闇守護業

祐太

第一話『禍の紅い星』

【序章】

LoseKeeper中野区支部へ ようこそ

「警備員って、つまんねーよな」


 頬杖をついて大仰に溜息を吐いた男に、相方はキーボードを叩いていた指を止める。ノート型端末から顔を上げ「なに、いきなり」と振り向けば、ベランダの窓枠にもたれていた男がだるそうに双眼鏡を寄越してきた。顎で示され、彼が先程までレンズ越しで眺めていた方角に向ければ。


「あんな風に毎日毎時間おんなじ場所を歩き回ってよ、いまどき巡回ロボットでも出来るっつの。わざわざ人間がすることじゃなくねえ?」


「確かに、非効率的だね。人件費もかかるし機械よりムラがある。でも、だからこそ――僕たちにとっては好都合」


 対物レンズの遥か向こう、銀行の入り口に立つ疲れ顔の警備員に同情すら覚えながら、小柄な青年は双眼鏡を下ろす。


 高層マンションの一室から、道路に面した銀行を下見すること一週間。絶望的な不景気にもめげず、警備員という職にありついたのであろう金髪の彼には悪いが、頭さえ使えばもっとスマートに稼ぐ方法は色々ある。たとえば、銀行強盗とか。


「あと三十分したら、現金輸送車が裏口に到着する。窓口は終わってるから銀行内に客はいない。そろそろアヤカさんから連絡があるはずだけど」


 そう言い終わらない内に、男がジャケットに入れていた携帯通信端末が震え出す。液晶に表示された名前を見て、「噂をすれば」と通話ボタンを押した。


「おうアヤ、そっちはどうだ? 予定通りに輸送車は着きそうか?」

『えぇ、輸送車は問題なく。現金も無事、なんだけど……』


 物憂げに言葉を濁した恋人に対し、男は身を乗り出して「だけど?」と訊き返す。彼女の繊細な声が再び耳に届いた、次の瞬間。



『予定通り、全て無事。そう――テメェら以外はなァ!!』



 突如ソプラノからドスのきいたテノールに豹変した声は、携帯のスピーカーからではなく、マンションの玄関より響いてきた。それもオートロックのドアを蹴り破る衝撃音と共に、だ。


 銀行強盗の二人がすぐさま振り返ると、自身が蹴り飛ばしたドアを踏み、長身の男がズカズカと土足で上がり込んでくるではないか。中途半端な長さの髪は寝癖のままに跳ねさせ、だらしなくワイシャツを出しながら、青いスラックスのポケットに右手を突っ込んで。


 まさにチンピラの鑑とも言うべき男は口角を引き上げ、左手でパステルピンクの携帯を耳に当てて、未だ現状を呑み込めない二人組を嘲笑っていた。


「てめっ、誰だ!? なんでお前があいつの携帯を……アヤはどうしたッ」


「まぁ安心しろ、俺もこう見えて女を殴る趣味はねぇ。鳩尾に膝蹴り入れて動かなくなったところをロープで縛り上げて、今ここの駐車場に転がしてある」


「殴るより酷ぇじゃねえか!」


 恋人に暴力を振るわれ逆上した男が、相方の制止する声も聞かずに折りたたみナイフを握り締め突撃する。勢いを殺さず真っ直ぐ伸ばされた刃先を、チンピラは気怠げな目で見やり、特に避ける素振りも無く右腕を上げた。


 そのいやに緩慢とした動きまでは、確かにこの場の誰にも見えていたのだ。


 だからこそ、気付けばナイフが床を転がり、得物を失った利き手ごと宙に捻り上げられている状況を、当の本人ですら把握するのに時間がかかった。

 唖然としている銀行強盗未遂犯を我に返らせるように、チンピラは右腕一本で大の男を持ち上げたまま、ぎりぎりと握力を込め始める。


「ぎゃあああぁ! にぃっ、にげろイツキ!」

「そ、んなこと言ったって……!」


 あの得体の知れないチンピラが玄関を塞いでいる以上、外へ出るには背後のベランダしかない。だがここは向かいの銀行を見下ろすのに最適な、高層マンションの一室なのである。ベランダに振り向いたところで、そこに人が移動できる術などあるはずが、


「あぁもう、またICU送りになったらどうするのー」


 子犬の毛並みを連想させる真っ白な髪を春風に揺らして、ベランダにふわりと舞い降りてきたのは少年だった。まだ太陽すら知らない生まれたての赤子のような、透き通った肌と無垢な空色の瞳が、妙に現実離れして見える。


 隣からベランダ伝いに、ではなく、上空から風に煽られてきたかのような自然さで、この状況にはどう考えても不自然な子供の出現。


 驚きのあまり腰を抜かした青年へ「大丈夫ですか?」と小さな手を差し伸べてくる少年は、警察によく似た青の制服らしきものを着ていた。首元には緋色のネクタイを締めており、警察官より明らかに軽装だが、そもそも日本警察がチンピラや子供を採用しないことぐらい誰だってわかる。


「どうしよナッちゃん、僕にもお迎えが来たのかも……近頃の天使って制服支給されるんだね……」


「よく見ろバカっ、俺の天使だけ武闘派すぎんだろ! ちくしょう、てめぇら一体何なんだよ!?」


 そこでニィと犬歯を覗かせたチンピラは、勢いよく床に叩きつけた靴底で、双眼鏡を砕き割ってから。


「なんてことはねぇ、ただのだ」




 そう、彼らはヒーローではなく、正義の味方にもなろうはずがない。

 悪を倒しに行くわけでもなければ、別に人類も救わない。


 ――世界の中心が欧州に移って久しく、今や地球の片田舎となった小さな島国。

 これは、そんな廃れゆく街の片隅で働く、単なる警備員たちの物語なのだから。

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