
「おかあちゃんと三十年連れ添ったおとうちゃんを信じなさい。
おかあちゃんなら異世界でもきっと大丈夫だ。
ただ、うちに戻ってきてもらわんことにはおとうちゃんが困る。
二人にはおかあちゃんを探して連れ帰ってほしいんだ」
無責任に感じなくもないおとんの言葉。
けれども、俺にはそれが長年夫婦として連れ添った信頼関係の表れであるようにも感じられた。
落ち着き払ったおとんの言葉で、俺の心を掻き毟っていた焦燥感がすうっと剥がれ落ちていく。
「そうだな。おかんならどこに連れて行かれてたって元気でいるはずだ。焦らず手がかりを見つけて行こう」
かくして、おかんの捜索活動は俺の定時退社後に異世界で日々行われることとなった。
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