ゴールドシーカー
太陽に変わって月が荒野を見下ろすようになり、刻々と夜が深まっていく。クラウドは明かりを消す前になって、重大な問題に気づいた。
ふたりの居る狭い部屋には、ベッドがひとつしかなかったのだ。
「どっちが寝る?」
「一緒に寝ればいいよ」
「できるか、そんなこと!」
「どうして?」
「どうしてって……」
あまりに当然のことのように聞いてくるサンディ。クラウドは自分の常識を一瞬疑いかけたが、ぶるぶると首を振ってすぐに思い直した。
「よし、アウトロウらしく決めよう」
「アウトロウ! クラウドやレイニーと同じだね。どうやるの?」
サンディは嬉しそうに両手を挙げて頷いた。
「お互いに違う意見があるときは、なんでそうしたいのかの理由を挙げていく。で、多い方を採る」
「でも、理由にもいろいろあるでしょ? 数だけで決めて良いの?」
「理由の大きさを決めることができる奴が居るか? 居るとすれば、それは神かザ・ロウだけだ。でも、神はもう居ないし、俺たちアウトロウはザ・ロウに背を向けてるからアウトロウって言うんだ。だから、理由の大きさは考えない」
「なるほど。うん、やってみようよ!」
クラウドは壁にもたれ、サンディは床にぺたんと座り込んでいる。サンディはほっぺに太陽を浮かべた笑みで、アウトロウの仲間入りを喜んでいる様子だ。
「本当にわかってんのかよ」
クラウドは呆れた様子でバンダナを外しながら、指を立てた。
「……ひとつ。俺は男で、お前は女だ」
「そんなの、理由にならないよ」
クラウドが立てた指を寄り目気味に見つめながら、サンディが首をかしげる。
「どんな理由だって、相手が理由にならないって言っちまったら理由にならないだろ、ふたりしか居ないんだから。俺が理由になると言ったらなるんだ」
「そっか。じゃあ……ひとつ、ふたりで寝た方があったかいよ」
サンディも指を立てる。野の人々は指で数を数えるとき、親指から立てるらしい、とクラウドは考えながら、自分の中指を立てた。
「ふたつ、ふたりで寝たら狭いだろ」
「ふたつ、あたしはクラウドと一緒に寝たいもん」
「な、なんだよそれ」
「あれ? 俺はお前と寝たくないんだって言わないの?」
サンディが悪戯っぽく笑っている。赤い肌に、白い歯がきらきらと光るようだ。
「う、嘘ついたら、成立しないだろ」
「じゃあ、決まりだね。みっつ、クラウドもあたしと一緒に寝たいんだ」
手を叩いて喜ぶサンディ。他人の挙げた理由を否定できない以上、クラウドも文句をつける訳にはいかない。
そういうわけで、ふたりは同じベッドで寝ることになった。
「うっわー、すごい。ベッドってこんな感じなんだね-」
「静かにしろよ。レイニーは最中に邪魔されると本気で怒るんだよ」
ぼふ、ぼふ、と毛布を叩いてはしゃぐサンディを尻目に、クラウドはオイルランプの火を吹き消す。曇ったガラス瓶の中の火が消えて、部屋に注ぐ光は窓の外の星明かりだけ。
毛布から覗くサンディの足が、うっすらとした輪郭になって浮かび上がるように感じられた。その足の付け根には何もつけてないんだよな、という考えが頭をよぎり、ぶるるっ、と首を振る。
「そっち、詰めろよ」
ベッドの上に体を倒しながら、クラウドが言う。
「いいじゃん、くっついてるほうがいいよ」
「お前はよくても、俺は困るんだよ」
「また、さっきのする? どっちの理由が多いかってやつ」
「気に入ってんじゃねえよ」
「だって、面白いよ。クラウドの考えてることが分かるもん」
「あのなあ」
サンディがぴたっと体を寄せてくる。服一枚へだてて、柔らかい感触がクラウドの腕に押しつけられている。それだけでなく、足はクラウドの足に絡みついている。身体ごと抱きついてくるような格好だ。
彼女の高い体温や、トクントクンと鳴る鼓動や、わずかに香る髪のにおいが届く。
突き飛ばすわけにも行かず、クラウドは困り果てている。さらには、サンディの手がクラウドの手を握った。
「お前な……」
せめて文句でも言ってやろうと思った時、クラウドはふと気づいた。サンディの手は小さく震えている。
「ホントはね、もう一つ理由があったの」
「なに?」
気づけば、金色がかった瞳が暗闇の中で、じっと見つめてきている。
「……暗いの、怖いから」
かすれたような、小さな声。ひどく不安そうで、クラウドの手を握る指にきゅっと力がこもった。
細い声。細い指。それを感じて、目の前にいるのが単なる女の子なのだと、クラウドは痛感した気がした。
「……そうか」
レイニーの言ったことが分かった気がした。サンディにだって、事情を話したくない理由がある。知らない男たちに連れ去られて、助かったと思ったら、また別の知らない男ふたりに連れ回されているのだ。そんな彼女から、無理矢理話を聞き出そうとした自分はバカな上に愚図そのものだと思った。
「実は俺も、もう一つ理由があったんだ」
サンディの顔が見られなかった。彼女から顔を背けながら、クラウドはぽつりと呟く。
「童貞なんだよ、俺」
笑われると思った。それでも良いと思った。ただ、彼女に嘘や隠し事をしたくないと思ったのだ。
「……すぅ」
「……寝てんじゃねえよ」
安心したような、拍子抜けしたような。そんな気持ちと、誰にも聞かれなかった告白を抱えて、クラウドは心の中で悪態をつきながら再び目を閉じた。
こうして誰かと一緒に寝るのは、何年ぶりだろうか?
