「ねえねえ、どこに連れてってくれるの? 風太センセ」

 自転車の後ろの台からはしゃぎ声がする。

「とりあえずは、ホテルだ」

「え? ホテルですって? な、なに考えてんのよ、バカ~っ!」

 後ろから頭をぽかぽか殴られた。

「おまえこそ変なこと考えるな。きょうのおまえの寝床を確保しないといけないだろうが。まさか俺の部屋で寝るわけにもいかないし」

「そ、そっか、それもそうね……」

「それにそのキャリーバッグをなんとかしたい」

 今、この自転車は後ろに魔子を乗せ、さらにロープでキャリーバッグをがらがらと引っぱりながら徐行運転している。

「ホテルってどこにあるの?」

「駅前だ」

「遠いの?」

「それほど近くもないな」

「ま、べつにいいけど。こうやって自転車に乗るのも悪くないかも」

 ひょっとしてこいつ自転車に乗ったことがないんじゃないのか? と思った。無理もない。まったく外に出たことがないわけじゃないにしろ、そのときは親がいっしょだったろうし、とうぜん車を使ったはずだ。

 ちらっと後ろを見つつ、そういうと、魔子は真っ赤になって頬をふくらませる。

「の、乗れるわよ。自転車くらい」

 ま、そういうことにしておくか。たぶん嘘だけど。

 今まで自転車の乗ったことすらない深窓の令嬢を、夜にさらって自転車でお散歩。そう考えれば、連れ出すほうも、連れ出されるほうもロマンチックな気分になっちまう。たとえ、その令嬢が十一歳だったとしてもだ。

 のろのろ運転といえど、駅に近づいてきた。まわりには商店が目立ち、必然的に人も多くなる。

「わぁお。人がいっぱいだね」

 その声はみょうにはずんでいる。

 風太にしてみれば、駅前の人ごみなど邪魔なだけだが、魔子には新鮮な体験に感じられたらしい。

「あそこだ。まあ、ぼろいビジネスホテルだが、勘弁しろ。たまにはいいだろ?」

 風太が指さしたホテルはかなり古いホテルで、大きくもない。部屋数もそうないだろうが、予約は入れておいたから問題ない。

「まあまあね」

 魔子の台詞は不満そうでいて、その声はなぜか嬉しそうだ。

 風太はホテルの駐輪場に自転車を止めると、魔子と供にフロントに行った。広さといい、内装といい、思ったとおりしょぼい。

「予約していた興梠ですが」

「はい、シングル一泊でしたね」

 風太が手続きを済ますと、中年のフロントマンはにっこり笑った。

「ええっと、お泊まりになるのは?」

「こいつ」

 風太は魔子を指さす。

「え、小学生がひとりでお泊まりですか?」

「なんか問題でも?」

「しょ、しょうしょうお待ちを……」

 フロントマンは電話を取ると、誰かと話し始める。その会話の中に「家出」という単語が小声で話された。

 え、ひょっとしてやばい?

「魔子、行くぞ」

 小声で促すと、逃げるようにホテルを出る。

「あ、お待ちを」

 フロントマンがなんか叫んでいたが、無視した。魔子も事情を察したのか、黙って付いてくる。

 自転車はそのままで、ダッシュで駅に向かう。とりあえず、キャスターバッグは駅のコインロッカーに預けた。

「で、これからどうするの?」

 魔子が非難がましい目で風太を睨む。

「そう言うな。まさか、あんなチェックが入るとは思わなかったんだ」

 どうやら、子供の自由というのは、思った以上に制限されているらしい。

「無計画」

「だから、そう言うなって」

「まあ、いいわ。泊まるところはあとで考えましょう。いざとなったら、風太センセの家に泊まるしかないけど」

 こいつ案外肝が据わってるな。それとも俺を信頼しきってるのか?

