風太センセっ よろしくねっ!

南野海

第1章 幼なじみは熊殺し

 くああああああ。痺れるぜ!

 興梠風太こうろぎふうたは叫びたかった。海辺の夕日に向かって、馬鹿野郎と絶叫してもいい気分だった。普段ならそんなこと絶対やってたまるかと思っているくせに。

 なぜ、そんな気分かというと、せっかくこの春トップ入学した名門私立中学、優勝館学園を退学しなくてはいけないかもしれないからだ。

 といっても、べつに悪さしたわけじゃない。学費が払えなくなるかもしれないのだ。

 なんと父親が知人とやらの借金の連帯保証人になったおかげで、連日家には借金取りが押しよせてくる。なんでも連帯保証人というのは、自分が借金したのも同然らしい。しかも、この学園の学費は馬鹿高い。

「ああ、俺はこの年で人生の負け犬かよっ!」

「黙れ、負け犬」

 下校時、最寄りの駅まで隣を歩いている少女は、「だいじょうぶだよ、なんとかなるって」なんて無責任にして、甘い言葉はけっしてささやいてくれない。ちなみに、彼女は風太のおとなりさんにして幼なじみで、ついでにクラスメイト。木枯こがらしつららという。

「負け犬のだめ押ししてくれなくったっていいぞ、つらら。充分わかってるって」

「その思考が負け犬だ。男なら反発しろ。っていうか、風太、借金くらいはねとばせよ」

 つららは機嫌が悪いらしい。ただでさえ勝ち気な顔が、怒りに燃える目のせいでさらに怖い。

 まあ、しょっちゅう怒ってるやつだが、つららは新入生の中でもかわいさという点ではめちゃくちゃ目立っていた。顔には気の強さがにじみ出ているとはいえ、きりっとした目、小さくて形のよい鼻、ひきしまった唇と各パーツが魅力的な上、表情がくるくる変わる。背は低めだが、出るところは出る体型だし、全体としてはシャープな印象。長~い、ポニーテールもよく似合っている。

 しかし、まったくモテない。その原因のひとつが、格好だ。優勝館学園の制服は、男子は学ラン、女子はセーラー服だが、なぜか、つららはセーラー服の上に空手着を羽織っている。もっとも襟だけは外に出しているあたりが彼女流のおしゃれらしい。

 締めているのは黒帯。もちろん、本物だ。家が空手道場。ひとり娘で、あとを継ぐ気満々。

 ってか、そんなのは、その格好の理由にならねえ!

 とつっこめるやつは、誰もいなかった。なぜなら、恐ろしいから。

 とにかく、その異常なファッションセンスといい、かなり変わったやつであることはたしかだ。

 しかし、モテないほんとうの理由は、むしろ、口の悪さと、男前すぎる性格だ。たとえば……。

「つらら、……借金返すのは親だぞ」

「おまえ、小学生かよっ! 非常事態だ。自分の学費くらい自分でなんとかしろ」

 ってな具合だ。思わず、風太は心の中でつっこむ。

 おまえは自分で学費払ってんのかよ!

 っていうか、ついこの前まで小学生だったろ? 俺もおまえも!

「なんだよ、なんかいいたいのか?」

「おまえ、月いくらかかるか知ってんのか?」

 もっとも風太とて、知ったのは最近だ。学費自体は月五万だが、それ以外に寄付金だの、積立金だのもろもろで、けっきょく平均月十万くらいはかかるらしい。高等部に進学すればもうちょっと高くなる。さらにいまから大学の入学金や、授業料を今から積み立てることを考えたら、その倍はいるだろう。

「知らん」

 これだっ。ぜんぜん流行ってない道場のおまえんちが、うちの学園に払えるのは、たんに母親の実家が金持ちだからだろうが!

 もっとも中学生なら、親がいくら学費を払ってるか知ってる方が珍しいかもしれない。

「二〇万だよ、二〇万。親を頼らず、自分で大学まで行こうと思ったら、だいたいこれくらいいる。これだけ俺が稼ごうとしたら、一日何時間バイトしなくちゃなんねえんだよ」

 そういいつつ、風太は計算した。

 ええっと、時給八〇〇円として、二〇万をそれで割ると、二五〇時間。仮に月二五日働くとして、二五〇割る二五は……、十時間。

 学校終わって、四時から働くとして、夜中の二時まで。それも毎日。

「無理。ぜったい無理。いつ勉強すんだよ。ってか、遊ぶ時間ねえじゃねえか」

「この軟弱者めが。人生の負け犬になるかどうかの瀬戸際なのに、遊ぶ心配かよっ。働け。馬車馬のように働け。遊びたかったら睡眠時間削れ」

 おまえ、人ごとだと思って、男前すぎんだろ?

