第9話
格好だけはまともになったメグルちゃんは、洗面所に駆け込んでいった。
デニムのパンツ、ティーシャツに薄手のカーディガン。
プレイリストは変えたさ。
Fried Prideによるシーナ・イーストンのカヴァー、9 to 5(Morning Train)(※1)。
まあ、この程度なら落ち着いて話せるだろう。
チカはアコギを抱えて合わせ始める。
「原曲も好きだけど、この三拍子のアレンジは抜群だよね」
さっきまでは不機嫌の塊だったけど、いつものチカに戻ってきたな。
アコギとパーカッションだけのアレンジに、チカの刻むカッティングが上乗せされて、グッと音の密度が上がる。
「ヒロ、歌ってよ」
平日の午前中だぜ。
何言ってんだよ、このオッサンは。
―― My baby takes the morning train, he works from nine till five and then he takes another home again to find me waitin' for him
「確かに帰っては来たな。余計なもんくっつけてだけどな」
「そうなんだよね」
他人事みたいに言うな。
「次やったら、もう待っててやんねえからな」
「うん、ごめん」
気が付けば、部屋の入り口にメグルちゃんが立っていた。
ボサボサだった髪は、ブラシを入れて見れるようになったし、化粧もマシになっている。
「お、知ってるお嬢さんになったじゃん。そんなとこに立ってないで、こっち来て座んなよ」
どこから聞いてたのかね。
メグルちゃんは俺を睨みながら部屋に入って来ると、ローテーブルを挟んだシングルソファーに座る。
睨まれる覚えはないんだけどな。
なんなんだよ。
「マスターについてる悪い虫ってヒロさんですか?」
「はあ?」
穏やかじゃないね、こりゃ。
「マスターに良くない人が付きまとってて、娘さんの教育にもよろしくないって聞きました」
「ほう。誰から?」
「誰でもいいじゃないですか。それより何でここにいるのか、説明してくださいよ」
喧嘩腰だな。
自分がやらかしたこともわかってないな。
「お嬢ちゃん、人ん家に上がり込んで、随分な口きくじゃねえか。普通は『お邪魔してます』くらい、遠慮がちに言いそうなもんだけどな」
「マスターの家でしょ! なんでヒロさんに断らなきゃいけないのよ!」
「俺ん家でもあるから。そっちのドア開けると、俺の寝室」
「はあ?」
彼女にとっては正当な理由で切れてるんだろうけど、逆切れされてる気分だな。
「なんでヒロさんが、マスターと一緒に住んでるの!」
「お嬢ちゃんには関係ねえ理由だな」
「そうだね」
ここで、今まで黙っていたチカが口を開いた。
「店からここに来るまでことを説明してもらえないかな? 申し訳ないんだけどね、覚えていないんだよ」
JPSに火を着けると、ゆっくり煙を吐き出す。
Fresh StepsがカヴァーしたJazzyなPoker Face。Laura Holdingのヴォーカルが、大人の駆け引きを煽る。(※2)
「昨日は一杯しか飲んだ記憶はないし、それで記憶をなくすほど弱くもないもんでね。もしそれほどまでに酩酊したようだったら、病院で検査を受けたようが良さそうだからね。送ってくれたのならお礼もしたいし、詳しく教えてくれると助かるな」
優しく話しかけているように聞こえるけど、言わずもがな。
ただでさえ乏しい表情が、完全に抜け落ちてる。
病院という言葉に、メグルちゃんの顔が引きつる。
「そ、そうなの。き、気が付いたらマスターが寝ちゃってて、なんとか起こして、連れて帰ってきたの」
「ホントに?」
「重かったんだから。タクシーから降ろすだけで、一苦労だったもん」
苦しいな。
駆け引きもなにもあったもんじゃない。
「そう。ありがとう。迷惑かけたね」
「迷惑なんかじゃなかったから……」
「ところで、タクシー代返さなきゃね。払ってくれたんでしょ? いくらだった?」
チカは無表情のまま、淡々と話す。
要らない、と突っぱねたメグルちゃんだが、チカに敵うわけもない。正直に金額を口にした。
「あれ? 店から真直ぐここまで来た?」
テラスハウスに寄ったにしては、安過ぎる。
「うん……住所を運転手さんに伝えたから」
おかしい。
「どこにも寄ってねえの?」
俺とは口もききたくないのか、ただ頷いた。
俺、なんか悪いことしたか?
あー、メグルちゃんにとっては、したのかも。
それよりも鍵だ。
「お嬢ちゃん、鍵はどうやって開けたんだ?」
メグルちゃんの目が泳ぐ。
「え、そりゃマスターの鍵で……」
「持ってないよ」
「え?」
「僕はこの家の鍵、持って歩かないんだよ」
鍵が開いてたなんてことはない。
普段から閉めているし、もちろん戸締りも確認している。
つまり、彼女は鍵を持っているのだ。
これは、この家のセキュリティにかかわる。
俺とチカだけならまだしも、ユカがいるのだ。
「お嬢ちゃん、全部ゲロしちゃいな。なるべく怒らねえから」
―― I shot the sheriff……(※3)
Bob Marleyも素直に白状したぜ。
「言いたくないだろうけどよ、何なら聴き方を変えてもいいんだぜ?」
チカに目配せすると、首を振った後に溜息を吐かれた。
「そうだね。元々その気で来たんだろうし」
「アンタのその様子じゃ、何も致せてねえだろうしな」
「知らなかったとはいえ、巣に入り込んじゃったんだから、仕方ないよね」
よっこらせと立ち上がった俺とチカは、メグルちゃんの両側に立つ。
今日は家政婦のヨシミさんも来ないから、ユカが帰ってくるまで、時間はたっぷりある。
「あ……」
そうか。
黒幕はわかった。
だけど、ウラは取らせてもらうぜ。
チカが髪を撫でると、メグルちゃんが身体を強張らせる。
「大丈夫だよ。優しく可愛がってあげるから」
チカの細い指が髪を絡めとり、唇に触れる。
「あ、あの……」
「この香りはSAMURAIかな?」
後ろに回った俺が、首筋に顔を埋める。
「え? あ、その……」
「まだ喋んなくていいぜ。ゆっくり聴くことにしたから」
俺もチカも巨乳ちゃんはあまり好きじゃないが、この際だ。
―― Sexy girl, I'll never find another……(※4)
三時間後、俺とチカは素っ裸のまま、ソファに並んで煙草を吸っていた。
メグルちゃんはチカのベッドから起き上がれない。
何度果てたのか、完全に腰を抜かしているみたいだ。
うん。オジサン達は頑張った。
「これ、明日筋肉痛だぜ」
「明日来れば良いほうなんじゃないかな?」
「だな……」
※1……シーナ・イーストンのアルバムTake My Time(1981年)に収録されているリア充爆発お惚気ナンバー、9 to 5(Morning Train)。ポップなナンバーで、もちろん四拍子。
Fried Prideは日本のジャズ・デュオユニット。2016年解散。このカヴァーは9枚目のアルバム「LIFE~Source of energy」に収録。三拍子にアレンジするも、リア充っぷりに変化なし。
※2……Lady Gaga、2008年のヒット曲。Fresh Stepsが大人の魅力たっぷりにジャズアレンジ。
※3……Bob Marleyの名曲。「オラ、おまわりを撃っちまっただ。でもあいつ悪い奴だでよ、正当防衛だぁ。でもよ、罪は罪だってならよ、オラちゃぁんと償うでよ」っていう感じの内容。
※4……SnowのSexy Girl。その昔、誰の車に乗っても流れた曲。
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