ペルセウスの憂鬱

遊木風(ゆきかぜ)

プロローグ

Signs of chaos


 2020年夏、東京オリンピックが華やかにもよおされ大成功のうちに終了した。

 街中にほとばしっていた色彩感に溢れるバイタリティの渦は蒸発し、代わりに灰白色の寂寥風せきりょうふうが静かに吹き始めていた。


 このうたげのためにここ数年来流され続けてきた狂騒曲を終わらせてはならないと考える一部の人々は、宴の尻尾しっぽにしがみ付きながら更に私益をむさぼりとろうと躍起になっていたが、その想いも虚しく徒労と空回りを重ね続けていたのだ。


 東京は新たな活気を産み出すため2011年より進めてきた “アジアヘッドクォーター特区" への取り組みを一層強化し、東京を世界のビジネス拠点たらしめることによって国際都市としての確固たる地位を確保すべく改めて企図した。


 かくして持てる資源の中から最大限の集中投下を行ったが満足のゆく効果を発現させられず、欲塗よくまみれの夢を見て垂らしたよだれが溶け込む泥濘でいねいの中でもがいていた。


 日本の国際的プレゼンスを向上させるためには、首都東京の知名度向上と更なる国際化が不可欠であるとの認識を強く持つ政府は、東京と度重なる協議を行いひとつの施策を導き出した。


 それは東京を受け皿とする大規模な であった。


 労働力不足が長期的に課題化していた東京と、移民受入れに関して消極的な姿勢を国際世論から指弾され続けている政府の存意が一致し「移民受入れ法案提出」の検討に繋がったのだ。


 当該政策に同調意志を示す関東圏の他の自治体からも移民受入れの意思表示を受け、最終的に東京を中心とする関東の1都3県で移民受入れ政策を推進することが法案に盛り込まれ、2024年6月3日 所期の計画通り法案は可決に至った。


「多様性を高め多文化社会を創り、真に開かれた国際都市を形成すべきだ! 排外主義の思想は捨て去れ!」


「国粋精神を忘却したか⁈ 売国奴らめ!ひとたび門戸を開けば移民者にこの国を蚕食さんしょくされるぞ馬鹿者共めが!」


「先を見ない原理主義者の戯論たわごとに、微塵みじんの価値も無い。貴様らがこの国を去れば良い!」


 様々な勢力・団体が各々の思惑を含んだ純度の低い愛国心を激突させながら激しい応酬を繰り返したが、平素は政府の反対に回る人道主義にあふれる野党勢力が法案に諸手もろてを挙げて賛成したことにより法案はあっさりと可決・成立したのだった。


 しかしこの政策が移民受入れの受け皿となった地域の治安悪化を招来する扉を開き、混乱・破壊・不安・焦燥しょうそうなどの名を借りた “誤謬ごびゅうの化身” を次々と招き入れることになろうとは法案賛成者の誰しもが予測することは出来なかった。


 2025年以降、ロボティクス(ロボット工学)と人工知能(Artificial Intelligence; AI)技術の飛躍的進展により、精度・速度・耐性など多くの面で人間を凌駕りょうがするロボットが開発された。

 大手企業は潤沢じゅんたくな内部留保を取り崩し、人の代替戦力としてAIやロボットを積極導入した。

 また、東京オリンピック特需の恩恵にあずかり躍動的だった日本経済は、オリンピック終了を境として、極めて短期間に 活況 から停滞、停滞から後退、後退から不況へと衣替えを強制された。


 こうした背景により、移民者に対する職斡旋は困難となり日本人の失業者数も急激に増加させた。

 更に移民政策の利用して日本国内に進入を果たした敵対国の諜報工作員やテロリストの数は日を追うごと増加していったのだった。


 これらは、日本国家が “ 移民受入れ政策 ” という火遊びの相手とのアバンチュールでもうけた落とし子(アバンチュールベイビー)だったのだ。

 この落とし子達はすくすくと成長を続け、やがて “負の発散物” を拡大再生産する装置に変容し、日本を混沌の渦に巻き込んでいった。


 結果論を言えば、一部の政治経済学者や国粋主義者の指摘は正鵠せいこくていたと云える。


 要すれば “失敗” であった。


 法案可決の事実は、利益追求をはかる拝金主義者と世界平和を希求ききゅうする人道主義者が最も不幸な形で結合したしき例であり、典型的な “集団浅慮しゅうだんせんりょ” であったと後世語られることになるだろう。


 移民予備群が止めどもなく増加している背景は国際紛争の激化によるものであることは疑いようが無かった。


 激しい轟音ごうおんをたてながらエゴイスティックな国家意志の塊をぶつけ合うことにより砕け飛び散った “移民者” という “国家の破片” は日増しのその数を増やしていた。


 科学力の進展に伴う軍事力の兇暴化は際限なく進み、力を持つ国家同士がお互いの首元に獰猛どうもうやいばを突きつけあうような緊迫状況を続ける中で、時折お互いの身体から出血を余儀なくされる事態を招いていた。

 年々その発生頻度と出血量は高まりを見せ、致命の事態に進展することは時間の問題とさえ思えた。


 


 有史以来、是正されること無く脈々と受け継いできたこのが人間のあらゆる愚挙の根底にあるとするならば世界は救いようが無いのかもしれない。なぜならば、この原理原則は人間の本質そのものである可能性が高いからだ。


 実際は弱き者にも関わらず過大な自己評価によって自己を強き者と錯覚する者もこの原理原則に従うこともある。

 これら衆愚しゅうぐに付き従う者達は "下らない悲劇の下らない配役” を押し付けられ、挙句の果てに辛酸しんさんを舐めただけで舞台を降りる。スポットライトも当たらず、スタッフロールに名を連ねることもなく、ただ “愚か者の従者” という不名誉な烙印らくいんが押されるだけだ。


 今この時、覇道主義を素材として作り上げられた趣味の悪い大きな容れ物に “叶えられた欲求の結晶” を目一杯詰め込むことに血道を上げる国々が多数存在し、その醜い本性をさらけ出していることを恥じもせずに腐臭ふしゅうを伴う酸性の毒素を垂れ流し続けている。


 そしてその毒素は長期に亘って国家間のバランスを図りながら安寧の維持を支えてきた “平和を司る神獣” の身体を蝕み続けてきた。


 毒素吸収の許容限界に超えた神獣はのた打ち回り、そして地響きの如き断末魔の咆哮ほうこうを放ちながら世界を震動させ始めた。


 神獣が最後を迎えるその時、最後の力を振り絞って起こす激烈な震動によって立ち上がった巨大な漆黒しっこく波濤はとうが、薄気味悪い微笑をたたえながら両手を拡げて世界の全てを呑み込むことになるのだろう。


 そして “その最後の時” は、薄気味悪い爬虫類はちゅうるいのように地面をいながら、静かに、そして確実に忍び寄っていた。

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