木造校舎の怪

久遠了

第1話

 境内の先に、母校の小学校があった。鬱蒼とした木々が参道の左右を占め、もう夕暮れだというのに蝉しぐれがかまびすしかった。小学校はかつて神社の一角にあったという話を年寄りから聞いたことがある。

 休日だったが、学校の門は開いていた。ひと気のない校庭を横切って、私は新校舎に近づいていった。

 校庭に映る自分の長い影を見て、懐かしさに顔がほころぶのを感じた。

 廊下で職員室を探していると、若い先生が顔を出した。

「教師の島田ですが。どちら様でしょう?」

「ここの卒業生の雨宮と申します。旧校舎が取り壊されると聞いてうかがったのですが」

「ああ、その件ですか。どうぞ、お入りください」

 島田は私を職員室に招いてくれた。

 出された麦茶を一口すすり、私は言った。

「木造校舎は珍しいでしょうに。もう少し維持を続けられては? 卒業生に寄付を募って」

 島田は首を振った。

「金銭的な負担もありますが、事故や災害が怖いんです。夜間の保安も大変ですし。子どもたちに何かあってからでは遅いですからね。ちょうどいい頃合いなのでしょう」

「そうですか…… 確かに学校と言えども、昨今は何をされるか分からないところがありますね」

「お恥ずかしい話ですが、二十四時間の管理は私どもでは……」

 島田は恥ずかしげに口ごもった。

 私が旧校舎の見学を頼むと、島田は快諾してくれた。

「もう解体作業を始めているので入り口は開いています。今日は休日で工事はしていませんが、安全のためにヘルメットの着用をお願いします」

「分かりました」

「まだ閉校時間まで時間がありますから、ごゆっくりどうぞ。ただ二階には上がらないでください。階段と踊り場が相当傷んでいて危ないんです」

「一階だけにしておきますよ」

 そう答えたが、私は二階に上がるつもりだった。

 島田が言うように旧校舎は痛みが激しかった。私が通っていた時分でさえ、木の壁は風雨にさらされて黒ずんでいたから、当然かもしれない。

 ただ、「地区に残った最後の二階建て木造校舎」という古さのために、区の文化財に指定された。しかし、時代なのか、防犯と事故、地震対策の話が出て、ついに文化財の指定は取り消され、廃校舎が決まってしまった。

 旧校舎は新校舎から離れた、神社側にあった。私は再び夕暮れの残照を浴びながら校庭を横切った。

 薄暗い下駄箱の間を通る時、懐かしい匂いがした。

 その匂いで、私は子供の時の出来事を思い出した。

 ある日の夕暮れ時、私は階段から転げ落ちた。なぜ転げ落ちたかを覚えていない。特にケガをすることもなく、いつの間にか階下にいた。

 その時に何かを見たが、すっかり忘れていた。

 一階の職員室と図書館を覗いた。どちらも広かった記憶があるが、何もなくなっているにも関わらず思いのほか狭かった。

 私は行かないように言われた二階に足を運んだ。

 階段も踊り場も、足を乗せるとギィギィとイヤな音を立てた。踊り場の横にある大窓から、西日が差し込んでいた。何度も塗られたくすんだ白い壁が朱色に染まっていた。

 二階の教室からも、机と椅子が運びだされていた。がらんとした部屋だったが、それでも当時の思い出がよみがえって目尻が熱くなった。

 満足した私は帰ることにした。

 階段を一段降りようとした時、何かが足首を掴んだ。

「あッ!」

 その瞬間、私は小学生に戻った。

 頭から落ちた私を誰かが抱きとめ、そのまま、ふわりと階段に置いた。別の手が私の背を押した。私はコロコロと階段を落ちた。

――アハハ

 楽しそうな笑い声が聞こえた。

――オホホ

 重なるように暖かな笑い声が重なる。

 踊り場で止まりかけた私を何者かが強い力で再び押した。私は勢い良く転がり、あっという間に一階まで落ちた。

 それは一瞬の出来事だった。

 あの時と同じでケガはなかった。

 私は立ち上がり、呆然と階段を見上げた。

 踊り場に、女と子どもの白い手が見えた。

 手は別れを告げるようにひらひらと動き、日が落ちた暗がりの中に薄れて消えた。


- 了 -

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木造校舎の怪 久遠了 @kuonryo

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