factor.1 - 4

「向こうは何と言っている? 三十だと? ふざけるな、その倍は持ってこさせろ! ああ、用意した分だけ金は出してやる。ブツの質は問わん、商談までにありったけの銃を持ってくるよう伝えろッ!」


 スクリーン先でうろたえる部下にもう一喝し、男は通信を切断した。

 いくつもの指輪が喰い込んだ、丸々とした指でデスクを叩けば、脇に立たせていた屈強な護衛がただちに葉巻を差し出してくる。黒革の玉座に腰かけて、百々目鬼は薄汚れた金歯の隙間から煙を吐いた。


「飛行機の手配はできているんだろうな?」


「はい社長。明後日の夕刻発で、香港行きのファーストクラスを。それでも多少の検査はあるようですが」


「ふん、構わんさ。身体検査でも何でも好きなだけすればいい、どうせ奴等には見つかりゃしない」


 百々目鬼はでっぷりと膨らんだ腹をさすりながら、満足気に口元を歪める。

 背もたれに寄りかかるだけでスムーズに回転するチェアーが見せるのは、十三階の窓からの展望。ありのように矮小な庶民と街並みを見下ろし、ついで雲一つない青空を見据えていると、カラスが数羽視界を横切っていった。


「まったく、カラス様様だな。奴等が老いぼれ共を困らせてくれたおかげで、こっちも随分荒稼ぎできた。そろそろ潮時だ、駆除グッズ開発班は解散させろ。今度は世田谷で人手が要ることになるからな」


「社長、その件ですが、例の下北沢エリアの獲得に難航しておりまして……未だ住人たちが立ち退きを拒否し、反抗する者も」


「ならば力尽くでしろ! 大人しくしていれば脅しだけで済ませたものを、路上のゴミ共がッ」


 唾を飛ばしながらデスクを叩き、百々目鬼は受話器を乱暴に掴み上げる。

 今回の密輸商談が成功すれば、百々目鬼商会は規模を拡大し、本格的に都内で名を広めることができる。


 そんな次のステージのシンボルとも言えるのが、下北沢に建設予定の第一支社なのだ。あそこに目を付けたのも社長自身で、ゴロツキと不法滞在者の溜まり場で半スラム化していた広い土地は、まさに格好の獲物だった。


 荒事を任せている六階の内線ボタンを押したが、社長室からの呼び出しであるというのに、いつまで経っても責任者が応答しない。

 そしてその沈黙は、百々目鬼が舌打ちを終わらせるより先に破られた。


「話は全て聞かせてもらったわよ!」


 突如、社長室の両扉が勢いよく開く。

 だがそこに立つ影は、堂々とした威勢に反するほど華奢な、大人に差し掛かっているかも怪しい少女だった。ポニーテールを揺らしながら物怖じ無く社長室に踏み込み、百々目鬼の眉間を真っ直ぐ指差す。


「なんだお前は……?」


「言っとくけど、不法侵入じゃないわよ。招かれざる客だけどね。アンタらの面倒臭いルールに従って、わざわざ正面から上がってきてやったんだから、お茶菓子くらい出してくれるんでしょうね?」


 百々目鬼の秘書や、部屋の四隅に立つ護衛たちを一周見渡し、希紗は鼻を鳴らした。


 実際は七階の手前でエレベーターの存在に気付き、そこから一気に後半をスキップするという反則技を使ったわけだが。よくよく考えれば、十三階建てビルの移動手段が階段しか無いわけがなかったのだ。

 特にあの、丸々とした体型をプレジデントチェアーにすっぽり収めたボスが、ここまで己の脚で昇ってこられるとは到底思えない。


「……鬼っていうか、ちょ八戒はっかいよね」


「誰が豚だ!」


 「いや、そこはあえてオブラートに包んであげたじゃない」「薄すぎてほとんどポロリしておったわ!」肘掛けを叩き激高する猪八戒、もとい百々目鬼は、鼻から荒い息を漏らしながら侵入者を上から下まで凝視する。