「で、どこに連れてってくれるの?」

「ええっと、お姫様はどこにいきたいのかな?」

「なによ。なにも考えてないの? 女の子をエスコートするのは男の役目よ」

 この間まで小学生で、デートすらしたことのない俺に無茶をいうな。

 そう思ったが、相手はまだ小学生で、ほとんど外出すらしたことのない女の子なんだからしょうがない。

「じゃあ、とりあえず、外をぶらぶらしますか、お姫様?」

「そうね。風太センセにそれ以上期待しても無理そうだし」

 ムカついたが、魔子はみょうに楽しそうだ。

 案の定、駅から出ると、あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろで、見慣れない光景を堪能しはじめた。

 もっとも夜の九時過ぎだから、やっている店はたいして多くはない。もちろん、飲食店はべつだが、夕食はすませてきている。魔子がまず目をつけたのが、本屋だった。最近はこのへんでも夜十一時くらいまでは営業している。

「へえ、意外とたくさんあるじゃない」

 そういって、目を輝かせる。

「そういえば、おまえ、今までどうやって買ってたんだ?」

「ネットでに決まってるじゃない。今はインターネット書店がたくさんあるのよ。知らないの?」

 それくらいは知っている。

「おまえ、自由に使えるクレジットカード持ってんの?」

「うん」

「ひょっとして、使い放題?」

「まあ、あんまり買いすぎると怒られるけどね」

 いくら金持ちだからって自由奔放すぎる。とも思ったが、よく考えてみれば、品物もカード使用明細も家に届く。買ったものはぜんぶチェックされるわけだし、そう無茶なことはできない。小遣い自由になるどら息子が、夜遊びやギャンブル、高級車などに使い込むのとはわけがちがう。

 魔子ははしゃぎまわりながら、あちこちで立ち読みをはじめたが、長くは持たなかった。

「つぎ行きましょう」

「もういいのか?」

「うん。だって、べつにいつでもネットで買えるし、ちょっと立ち読みってやつをやってみたかっただけ。あれって、意外と疲れるし。やっぱり、本は寝っ転がって読むのがいいわよ」

「じゃ、つぎはどうする? コンビニでも行くか?」

 半分冗談だったが、魔子は鼻息を荒げる。

「そうね。ちょっと興味あるかも」

 すぐ近くにあったコンビニに入ると、魔子は本屋以上にはしゃいだ。

 なんだかんだいって、ふつうの小学生がやっていることに、魔子はあこがれを抱いていたのかもしれない。いくら家が金持ちだからって、やれることの自由が制限されている生活は息苦しいのだろう。

 中でも魔子が興味を示したのが、ジャンクフード、菓子パン、カップ麺といった、あまり体によくなさそうな一連の食い物だった。

「おまえ、普段うまいもん、たくさん食ってんじゃん?」

「だからこそ、こういうの食べたいんじゃないの。家じゃメロンパンも、ポテチも柿ピーも食べる機会がないのよ。カップ麺なんて論外だし」

「食う?」

「でも、今お腹いっぱいだしな」

「あしたの朝か昼にしろ。ハンバーガーだろうが、コーラだろうが、カップ焼きそばだろうが、好きなもん食わせてやる」

「え、あしたも連れだしてくれんの?」

「しょうがないだろ? 夕方までほっぽとくわけにもいかないし。ただ、昼間の外出はなあ。あの仮面は怪しすぎるし」

 念のために仮面は持ってきている。スペアがいくつもあるらしい。

「真夏の真っ昼間じゃなきゃ、日焼け止めと帽子で短時間はだいじょうぶだと思うけど。それも持ってきてるし」

 そうはいっても、あした帰ったとき、すこしでも皮膚に異常があればまずい。外出したのがばれちまう。

「ま、そのへんはあした考えよう。最悪、俺が買ってきてやる」

「うん」

 ま、あしたは学校が休みじゃないが、しょうがない。そもそもつららは確実にサボるはめになったわけだし、自分だけいい子ぶってもしょうがない。

「でも一個だけは買ってよ。夜、ホテルで食べるのに」

 カード使えるくせに、俺にたかるのか? とも思ったがしょうがない。カードの明細が家に届いてあとでばれたらたまらない。

「わかった。なにがいいんだ?」

「柿ピー」

 おまえほんとに女子小学生かっ!

