5
「ねえねえ、どこに連れてってくれるの? 風太センセ」
自転車の後ろの台からはしゃぎ声がする。
「とりあえずは、ホテルだ」
「え? ホテルですって? な、なに考えてんのよ、バカ~っ!」
後ろから頭をぽかぽか殴られた。
「おまえこそ変なこと考えるな。きょうのおまえの寝床を確保しないといけないだろうが。まさか俺の部屋で寝るわけにもいかないし」
「そ、そっか、それもそうね……」
「それにそのキャリーバッグをなんとかしたい」
今、この自転車は後ろに魔子を乗せ、さらにロープでキャリーバッグをがらがらと引っぱりながら徐行運転している。
「ホテルってどこにあるの?」
「駅前だ」
「遠いの?」
「それほど近くもないな」
「ま、べつにいいけど。こうやって自転車に乗るのも悪くないかも」
ひょっとしてこいつ自転車に乗ったことがないんじゃないのか? と思った。無理もない。まったく外に出たことがないわけじゃないにしろ、そのときは親がいっしょだったろうし、とうぜん車を使ったはずだ。
ちらっと後ろを見つつ、そういうと、魔子は真っ赤になって頬をふくらませる。
「の、乗れるわよ。自転車くらい」
ま、そういうことにしておくか。たぶん嘘だけど。
今まで自転車の乗ったことすらない深窓の令嬢を、夜にさらって自転車でお散歩。そう考えれば、連れ出すほうも、連れ出されるほうもロマンチックな気分になっちまう。たとえ、その令嬢が十一歳だったとしてもだ。
のろのろ運転といえど、駅に近づいてきた。まわりには商店が目立ち、必然的に人も多くなる。
「わぁお。人がいっぱいだね」
その声はみょうにはずんでいる。
風太にしてみれば、駅前の人ごみなど邪魔なだけだが、魔子には新鮮な体験に感じられたらしい。
「あそこだ。まあ、ぼろいビジネスホテルだが、勘弁しろ。たまにはいいだろ?」
風太が指さしたホテルはかなり古いホテルで、大きくもない。部屋数もそうないだろうが、予約は入れておいたから問題ない。
「まあまあね」
魔子の台詞は不満そうでいて、その声はなぜか嬉しそうだ。
風太はホテルの駐輪場に自転車を止めると、魔子と供にフロントに行った。広さといい、内装といい、思ったとおりしょぼい。
「予約していた興梠ですが」
「はい、シングル一泊でしたね」
風太が手続きを済ますと、中年のフロントマンはにっこり笑った。
「ええっと、お泊まりになるのは?」
「こいつ」
風太は魔子を指さす。
「え、小学生がひとりでお泊まりですか?」
「なんか問題でも?」
「しょ、しょうしょうお待ちを……」
フロントマンは電話を取ると、誰かと話し始める。その会話の中に「家出」という単語が小声で話された。
え、ひょっとしてやばい?
「魔子、行くぞ」
小声で促すと、逃げるようにホテルを出る。
「あ、お待ちを」
フロントマンがなんか叫んでいたが、無視した。魔子も事情を察したのか、黙って付いてくる。
自転車はそのままで、ダッシュで駅に向かう。とりあえず、キャスターバッグは駅のコインロッカーに預けた。
「で、これからどうするの?」
魔子が非難がましい目で風太を睨む。
「そう言うな。まさか、あんなチェックが入るとは思わなかったんだ」
どうやら、子供の自由というのは、思った以上に制限されているらしい。
「無計画」
「だから、そう言うなって」
「まあ、いいわ。泊まるところはあとで考えましょう。いざとなったら、風太センセの家に泊まるしかないけど」
こいつ案外肝が据わってるな。それとも俺を信頼しきってるのか?