「……ここがどこだか、わかっていないようだなお嬢ちゃん。せっかくの愛らしい訪客だが、あいにく私は忙しくてね」


「それは良かったわ。私も長くここにいると、小学校の社会科見学で連れて行かれた、養豚場のこと思い出してブルーになりそうだったし」


「だから誰が豚だ!」


 顔を真っ赤にして怒る頭領を庇うように、護衛たちが一斉に銃を出し立ちはだかる。


「お前っ、ボスの前で豚というフレーズはやめろ! ボスは豚につい過剰反応してしまうんだぞ!」

「これでも気にしてるんだッ、人を外見でけなすのはやめろ!」

「このメス豚が!」

「もう黙れお前らァ!!」


 短い手足をばたつかせる百々目鬼社長の人望がなんとなくわかったところで、希紗はポケットからメモリーチップを取り出し、それを突きつけた。


「あくまで交渉として、下北沢から手を引くなら見逃してあげようと思ってたけど……他の一般人にまで迷惑かけて、おまけに銃の密輸入? 随分とやりたい放題じゃない」


 見せつけるように指先で遊ばせていたチップを、ふ、と軽く宙へ投げる。

 彼女はそれを手のひらでキャッチし、一瞬で握り砕いて。


「――やっぱり潰すわ、百々目鬼商会あんたたち


 駆け引きのためだったデータの残骸が、希紗の手からぱらぱらと零れ落ちていく。


 薄いシャツやレーススカートの中に何か武器を隠し持っている様子も無ければ、さほど筋力があるとも思えない少女の体つき。訓練された戦士どころか、チンピラ特有の荒んだ眼とも無縁の、真っ直ぐな瞳にあるのは純然たる怒り。


 それだけだ。会って間もない男たちにも一目でわかるほど、彼女はたったそれだけの感情を胸に、ここへ挑んできた。


「社長、どうしますか」


「まったくこんな小娘に、我々も舐められたものだ。終日安静に、とさえ言われていなければ、私の手で可愛がれたんだがなぁ。……部屋が汚れる、外へ運んでからやれ」


 右手で追い払う仕草をするボスに従い、部下がじりじりと希紗との距離を詰める。

 一歩後ずさるごとに、希紗の顔から薄れていく余裕の色。六つの銃口に前後左右から睨まれ、スカートの下に隠れた脚は今にも崩れ落ちそうだった。


 乾いた喉で唾を飲み込みながらも、希紗は決して目を逸らさない。唇を震えさせるようにして、低く、小さく、何かを呟いた。


「はんっ、世間知らずの小娘が。さっきまでの威勢はどうした? 命乞いも神への祈りも、お前がここでゴミ屑として処分されるという運命を変えはしないぞ」


「祈る? 冗談。私は信じてるだけよ」


 ぎゅっと拳を握り、銃口の中で顔を上げ、確かに彼女は笑った。

 百々目鬼の背後に広がる窓ガラス、その向こうに現れた、黒い影に対して。



「神様なんかより無敵な、馬鹿真面目をね」



 屋上から降ろしたロープで振り子の勢いをつけ、窓の外にぶら下がっていた男が特殊な装甲のブーツでガラス窓を蹴り割った。


 ただの脚力だけではない、靴底にセットされた爆薬の火炎ごと、割れたガラス片が百々目鬼の禿頭に襲いかかる。

 黒いフルフェイスのヘルメットに、分厚い防護ジャケット。室内に着地した際に硬い金属音をあげたブーツは、十キロを下回らないはずだ。


 声にならない悲鳴をあげて椅子から転げ落ちたターゲットを、黒の襲撃者は逃さない。素早く百々目鬼のたるんだ首に左腕を回すと、事態を未だ飲み込めずにいる護衛を黒銃で撃ち倒す。


 とっさに銃口を上げられる者がいても、主人の張り出た腹を盾にされては何もできない。ボスを見捨てて部屋から逃げ出す者さえいたが、階段で希紗が大量に垂れ流してきた機械油で地獄を見るのは必至だった。


 一分としない内に、護衛は全員床に伸び、当の主人はといえば首を絞められ白目を剥いている。


 突然の嵐を巻き起こした張本人である黒い男は、百々目鬼を雑に床へ捨てると、さっさと防火手袋をはがし、ヘルメットを脱いだ。鮮やかな緑の髪が零れる。


「おつかれ、澪斗ー」

「フン……こんな三下相手に、ここまで準備する必要があったのか?」


 頭を振り、首筋に貼り付いた髪を払いながら出た溜息は、疲労というより呆れからくるものだった。

 男が振り向くと、同僚は部屋の隅でぺたりと腰を下ろして苦笑している。


「まぁ正面から二人揃って突撃するより、相手の虚を突いた方が、こっちの被害も少なくて済むし。それにアレよ、百々目鬼の世紀末じみた顔を見られてスッキリしたっていうか、」