 おっさんの好みだと思ったが、知ったことじゃない。風太は魔子に二百円握らせた。

 魔子は柿ピーの袋を持つと、嬉々としてレジに向かう。買い物すること自体、楽しいらしい。

 魔子は会計を済ますと、お釣りを返し、柿ピーはワンピースのポケットにつっこんだ。

「で、つぎはどこにいく? カラオケでも行くか?」

 もっともこの時間、小学生と中学生を入れてくれるだろうか? ホテルの件もあったから、つい考えてしまう。よく考えたら、風太自身友達だけで夜、カラオケなんかに行ったことはない。もし通報されて補導なんてことになったら洒落にならない。

「カラオケ? 風太センセの前で歌うの? それはちょっとかんべんしてよ」

「あれ? ひょっとして音痴だとか?」

「う、うるさい」

 なんか、胸のあたりをぽかぽかと両拳でなぐなれた。ちょっと目が怒ってる。

 まあ、今までほとんど引きこもりだったんだから、音痴かどうかはともかく、人前で歌うのは苦手なんだろう。

「じゃ、公園にでも行くか?」

「え、公園? こんな時間に? ……あたしを襲う気満々ね」

 真っ赤になりつつ、ちょっとだけびびり顔。

「ばーか。そんな恐ろしい真似ができるか? あの親父に殺されちまう」

「まあ、たしかに風太センセじゃ、お父様に勝てるわけないしね」

 俺じゃなくたって、あれに勝てる人類はいねえっ!

 まあ、じつは見かけ倒しっていう可能性も、なくは……、いや、ないな。ぜったいない。

「将来、おまえが誰かと結婚するときも、そいつ、あの親父にいじめられるんだろうな」

「そんなことないわよ。……いや、やっぱりそうかもね」

 そういって、魔子はけらけらと笑った。

「で、どうする? 狼さんといっしょに公園はいやか?」

「ううん、行くわよ。前から行ってみたいと思ってたの」

 この先の公園は、カップルの巣窟になっていると聞いたことはないので、たぶんエッチなシーンに出会うこともないだろう。

 ぷらぷらと夜風にあたりながら、歩くこと数分。公園にたどり着いた。

 ここは細長い池が真ん中にあり、そのまわりに石で出来た歩道。まわりには木が生い茂っている。悩ましげなカップルをふくめ、あたりには人の気配はなかった。

 きょうは雲もほとんどなく、空には満点の星と満月が輝いていた。

「なんか、おまえんちの庭と大差ないかもな」

「そんなことはないわよ」

「そうか? むしろ、こっちのほうが狭いだろ?」

「でも、あたしんちの庭はあくまでも庭よ。高い塀に閉ざされ、監視カメラで見張られた閉じた空間。ここはそんなに広くもないけど、自由がある」

 自由。自由か。それを奪うのは、病気か? それともあの家なのか?