「で、どこに連れてってくれるの?」
「ええっと、お姫様はどこにいきたいのかな?」
「なによ。なにも考えてないの? 女の子をエスコートするのは男の役目よ」
この間まで小学生で、デートすらしたことのない俺に無茶をいうな。
そう思ったが、相手はまだ小学生で、ほとんど外出すらしたことのない女の子なんだからしょうがない。
「じゃあ、とりあえず、外をぶらぶらしますか、お姫様?」
「そうね。風太センセにそれ以上期待しても無理そうだし」
ムカついたが、魔子はみょうに楽しそうだ。
案の定、駅から出ると、あっちをきょろきょろ、こっちをきょろきょろで、見慣れない光景を堪能しはじめた。
もっとも夜の九時過ぎだから、やっている店はたいして多くはない。もちろん、飲食店はべつだが、夕食はすませてきている。魔子がまず目をつけたのが、本屋だった。最近はこのへんでも夜十一時くらいまでは営業している。
「へえ、意外とたくさんあるじゃない」
そういって、目を輝かせる。
「そういえば、おまえ、今までどうやって買ってたんだ?」
「ネットでに決まってるじゃない。今はインターネット書店がたくさんあるのよ。知らないの?」
それくらいは知っている。
「おまえ、自由に使えるクレジットカード持ってんの?」
「うん」
「ひょっとして、使い放題?」
「まあ、あんまり買いすぎると怒られるけどね」
いくら金持ちだからって自由奔放すぎる。とも思ったが、よく考えてみれば、品物もカード使用明細も家に届く。買ったものはぜんぶチェックされるわけだし、そう無茶なことはできない。小遣い自由になるどら息子が、夜遊びやギャンブル、高級車などに使い込むのとはわけがちがう。
魔子ははしゃぎまわりながら、あちこちで立ち読みをはじめたが、長くは持たなかった。
「つぎ行きましょう」
「もういいのか?」
「うん。だって、べつにいつでもネットで買えるし、ちょっと立ち読みってやつをやってみたかっただけ。あれって、意外と疲れるし。やっぱり、本は寝っ転がって読むのがいいわよ」
「じゃ、つぎはどうする? コンビニでも行くか?」
半分冗談だったが、魔子は鼻息を荒げる。
「そうね。ちょっと興味あるかも」
すぐ近くにあったコンビニに入ると、魔子は本屋以上にはしゃいだ。
なんだかんだいって、ふつうの小学生がやっていることに、魔子はあこがれを抱いていたのかもしれない。いくら家が金持ちだからって、やれることの自由が制限されている生活は息苦しいのだろう。
中でも魔子が興味を示したのが、ジャンクフード、菓子パン、カップ麺といった、あまり体によくなさそうな一連の食い物だった。
「おまえ、普段うまいもん、たくさん食ってんじゃん?」
「だからこそ、こういうの食べたいんじゃないの。家じゃメロンパンも、ポテチも柿ピーも食べる機会がないのよ。カップ麺なんて論外だし」
「食う?」
「でも、今お腹いっぱいだしな」
「あしたの朝か昼にしろ。ハンバーガーだろうが、コーラだろうが、カップ焼きそばだろうが、好きなもん食わせてやる」
「え、あしたも連れだしてくれんの?」
「しょうがないだろ? 夕方までほっぽとくわけにもいかないし。ただ、昼間の外出はなあ。あの仮面は怪しすぎるし」
念のために仮面は持ってきている。スペアがいくつもあるらしい。
「真夏の真っ昼間じゃなきゃ、日焼け止めと帽子で短時間はだいじょうぶだと思うけど。それも持ってきてるし」
そうはいっても、あした帰ったとき、すこしでも皮膚に異常があればまずい。外出したのがばれちまう。
「ま、そのへんはあした考えよう。最悪、俺が買ってきてやる」
「うん」
ま、あしたは学校が休みじゃないが、しょうがない。そもそもつららは確実にサボるはめになったわけだし、自分だけいい子ぶってもしょうがない。
「でも一個だけは買ってよ。夜、ホテルで食べるのに」
カード使えるくせに、俺にたかるのか? とも思ったがしょうがない。カードの明細が家に届いてあとでばれたらたまらない。
「わかった。なにがいいんだ?」
「柿ピー」
おまえほんとに女子小学生かっ!