「……おい」


 床に座り込んだまま言葉を続けていた希紗に、すぐ頭上から声が掛けられた。

 思わず顔を向けた彼女は、仏頂面でこちらへ右手を差し伸べている澪斗に唖然とし、ぱちくりと瞬きばかり繰り返す。


 そんな反応に眉間の皺を深くし、黙って手のひらを開いてくるので、彼女も思考を停止させたまま手をとる。腕一本で強引に立ち上がらされて、前のめりによろめいた肩を、彼の左手がしっかり掴んだ。


「腰を抜かすぐらいなら、こんな無茶な策をとるな」


「あ、その、ごめんなさい……」


 自分から手を離して、希紗は俯き身を縮こませる。

 澪斗がそれ以上の非難をせず、鼻を鳴らすだけに留めたのは、何も彼女が珍しく殊勝な態度をとったからではない。


 エレベーター内で、希紗は屋上階の存在に気付き、奇襲作戦を提案した。それは『敵に気付かれずして倒す』ことを得意とする、澪斗の性質を尊重したものだ。

 この手段なら、危うさ無く確実に敵を一掃できる。おとりとなる、希紗本人を除いては。


「いやー、でも仕方なかったんだって! 防護ジャケットもヘルメットも、澪斗のサイズしか持ってきてなかったし」


「そもそも何故そんな物まで持ち歩いて……いやそれより、貴様の工具箱の容量はどうなっているんだ」


「澪斗もビックリするほど格好良かったわよー、機動部隊のバイト経験でもあるの?」


「あるかそんなもの」


 すぐにこちらの話など聞かぬいつもの調子に戻るので、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに顔を逸らす。

 ヘルメットの中で蒸れた髪を、大破した窓からの風が梳いていく。それがやけに涼しくて、澪斗は照準グラスを外していたことを思い出した。


 いつも鼻梁びりょうに感じている微かな重みの不在が、妙に落ち着かない。おかしな話だ。視力が悪いわけでも、それが無いと射撃ができないわけでもないのに。


 きっと力になるからと、希紗に押しつけられた異物を、今では生まれ持った己の一部のように錯覚している。

 しまっていた眼鏡をかけると、自然と肩から力が抜けていく。我ながら不本意だった。


 そんな澪斗の心境など露ほども知らないであろう、この葛藤そのものの生みの親が、いつの間にか横に立って同じ方向を見ていた。


「一つ、聞きたいんだけどさ」

「なんだ」


「今回の仕事、澪斗は何に怒ってたの?」


 男の端正な目元が、一瞬だけぴくりと跳ねた。それすら見逃すまいとする希紗の大きな瞳を、面倒そうに一瞥しつつ、彼はやはり嘘偽りなく真っ直ぐ答える。


「怒ってなどいない。……ただ、気に入らなかっただけだ。奴等は浅はかな私利私欲のためだけに、表社会と裏社会の境界を乱した」


 足元に転がる百々目鬼商会にはもう目もくれず、澪斗は遮る物のなくなった空の先、灰色の地平線を見つめながら。


「今この国の表裏のバランスは、綱渡りのように繊細な危うさの上で成り立っている。どちらか一方が乱れれば、もう片方も現状のままとはいくまい。その均衡きんこうを守るためには、互いに向こうの住人に干渉しないことが一番だ。俺たちは同じ街を歩いていても、住まう世界が違う。異なるルールで生きる相手に害をなし、争っても、そこに勝敗は生まれん。不毛な禍根が膨張していくだけだ」


 こと人と物が過密している東京では、些細な火種でも燃え広がるのが速い。誰かがふとした拍子に起こした揉め事が、ドミノのように波及して、予想だにしないところで更なる騒動となることもある。


「均衡を保ち、境界を守ることが何故できんのだ。それを乱せばいずれは己の首を絞めると、何故わからない? ……かつてのシブヤと同じだ。いつの世も、考えなしの愚か者が世の秩序を乱す」


 そう吐き捨て、澪斗は脳裏を過った誰かの顔に眉を歪める。


「うーん、要するに『カタギに手を出すな。』ってこと?」


「自分から聞いておきながら、ざっくり省略するな」


「句読点含め十文字以内にまとめてみました」


「俺が国語教師ならば一点もやらんわ」


 額に青筋を立てて憤慨する澪斗に、希紗はおかしそうに噴き出した。

 苦笑のようで、しかし男を見上げる瞳は穏やかに細められる。


「澪斗のそういうところ、嫌いじゃないよ」


「……正確には大嫌い、か?」


 目を丸くして、希紗は今度こそ屈託のない表情で笑う。

 他人に無関心なくせに、彼はどんな些細な会話も全て受け止めている。それが神経質な生真面目さから来るものであっても、自身の放った言葉が彼の記憶の片隅に在ることが、希紗には嬉しかった。