 そもそも中学生を深夜まで働かせるところがあるわけねえ!

 っていうか、うちの学校、バイト禁止じゃねえか。やるにしても、おおっぴらにはできないってことだ。

 まあ、大学の分は、あとで考えるとしても、一日五時間は働く必要がある。それだって無理そうだ。

 休学して学費が貯まるまで働くなんてこともできない。なんてったって、まだ中学生だからな。っていうか、なんで中学一年生がこんなことを心配しなくくちゃいけないんだ?

 現実的な路線を取るなら、公立に転校だ。ん? 他県に引っ越すわけでもないのに、転校ってできるんだっけ? いや、高校とちがって義務教育だからなんとかなるだろ?

 と、風太の頭の中が、つっこみと疑問でぐちゃぐちゃになっていると、いつの間にか駅前まできていた。

 そこで、一生懸命ビラを配っている若い女がいた。年はたぶん十五くらいで、かなりかわいい。恰好はメイド。

「こんなところにメイド喫茶ができたんか?」

「なんだよ、風太。行きたいのか? そんなところで遊んでる場合じゃないだろ!」

 つららが睨む。

 いや、べつに行きたいなんていってないだろ? 中学生がそんなところに行くかっ! じつはどんなところなのか、よくは知らないけど……。

「お願いしま~す」

 近くまで行くと、メイドさんが笑顔えでビラを差し出すので、つい手に取ってしまった。

 それにはこう書いてあった。


 家庭教師求む。

 勤務時間は月曜から金曜まで週五日。午後四時から午後八時。

 生徒は小六女子。科目は全教科。

 時給三万円。

 男女年齢プロアマ問わず。経験年齢問わず。

 ただし選抜試験あり。


 巣豪杉太刀すごうすぎたち


「時給三万円だぁあああああ?」

 どんだけ金持ちなんだよ? いや、そんなに問題児なのか? いや、そんなこたあどうだったいい。時給三万円で、一日四時間、つまり十二万円だ。それが週五日、つまり六〇万。月だと、二四〇万?

「これほんとか? いや、ほんとですか?」

 風太は瞬間的にふり返り、メイドの姉ちゃんに詰め寄っていた。

「は、はい。書いてあるとおりです。嘘なんか書いてませんよ。ただのひと言も。ほんとですって」

 聞きようによっては、「はい、ご心配の通り怪しい求人です」と聞こえなくもないが、メイドは断言した。

「そ、そうですか? じゃあ、さっそく応募したい……」

「ちょっと待て、風太。話ができすぎだろ、これ?」

 た、たしかに、いわれてみればそうだな?

 時給につられていってみれば、体をもてあそばれたとか、ありがちな話だ。だが、それは若い女に限ってのこと。

 募集条件には女と限定されていない。年齢制限もない。

 このプロアマ問わずってのは、プロの家庭教師じゃなくてもいいってことのはずだ。

「だよな? 家庭教師だと思ってたら、教えなきゃならないのはエロいこと。お姉さんが教えてあげるっ、みたいな」

「おまえは女か!」

 つっこみがわりに正拳突きが顔面に飛んできたが、ひらりとかわす。

 しょっちゅうのことなのでもう慣れっこだ。というか、風太も小学校のころはつららの家の道場で稽古してた。つららの親父曰く、ディフェンスの天才らしい。おかげでつららの本気の攻撃だろうと反射的にかわせてしまう。もっとも人をぶん殴るのはどうも苦手で攻撃は才能ないらしく、試合をしてもけっきょくつららには敵わなかった。

