「風太、家庭教師の第一日目はどうだった?」

 朝、教室でつららと顔を合わせると、いきなり聞かれた。

「親父がむちゃくちゃ濃いやつだった。生徒は生意気だけど、教えるのは楽だ。っていうか、教えることほとんどねえ」

「それであんだけもらえるのか? いいご身分だな」

「なんだよ。おまえ、応援してくれんじゃないのか?」

「ん? まあ、あたしもちょっとやってみたかった気がしただけだ。極貧の風太にゆずってもしょうがあるまい」

 極貧はよけいだ。第一、ゆずるもなにも、三次の面接であっさり俺が選ばれたからそうなっただけだし。

 風太としてはそうつっこみたかったが、二次を通過できたのは、半分つららのおかげだから、あまりえらそうなことをいえない立場にある。

「で、あの仮面少女、おまえに惚れてんの?」

「は?」

「だって、速攻でおまえに決めたじゃないか。まあ、麝香院は一次の自己紹介で、レズでロリータが大好きとかいってたから論外だと思ったし、あたしはきっとがさつで怖そうな女と思われたんだろうな。だけど普通ならおまえじゃなくて、ジュベールにいかないか?」

「ま、まあ、そうかもな」

 すくなくとも二次までの成績なら、向こうのほうがだんぜん上だろう。ん? いや、そうか? たしかに二次は完璧だったが、一次はいち早く隠れてただけだぞ、あいつ。

 ちょっと反論したい気になったが、顔色を読まれたのか、つららは風太に口を開かせなかった。

「ルックス、学歴、運動神経。ぜんぶあっちが上だ」

 まあ、ソルボンヌ大学だしな。ん? そういえば、あいつはなにやってるやつだっけ? 職業は名乗らなかったような気が……。ひょっとしてニートか?

「で、おまえが勝ってるのは、年が近いことと、普通っぽくて親しみが湧いたんだろうな。つまり彼氏候補だろ? あたしはそう見た」

「彼氏っていうか、友達がほしかったみたいだな。なにせ皮膚の病気のせいでほとんど引きこもりだから」

「ふ~ん?」

「そういえば、外に連れ出してほしいって頼まれた。夜なら出られるんだが、親父が心配性で出してくれないらしい」

「え? ひょっとしてあのお屋敷から出たことないのか?」

「いや、さすがにそうでもないらしいけど、親や護衛といっしょじゃいやなんだ」

「まあ、たしかにな。あたしなんか五、六年生のころは、昼間はもちろん、夜もひとりでほっつき歩いて、悪そうなやつがよってきたらぶっ飛ばしてたしな。親もなんにもいわねえっつうか、武者修行だ、もっとやれって煽ってたし」

 そりゃ、おめえだけだよっ!

「で、どうすんの? 親を説得するのか? 僕が責任を持って無事帰しますから、とかいって」

「いや、無理。っていうか、ダメだった。おまえはあの関羽のような親父を知らんからそんなことがいえるんだ」

「そうか? 関羽親父は知らんが、剣客の母ちゃんなら知っている。あれがぶち切れたらたしかに怖いな」

 そうだ。あれもいた。普段はにこやかなくせに、怒ると般若になる殺し屋。ついでに殺人鬼エリート教育を受けている幼児もいる。

「どうにかして、連れ出せないかな? 内緒で」

「なんだ? じつは仮面の下は美少女で、『お願い、あたしを連れ出して』とか頼まれたのか?」

 いや、仮面の下はちょっとかわいいけど生意気な小悪魔で、賭に負けて命令された。

「まさか、おまえのほうが惚れたんじゃないだろうな?」

「馬鹿いえ。相手は子供だぞ」

「おまえだってまだ子供だ。っていうか、一歳しかちがわんだろ? 今すぐじゃたしかに小学生とつきあってると馬鹿にされるが、あと一年したら中一と中二。ぜんぜんノープロブレムだ」

「くっつけたいのか?」

「んなわけないだろ!」

「なんだよ、ひょっとして妬いてんのか、おまえ?」

「アホかおまえ!」

 つっこみパンチが飛んできたが、いつもより殺気がこもっている。あやうくよけそこねるところだった。

 そんなことをやってるうちに、担任教師が入ってきたので話は中断になった。

 もっとも風太はホームルーム中、ひいてはそのあとの授業中もずっと、魔子をあの屋敷から連れ出し、ふたたび気づかれずに帰すにはどうすればいいかを考えていた。

 犯罪計画を練る怪盗にでもなった気分だ。

 このミッションを遂行するにはさまざまな関門をクリアしなくてはならない。

 まず、魔子の部屋から屋敷の外に出るには、メイドや両親の目をくぐり抜けないといけない。玄関には門番。さらには敷地の外には城壁。正門のオートドアは屋敷の中からしかコントロールできない。

 さらに魔子がいうには、敷地内にはいくつもの監視カメラ。これは当然、玄関や裏口をも見張っているし、屋敷内の廊下とか共用部にもついているらしい。

 それをどうやってかいくぐるか?