「何が可笑しい」

「いや、こういうとこも捨てがたいなーって思って」

「だから何がだ」

「ふふん、ないしょー」


 口元に悪戯いたずらっぽく人差し指を立てて、くるりとスカートを翻し、彼に向き直る。

 問い詰めようと澪斗が一歩踏み出した時だ、彼女が「あ」と間の抜けた声で彼の背後を指差したのは。


 つられて澪斗が振り返ると、そこには意識を取り戻し床を這って逃げようとする百々目鬼の姿があった。こちらに気付かれたことを悟ると、情けない声をあげて壁際のサイドボードまで転がるように走っていく。

 ただの飾り棚にしては幅のあるそれの扉を引くと、澪斗たちに反応する間も与えず、サイドボードの内側へ飛び込んでしまった。


 はっとした希紗が追って棚の中を覗くと、まるで滑り台のような螺旋型のスロープが、先も見えないほど下深くまで続いているではないか。


「ちょっ、こんなのアリ!? ていうか部下見捨てて自分だけ逃げる!?」


「別段珍しくはない。うちの上司がおかしいだけだ」


「あぁ、うん、そうなのよね……」


 希紗が頭を抱えている内に、階下の騒がしい声が徐々に大きくなる。

 ドアに突っ張り棒を挟んできたエレベーターからも不服そうなブザーが聞こえるし、オイル浸しとなった階段をなんとか昇ろうとする、社員らの涙ぐましい悲鳴と怒声が木霊こだましていた。


「あーもー……余計にあったまきた。腹の虫治まんないし、こうなったらもう、燃やすしかないわね!」


「は? 貴様、何を――」


 考えているのか問う前に、希紗は工具カバンから取り出した小型の火炎放射器を壁に向け、躊躇ちゅうちょなくトリガーを引いた。

 噴き出た炎が一瞬で壁を呑む様を、呆然と見ているしかできない澪斗を横切り、涼しい顔で社長机の受話器を掴み上げると。


『全フロアの皆さん、社長室からこんにちはー。こちら信頼と安心の警備会社ロスキーパーで御座います。百々目鬼社長は早々に逃げ出しましたが、私共は責任をもって依頼を完遂するため、今よりこちらのビルを全焼させて頂きます。銃火器をお持ちの方や、何故か全身オイル塗れの方は引火の恐れがありますので、身ぐるみ剥いで今すぐお逃げくださーい』


 強制的にスピーカーモードにされた全内線電話から、少女の声帯を持った悪魔としか思えないアナウンスが流れ出す。『繰り返しまーす、今から……あぁやっぱめんどいわ。いっそ爆破して一瞬で吹き飛ばそうかしら』


 ビル全体が揺れるほどのパニックと駆け足の音が響き渡り、社員たちが一階へなだれ込んでいくのがわかった。


「ほら澪斗、何ぼーっとしてんの。私たちもさっさと撤収するわよー」


 言いながら、希紗は床に伸びている護衛の襟首を掴んで引き摺り、百々目鬼が使った脱出口にまとめてグイグイ押し込んでいる。

 最後は面倒になったのか適当に足蹴にして、彼らがスロープを転げ落ちていくのを見送ると、自身は飄々とした顔でエレベーターに向かっていくではないか。


 一目散に逃げる社員たちに紛れ、希紗は不遜なほど堂々と正面玄関から出ていく。後を追っていた澪斗は、そこで百々目鬼商会本社ビルに振り返った。


「とりあえず消防車と救急車、あと警察も呼んどいたわー。まぁこれで当分は、余所にちょっかい出せないでしょ」


「当分どころか、再起不能だと思うがな……」


 最上階から天に昇る炎と煙、時折響く爆発音が瓦礫を降らせ、丸腰の武器商人たちが涙目で飛び出していく様は、ちょっとした地獄に見えなくもない。

 そんな光景を前に、希紗は「昔、蟻の巣に熱湯を注いで遊んでたの思い出したわー」などと感慨深く語っている。


 燃え上がる業火、泣いて地に伏す黒服たちと、隣で満足気に笑う同僚(放火犯)。

 いつか読んだ哲学者の一節に、澪斗はいま心から頷いた。


「……神は死んだ、か……」

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