おっさんの好みだと思ったが、知ったことじゃない。風太は魔子に二百円握らせた。
魔子は柿ピーの袋を持つと、嬉々としてレジに向かう。買い物すること自体、楽しいらしい。
魔子は会計を済ますと、お釣りを返し、柿ピーはワンピースのポケットにつっこんだ。
「で、つぎはどこにいく? カラオケでも行くか?」
もっともこの時間、小学生と中学生を入れてくれるだろうか? ホテルの件もあったから、つい考えてしまう。よく考えたら、風太自身友達だけで夜、カラオケなんかに行ったことはない。もし通報されて補導なんてことになったら洒落にならない。
「カラオケ? 風太センセの前で歌うの? それはちょっとかんべんしてよ」
「あれ? ひょっとして音痴だとか?」
「う、うるさい」
なんか、胸のあたりをぽかぽかと両拳でなぐなれた。ちょっと目が怒ってる。
まあ、今までほとんど引きこもりだったんだから、音痴かどうかはともかく、人前で歌うのは苦手なんだろう。
「じゃ、公園にでも行くか?」
「え、公園? こんな時間に? ……あたしを襲う気満々ね」
真っ赤になりつつ、ちょっとだけびびり顔。
「ばーか。そんな恐ろしい真似ができるか? あの親父に殺されちまう」
「まあ、たしかに風太センセじゃ、お父様に勝てるわけないしね」
俺じゃなくたって、あれに勝てる人類はいねえっ!
まあ、じつは見かけ倒しっていう可能性も、なくは……、いや、ないな。ぜったいない。
「将来、おまえが誰かと結婚するときも、そいつ、あの親父にいじめられるんだろうな」
「そんなことないわよ。……いや、やっぱりそうかもね」
そういって、魔子はけらけらと笑った。
「で、どうする? 狼さんといっしょに公園はいやか?」
「ううん、行くわよ。前から行ってみたいと思ってたの」
この先の公園は、カップルの巣窟になっていると聞いたことはないので、たぶんエッチなシーンに出会うこともないだろう。
ぷらぷらと夜風にあたりながら、歩くこと数分。公園にたどり着いた。
ここは細長い池が真ん中にあり、そのまわりに石で出来た歩道。まわりには木が生い茂っている。悩ましげなカップルをふくめ、あたりには人の気配はなかった。
きょうは雲もほとんどなく、空には満点の星と満月が輝いていた。
「なんか、おまえんちの庭と大差ないかもな」
「そんなことはないわよ」
「そうか? むしろ、こっちのほうが狭いだろ?」
「でも、あたしんちの庭はあくまでも庭よ。高い塀に閉ざされ、監視カメラで見張られた閉じた空間。ここはそんなに広くもないけど、自由がある」
自由。自由か。それを奪うのは、病気か? それともあの家なのか?
「そんなに不自由か?」
「そりゃ、踊ることすらできないくらいね」
「じゃ、ちょっと踊ってみるか?」
「は?」
「いや、踊る自由もないんだろ?」
「冗談に決まってるでしょ、まったく。そんな自由はいらないわよ。馬鹿じゃないの?」
両手をぶんぶん上下に振りながら怒る。
「せっかく抜けだしたんだ。すこしくらい馬鹿なことをしないでどうする?」
魔子は一瞬、あきれ顔をしたが、すぐににっこりと笑った。
「それもそうね。じゃ、リードして」
魔子は風太の前に立つ。
「俺が踊れると思うなよ」
「思ってないわよ。あたしだって踊れないし、誰も見てない」
「じゃ、ま、適当でいいかっ」
踊れっていったのは、ひとりで勝手に踊れって意味だったんだがな。
風太はそう心の中でぼやきつつも、魔子の手を取り、腰に手を回した。
まさに適当に動いた。ステップも知らないし、音楽すらない。
だが、魔子はうまく合わせた。不思議と足を踏み合うこともなく、ぎこちないながらも踊りにはなっていたと思う。
風太はちょっとみょうな気になった。
日光を浴びれないという女の子を誘拐同然で連れだし、夜の公園で月光を浴びながら、音楽も掛けずにダンス。現実のものとは思えない。
ファンタジーの世界に迷い込んだ気分だ。
魔子もその魔法にかかったのか、みょうにロマンチックな気分に浸っていそうだ。顔がうっとりしてる。
