頼む代わりに自害しろ
鯖田邦吉
前編
田上智彦は駄目な奴だが、ここまで駄目な奴とは思わなかった。
何をしても実を結ばない奴だった。それは素質以上に、やる気のなさによるところが大きい。
最初から上手くいくことなんてあるわけないのに、最初の一歩につまずいただけで、すぐにあきらめて投げ出してしまう。
もちろんそれで何かが身につくことなんてない。
それがどれだけ拙いことか気づきもせず、毎日暇があればゲームばかりやっている。
口癖は「だるい」「死にたい」――そんな奴だ。
だが、まさか本当に自殺しようとするなんて思わなかった。
高校へ通う道すがら、ふと「学校に行くのタルいな」と奴は思った。「学校を卒業してもバイトか、仕事か、とにかく残りの人生ずっとこんな気持ちで生きてかなきゃならないんだな」
それだけのことだ。それだけの理由で、奴はそこにあった何があるかも知らない高層ビルに入り、らしからぬ行動力を発揮して封鎖された屋上へ辿り着いてしまった。
人の出入りを想定していない屋上に、フェンスも手摺りもない。下を覗き込めば、思っていた以上に大地は遠かった。
道行く通行人は前方か足元か手元のスマホにばかり視線を向けていて、頭上を見上げることもない。
よくドラマでは飛び降りのシーンで野次馬が集まったりしていたが、自分は落ちるその瞬間まで誰にも気づかれまい、と智彦は思った。
それが智彦を後押しした。
『おい馬鹿、冗談じゃねえぞ』
おれは叫んだ。
智彦はびくっとなって周囲を見回す。おれの声が通じたらしい。
奇跡だ、とおれは思った。
『死のうとすんじゃねえよ、馬鹿か!?』
智彦は知性の欠如を存分に発揮した表情をとった。
「誰……?」
『やっぱり、聞こえるんだな』
今までおれの声が智彦に届くことはなかった。だが死の危機に瀕しておれの力が増大したか、必死の思いが何かの限界を突破したかしたようだ。
誰だよ、と智彦が繰り返す。
『おれか? 名前はない。何者かって言われると、そうだな、おまえの背後霊ってことになるのかな?』
バニシングツイン、という言葉を御存知だろうか。
母親のお腹の中にいる双子の赤ん坊のうち、どちらか一方が消えてなくなってしまうことをいう。
片方の胎児は子宮内で吸収されてもう一方の栄養になってしまうわけだが、おれの意識は何故か消えることなく双子の兄弟――智彦と共に生まれ落ちた。
幽霊として。
おれはずっと智彦と寄り添って生きてきた。いや、離れたくても離れられなかったというのが正しい。
智彦と一緒に言葉を覚えたおれは両親や周囲の人間に話しかけてはみたが、おれが見える奴は誰もいなかった。
他の幽霊と出会ったこともない。ひょっとしたら、おれは幽霊ともまた違う存在なのかもしれなかった。
そういうわけで、おれは孤独だった。
誰にも認識されず、話しかけられることもなく、それでいて移動の自由もないというのがどれだけ苦しいか、想像できるだろうか。
そんなおれからすれば智彦の人生は充分に恵まれている。
なのに智彦は、自分自身の怠惰さからせっかくの人生を無駄にした挙句、まだいくらでもやり直しが利く段階でくずかごに放り込んでしまおうというのだった。
許せるわけがない。
『なんで死のうとするんだよ!』
「俺を見てたんならわかるだろ。疲れたんだよ」
『何が疲れただ。皆同じ思いを抱えてんだよ!』
「皆は平気でも俺は無理だ。同じ哺乳類だからって象が耐えられるだけの重さを鼠が背負えるわけないだろ」
『それは甘えだ!』
おれはビシッと言ってやった。だけど智彦はこっちを馬鹿にするかのように鼻で笑う。
「はっ、出たよ『甘え』。それ言やなんでも論破できると思ってやがる。馬鹿のひとつ覚えって奴? そうとも、俺は俺を甘えさせたいんだ。他人に文句を言われる筋合いなんかない」
『甘えるなら努力してからにしろってんだよ! 今の自分が鼠だってんなら、象になろうとしろよ!』
「どうやって~? 具体案あるの~? まさか理想だけ押しつけて方法は全部相手任せですか? そっちの方が甘えじゃね?」
『方法は……、いや、おまえ自身のことだろうが!』