「そんなに不自由か?」

「そりゃ、踊ることすらできないくらいね」

「じゃ、ちょっと踊ってみるか?」

「は?」

「いや、踊る自由もないんだろ?」

「冗談に決まってるでしょ、まったく。そんな自由はいらないわよ。馬鹿じゃないの?」

 両手をぶんぶん上下に振りながら怒る。

「せっかく抜けだしたんだ。すこしくらい馬鹿なことをしないでどうする?」

 魔子は一瞬、あきれ顔をしたが、すぐににっこりと笑った。

「それもそうね。じゃ、リードして」

 魔子は風太の前に立つ。

「俺が踊れると思うなよ」

「思ってないわよ。あたしだって踊れないし、誰も見てない」

「じゃ、ま、適当でいいかっ」

 踊れっていったのは、ひとりで勝手に踊れって意味だったんだがな。

 風太はそう心の中でぼやきつつも、魔子の手を取り、腰に手を回した。

 まさに適当に動いた。ステップも知らないし、音楽すらない。

 だが、魔子はうまく合わせた。不思議と足を踏み合うこともなく、ぎこちないながらも踊りにはなっていたと思う。

 風太はちょっとみょうな気になった。

 日光を浴びれないという女の子を誘拐同然で連れだし、夜の公園で月光を浴びながら、音楽も掛けずにダンス。現実のものとは思えない。

 ファンタジーの世界に迷い込んだ気分だ。

 魔子もその魔法にかかったのか、みょうにロマンチックな気分に浸っていそうだ。顔がうっとりしてる。

 なんか、やばくね? これ、魔子が同じ年だったら、キスしちゃいそうだぞ。

 風太がそう思った途端、魔子は目をつぶった。

 って、だからそれはだめ。だめだから。

「そこまでだ」

 いきなりドスのきいた声がする。

 ぴたりと足を止め、あたりを見まわすと、四人に囲まれていた。

「な、なによ、あんたたち。気の効かないやつらね」

 魔子はいきりたっていたが、そんなことをいってる場合じゃなさそうだ。

 夜の公園。こういう輩がいたところで不思議はない。ちょっと調子にのりすぎた。

「おまえら、なにがほしい?」

 もっとも金はたいして持ってないけどな。

 連中を見まわすと、覆面で顔をかくしているが、明らかに女がひとり混じってる。体型で丸わかりだ。

 プロレスラーのような筋肉質に、グラマーな女、デブ、優男。

 なんか見覚えのある体型だった。それにさっきの声もなんとなく聞き覚えがある。

「おまえら、……まさか?」

「あら、気づいた?」

 女がしゃべった。その声も初めてじゃない。

 こいつら、たまたま居あわせたやつを襲いにきたわけじゃない。はじめから俺たち、いや、魔子が目的だったんだ。

 いや、おかしい。つじつまが合わない。ここに連れだしたのは俺だし、魔子は本来こんなところにいるわけがない。こいつらがそれを知ってるはずもない。

「なんで、おまえらが?」

 風太の頭はフル回転するが、話が見えてこない。

「不思議そうだけど、不思議でもなんでもないよ。知ってたんだよ、君の計画を。それを利用させてもらった」

 優男がいった。

「なんで知ってる? 盗聴器? いや、まさか。あの屋敷にそんなもの仕掛けられるわけがない」

「盗聴器をしかけたのは君の体にですタイ」

 俺の体? そうか。そうだったのか。

「なに? なんなの、こいつら、風太センセ」

 魔子がようやく異様な事態に気づいたらしい。

「こいつら、俺やつららといっしょに家庭教師の採用試験を受けに来ていた、暁、麝香院、西郷、ジュベールだ。はじめから、魔子をさらう気だったんだ」

「なんですって?」

「そうなのよね。家庭教師に収まればかんたんに内部に入りこめるしね。ただ、計算外の君が採用されちゃったってわけ」

 まずい。まずすぎるぞ、こりゃ。

 こいつらの腕は風太がよく知っていた。しかも一対四。敵うはずがない。

「魔子、ホテルまで逃げろ。俺がくいとめる」

 風太は魔子の耳元でささやくと、背中を押した。

 魔子の一番近くにいた女、つまり麝香院との間に立ちふさがる。

 麝香院の蹴りが飛んでくる。それをスエーでかわす。とにかく、よけるのだけは、得意だ。

「風太センセ!」

「馬鹿。さっさと逃げろ」

 どぼおっ!

 魔子に気を取られた瞬間、麝香院の蹴りがみぞおちに入った。

 痛みと息ができない苦しさで、風太は地面に倒れ、のたうち回った。

「きゃあああ。もがっ、むうぅ」

 魔子の叫び声。それがうめき声に変わった。

「や、やめろ」

 そっちに顔を向けると、魔子は暁と西郷に両サイドから捕まえられ、口を押さえられている。

「手荒なまねをするな」

「心配いらないよ、風太君。彼女は大事な人質だ。丁重に扱うさ」

 ジュベールが風太を見下ろしながらいった。

「魔子は太陽が……」

「もちろん知ってるって。日光にさらしたりはしないから、安心しなよ。もっとも君は安心できないかもね。どう考えたって、僕らの仲間だと思われるよ」

 こいつらの仲間だって? 冗談じゃない。

「すぐにでも逃げたほうがいいんじゃないの? どうせ、親も闇金に追われてんでしょ? いい機会だ。夜逃げでもすれば?」

「ふざけんな」

 寝っ転がりながらも、ジュベールの足を手で刈りはらおうとしたとき、ジュベールは高々とジャンプした。

 そのまま、膝から風太の腹部に落下する。

「ぐおおおお」

 ものすごい衝撃を受け、風太は胃液を吐く。

「じゃあね」

「ま、待て……」

 それ以上、声を出すこともできなかった。

 風太はのたうち回りながら、魔子を連れて立ち去る四人組の後ろ姿を見つめるしかなかった。

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