なんか、やばくね? これ、魔子が同じ年だったら、キスしちゃいそうだぞ。
風太がそう思った途端、魔子は目をつぶった。
って、だからそれはだめ。だめだから。
「そこまでだ」
いきなりドスのきいた声がする。
ぴたりと足を止め、あたりを見まわすと、四人に囲まれていた。
「な、なによ、あんたたち。気の効かないやつらね」
魔子はいきりたっていたが、そんなことをいってる場合じゃなさそうだ。
夜の公園。こういう輩がいたところで不思議はない。ちょっと調子にのりすぎた。
「おまえら、なにがほしい?」
もっとも金はたいして持ってないけどな。
連中を見まわすと、覆面で顔をかくしているが、明らかに女がひとり混じってる。体型で丸わかりだ。
プロレスラーのような筋肉質に、グラマーな女、デブ、優男。
なんか見覚えのある体型だった。それにさっきの声もなんとなく聞き覚えがある。
「おまえら、……まさか?」
「あら、気づいた?」
女がしゃべった。その声も初めてじゃない。
こいつら、たまたま居あわせたやつを襲いにきたわけじゃない。はじめから俺たち、いや、魔子が目的だったんだ。
いや、おかしい。つじつまが合わない。ここに連れだしたのは俺だし、魔子は本来こんなところにいるわけがない。こいつらがそれを知ってるはずもない。
「なんで、おまえらが?」
風太の頭はフル回転するが、話が見えてこない。
「不思議そうだけど、不思議でもなんでもないよ。知ってたんだよ、君の計画を。それを利用させてもらった」
優男がいった。
「なんで知ってる? 盗聴器? いや、まさか。あの屋敷にそんなもの仕掛けられるわけがない」
「盗聴器をしかけたのは君の体にですタイ」
俺の体? そうか。そうだったのか。
「なに? なんなの、こいつら、風太センセ」
魔子がようやく異様な事態に気づいたらしい。
「こいつら、俺やつららといっしょに家庭教師の採用試験を受けに来ていた、暁、麝香院、西郷、ジュベールだ。はじめから、魔子をさらう気だったんだ」
「なんですって?」
「そうなのよね。家庭教師に収まればかんたんに内部に入りこめるしね。ただ、計算外の君が採用されちゃったってわけ」
まずい。まずすぎるぞ、こりゃ。
こいつらの腕は風太がよく知っていた。しかも一対四。敵うはずがない。
「魔子、ホテルまで逃げろ。俺がくいとめる」
風太は魔子の耳元でささやくと、背中を押した。
魔子の一番近くにいた女、つまり麝香院との間に立ちふさがる。
麝香院の蹴りが飛んでくる。それをスエーでかわす。とにかく、よけるのだけは、得意だ。
「風太センセ!」
「馬鹿。さっさと逃げろ」
どぼおっ!
魔子に気を取られた瞬間、麝香院の蹴りがみぞおちに入った。
痛みと息ができない苦しさで、風太は地面に倒れ、のたうち回った。
「きゃあああ。もがっ、むうぅ」
魔子の叫び声。それがうめき声に変わった。
「や、やめろ」
そっちに顔を向けると、魔子は暁と西郷に両サイドから捕まえられ、口を押さえられている。
「手荒なまねをするな」
「心配いらないよ、風太君。彼女は大事な人質だ。丁重に扱うさ」
ジュベールが風太を見下ろしながらいった。
「魔子は太陽が……」
「もちろん知ってるって。日光にさらしたりはしないから、安心しなよ。もっとも君は安心できないかもね。どう考えたって、僕らの仲間だと思われるよ」
こいつらの仲間だって? 冗談じゃない。
「すぐにでも逃げたほうがいいんじゃないの? どうせ、親も闇金に追われてんでしょ? いい機会だ。夜逃げでもすれば?」
「ふざけんな」
寝っ転がりながらも、ジュベールの足を手で刈りはらおうとしたとき、ジュベールは高々とジャンプした。
そのまま、膝から風太の腹部に落下する。
「ぐおおおお」
ものすごい衝撃を受け、風太は胃液を吐く。
「じゃあね」
「ま、待て……」
それ以上、声を出すこともできなかった。
風太はのたうち回りながら、魔子を連れて立ち去る四人組の後ろ姿を見つめるしかなかった。
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