「だから俺自身が俺自身のために『努力して強くなったうえでこの先何十年と生きる』と『努力しないでここで終わらせる』を秤にかけて後者を選択したんだよ」
『そんなの、間違ってるぞ!』
「俺は無益な正しさより、有益な愚行を選ぶ」
『ふざけんな!』
「代案があるなら聞いてやるけど、責任もてよな? ああしろこうしろと口出しするくせに具体案もなければ失敗したときの責任も取らない? それは甘えているより、もっと酷いだろ!」
『生きたくても生きられない、おれの気持ちになってみろ!』
「そっちも死にたい俺の気持ち酌み取る気配全くないよね。生きたがりだろうが死にたがりだろうが人間平等で、こっちが一方的におまえの価値観に合わせなきゃならない筋合い無いわハゲェ!」
『ハゲはおまえだハゲ!』
「両親のDNA同じなんだからおまえも生まれてきてたら若ハゲ確定じゃハゲェ!」
その後しばらく脱線した。
誰かが見ていれば1人虚空に向かって罵詈雑言を飛ばす智彦の姿は狂人そのものだっただろうが、幸いにして屋上には鳥さえいなかった。
「……幽霊と問答とか俺、一方的に不利すぎだろ」
ハアハア息をつきながら智彦が言った。喉がかれている。
『そんなことはねえよ。おれも疲れた。精神的に』
「こっちはプラス肉体的にも消耗したわ。余計死にたくなった。階段降りるの辛いからもういっそ飛び降りようかなって」
『おまえさ、自分のことばっかり言ってるけど他人の迷惑考えろよ』
「それには幾つか反論がある。まず、人間はどう足掻いたっていつか死ぬ。そして畳の上で大往生だろうが、残された者は迷惑がるってことだ。おまえも俺の側にいたなら知ってるだろ。爺ちゃん死んだとき」
『……ああ』
仕事が忙しかった時期と被ったせいで、親父がブツクサ言っていたのを思い出す。
智彦は葬儀の煩雑さにウンザリしていたし、それは見ていただけのおれにとっても同感だった。
なんで葬式ってあんなに金がかかって面倒なんだろう。数千円で焼くだけなら『大往生なら迷惑がかからない』と言えるのに。
「どうせ迷惑なんだ。遅いか早いかでたいした違いもない。第3に、生きていれば生きてる限り望む望まざるに関係なく迷惑をかけ続けるだろうが、死ねばその1回で終わりだ。迷惑をかけるのが嫌なら今すぐ死ぬのが1番だな」
『いや……』
「第4に、人生ってのは迷惑をかけてかけられのお互い様で成り立ってるんだ。他人に迷惑をかけた自覚もなく、迷惑かけられるのが嫌だってんなら、そういう奴こそさっさと死ねばいい」
『両親が悲しむぞ』
「悪いけど結局は悲しむだけだろ。こっちは人生賭けてるんですけど」
くそ。こいつ、自分が怠けるための屁理屈ばかり達者な奴だ。何か、こいつを説得する方法はないのか。
智彦もおれもあの世の存在なんて信じてない。以前、「人生とは神から与えられた試練だから完遂せねばならない」と誰かが言っていたが、信心深くないおれ達にとっては勝手に押しつけられた何が手に入るかもわからない試練を大人しく受ける奴なんて、ただのドMだ。
正直、死にたければもう勝手にしてくれとさえ思う。だがその場合自分がどうなるかわからない。智彦から解放されて浮遊霊になるのか、あるいは智彦と共に消滅するのか。
おれはため息をついた。
『……おれからすりゃ、替わってやりたいくらいなのに』
「いいね、それ」
智彦が言った。
「俺も幽霊の方がいいよ、気楽で。なあ、頑張ったら入れ替われたり、しない?」
『できれば苦労しねえよ』
「おまえ、人に散々頑張れって言っときながらあきらめ早すぎない? 話しかけてるのでさえ頑張ればできたんだから、入れ替わりだってやれるかもしれないだろ!」
『……なんでおまえ、こういう時だけ積極的なんだ』
そんなわけでおれ達は頑張った。
無駄な試みだと思ったが、このまま死なれるよりずっといい。仮に上手くいけば願ったり叶ったりだ。
そして――。おれ達は入れ替わった。
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