 いや、とりあえず中に入ることはできる。自分は家庭教師なのだから。

 問題はどうやって出るかだ。それも魔子を連れて。

 自分が出るだけなら、家庭教師を終えて帰るときに出れる。だがそのとき、魔子を連れていくのは無理だ。透明人間にでもしない限り。

 なにか大きなバッグにでも入れるか?

 いや、それは不自然だ。そんなものを持ち込む理由がない。

 理由を作るか? どんな?

 なにか教材でもいれてることにして……。

 いや、だめだ。それだと仮に外に連れ出すのに成功したとしても、誰にも知られずに帰るというのに無理が出る。それができないと、俺はあの親父に殺される。

 風太は延々と思考を巡らせるが、いい考えが浮かばない。時間だけが過ぎていった。

 待てよ?

 まさに六時間目の授業が終わりそうになったころ、風太にある考えが浮かんだ。

 これって、可能か?

 瞬間的に頭の中で実行してみるが、決定的な問題はとりあえず浮かばなかった。

 もっともいくつか魔子に確認しなくちゃならないこともある。

 そしてなにより重要なのは、べつにひとり協力者がいるってことだ。

 頼めるのはひとりしか思いつかなかった。

 放課後になる。風太は帰りかけたつららに声をかける。

「なあ、さっきの屋敷に閉じこめられたかわいそうな深窓の令嬢に外の空気を吸わせてやるって計画。乗らないか? どうしても協力者がいる」

「本気かよ、おまえ?」

 つららの目がぱちくりしていた。

「下手すりゃ誘拐だぞ。あそこなら警察に通報する前に、実力行使してくるかもしれないがな。まあ、そこまでいかなくても、ばれればまちがいなく職を失う。いいのか、それで?」

「しょうがないだろう。約束したんだ」

「マジかよ?」

 つららは呆れたような悲しいような表情をした。

「いや、失敗はしない。もし、計画を詰めて、失敗する可能性を感じたら、やらない。こんな計画だ」

 風太は誰も聞いていないことを確認した上で、つららに打ち明けた。

「それって、あたしのリスクも高いじゃないか。なんのメリットもないのに」

 それをいわれるとつらい。借金を返すのにせいいっぱいの風太としては、つららに報酬を用意することはできないのだ。

「だめか?」

「いや、やるよ。なんかおもしろそうだし」

「マジか?」

「ああ、それにおまえ、約束したんだろう。男足るもの、一度した約束はどんなにリスクを背負おうと守るもんだ。おまえを卑怯者にはしたくない」

 やっぱりおまえは男前だ。

「で、いつやるんだ?」

「いろいろ調べたり、細かいところを詰めたりしなくちゃならない。一週間後。無理なら延期するか、中止する」

「わかった。ひとつ貸しだぞ」

 かなり高い貸しだ。だがしょうがない。

「ああ、いつか必ず返す。利子つけてな」

「あたしの利子は高いぞ。十一トイチだ」

「闇金かよっ!」

 十一とは十日で一割の利子が付くこと。闇金の取り立てのせいで、バイトする羽目になった風太としては笑えない冗談だ。

 そのあと、つららと別れ、巣豪杉家に向かう。

 やべっ。なんかわくわくしてねえか、俺?

 失敗すればそうとうヤバいことになるのはまちがいないのに、なぜかそういう悪いイメージは一切浮かばなかった。

 ただ、外で魔子が笑う顔を見てみたかった。

 まさか、ほんとに魔子に惚れたわけじゃないだろうな?

 んなわけはねえ。

 ただ、あいつを見てたら、たとえ一時間でもいいから籠の外に出してやりたい。そんな気になった。悲しい女を助けるのは男の義務だ。

 そうだろう? ちがうのか?

 いいや、ちがわないね!

 風太は自転車のペダルをたたきつけるように踏んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る