「だったら問題ないだろ? 男をだましてどうする? それとも小六の女の子に、お兄さんが教えてあげる、っていう展開か?」

「そんなわけあるか!」

 つっこみ裏拳が飛んできたが、ブロック。

「っていうか、家庭教師が中一でいいのか?」

「いいんだよ。だって年齢問わずって書いてあるし」

 自分で言いながら、すこし自信がない。

「だ、だいじょうぶですよぉ。中学生だろうと、オッケーです。ついでに言うと、エロいことをするのもされるのもなしです。これは百パーセントほんとです。断言します」

 メイドさんがにっこり笑いながら取りなした。

「あんたは黙ってて」

 つららはメイドさんを威嚇したあと、風太に向き直る。

「男だっていろいろあるぞ。マグロ漁船や山奥のタコ部屋に売られるとか、あるいは内臓とられるとか」

「縁起でもないこというな。マンガの読み過ぎだ。中学生をそんなところに送り込む馬鹿がどこにいる? 逮捕されるって」

「おまえが世間知らずすぎるんだ。まったく父ちゃんの血筋だな」

 まあ、たしかに、だからこそこんな苦労をしてるわけだが……。

「そもそもこの選抜試験ってなにやるんだ? なにも書いてないだろ。うさんくさい」

 つららがメイドさんを睨んだ。

「え、ええっと、それに関してはいっちゃいけないことになってます」

「聞いたか? 風太。なにやらされるかわかったもんじゃねえぞ」

「そ、そりゃあ、これだけの好条件だ。応募者が殺到するんだろうさ。学力や教える技術を試すんだろ?」

 風太はそのへんには自信があった。なにせ、都内でも有数の名門進学校、優勝館学園にトップ合格したのだ。小六全科目など楽勝だ。それに教える技術だって……。

「つらら。おまえがうちの学校に合格できたのも、俺の教え方がうまかったせいだろ? 向いてんだよ。天職だ」

「まあ、……それはそうかもしれないが」

 つららは唇をとがらせる。

「いいか? 慎重なのもいいが、今は非常事態だ。こんなチャンスを逃すのは馬鹿だ。このバイト続けりゃ、学校やめなくてすむどころか、借金まですぐ返せるぞ。俺はやる。おまえがなんといってもやるぞ」

「だったら、あたしもその選抜試験とやらをいっしょに受けるぞ」

「は? なんで?」

「おまえだけじゃ心配だろ? もし相手が悪党だったら、ぶちのめしていっしょに逃げる」

「悪党なんかじゃありませんよぉ」

 笑顔のメイドさん、ふたたび、つららに睨まれる。

「だから、悪党だった場合の話だって」

 んん。ある意味、頼もしいかな?

 こいつだって、仮にもうちの学校に入学できたんだから、小六の家庭教師に募集してもおかしくはないな。まあ、なったら、生徒の子がかわいそうな気もしないではないが。

 ライバルになりそうだったら、蹴落としたいところだが、その心配はない。なにせ、俺はこいつの受験の先生だからな。

 風太は一瞬でそう判断した。

「そうか、好きにしろ。とりあえず、俺は俺で応募するからな」

 つららの反応を待たず、メイドさんに聞いた。

「で、どうすればいいんですか?」

「ええっと、まず、書類審査がありますので、履歴書を送ってください。書類審査を通過された方にだけ、一次審査のご案内をさせていただきます」

 そういえば、ビラには応募者である巣豪杉すごうすぎ家の住所が書かれてあった。

「わかりました。すぐに送ります」

「お待ちしております」

 メイドさんは深々とお辞儀をした。

 書類審査。まあ、問題ないだろう。年齢問わずってわざわざ書いてあるし、中学生でもオッケーだってこの人も言ってたじゃないか。落ちることはないはずだ。なんせ名門進学校の生徒なんだから。

 一次審査とかいっていたが、二次、三次もあるんだろうか? まあ、あったとしても筆記試験や面接、あとはせいぜい実際に教える場面の模擬試験くらいだろう。

 そこらの高校生や大学生に負けない自信はあった。問題はプロの家庭教師だ。さすがの風太も、そいつら相手には勝つ自信がない。

 まあ、なんとかするしかないな。

「あたしも受けるから」

「お待ちしております」

 メイドさんはつららにも頭を下げる。

 まあ、つららにしろ同じ学校なんだから、書類で落ちることはたぶんないだろう。ほんとうに中学生で問題がないなら。

 風太はつららとともに駅前の文房具屋に入り、履歴書の用紙を買った。

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