半ば夢の中に埋もれながら、クラウドは思い出そうとした。
クラウドはもともと、西部の開拓村の生まれだ。父は、その村の村長だった。彼は手つかずの土地に牧場を作り、牛を放って暮らしはじめたのだ。やがて、他にも同じような開拓民が集まり、村になった。小さいながら、発展しようという向上心を持った人々の村だった。
クラウドは少年ながらに馬に乗り、牛を追い、時には父親に銃の撃ち方を習った。
カウボーイだ。自分がカウボーイだったなんて、今では笑ってしまいそうな話だ。
クラウドは銃を撃つのが好きだったし、得意でもあった。10歩離れた位置から缶詰の空き缶を狙って、弾倉が空になるまでには、命中させることができたのだ。
「いつか村に『わるいやつ』が来たとき、この銃で追い払うんだ」
そう、父親に言われて育ったのだ。
だが、あるとき、予告もなくそれは現れた。荒野の向こうから、馬に乗った男たちが走ってきたのをクラウドは見つけ、それを父親に伝えた。父親は幼いクラウドに銃を渡し、小麦を保存しておく地下蔵に隠れさせた。
「いいか、クラウド。何があってもここから出るんじゃないぞ」
父はそう言い残して、蔵の入り口を閉めた。カーペットで入り口を隠したのが音で分かった。
一晩じゅう、クラウドは暗い地下蔵で震えていた。『わるいやつ』が来たと言うのに、蔵から一歩も出ることができなかった。どこか遠くから、銃声や、悲鳴や、牛が逃げ出す地響きの音が聞こえていた。
冷たい床で知らぬうちに眠っていたクラウドが目を覚ますと、音は何も聞こえなくなっていた。小さな銃を手に、クラウドは地下蔵の外に出た。
牧場や村があった場所には、何も残っていなかった。何もかもが燃やし尽くされ、奪われていた。父も、母も、もはやそこには居なかった。彼らだったものを探そうなんて気にはなれなかった。牧場の柵は破られ、牛もみな、奪われたか逃げ出していた。
それを、西部の掟と一言で片付けることは容易かった。力あるものが、ないものから奪った。それだけのことだ。たった十歳のクラウドが生きてきた世界の全ては、その掟に取って代わられた。
やがて彼は近くの町に流れつき、ある弾丸工場で働くことになった。来る日も来る日も暗い工場で、鉄と火薬のにおいだけを嗅いで過ごしていた。どこから連れてきたのか、クラウドと同じような少年ばかりだった。火薬に火がついて指が吹き飛んだ子供も居た。毎日の作業に耐えきれず、気が触れて弾丸を飲み込む子供も居た。
クラウドは、こうなるのも当然だと思っていた。世界では、力が全てなのだから。権力あるものが、ないものを動かす。それが自然だからだ。
だが、クラウドは諦めていなかった。いつか、チャンスさえあれば自分も力のある側に行くことができると信じていた。それがいつ来るかは分からなかった。だが、いつか来るに違いないと信じていた。信じなければ、自分の心が崩れて、弾丸を飲み込んだやつと同じになってしまうからだ。こうして、力とチャンスこそが、クラウドの望む全てになった。
二年が経ったある日、工場の中にある蒸気タービンの動きがおかしいと、誰かが言い出した。何かが挟まって、一部が回らなくなってしまったのだ。
誰も、自分が行ってそれを取ってこようとは言わなかった。タービンに服の裾を引っかけでもしたら、巻き込まれて生きてはいられないことがわかりきっていた。しかも、自分たちが不満を言ったところで、一部の動きを確認するためにタービンの動きを止めてくれたりはしないだろうことも分かっていた。
クラウドは名乗りを上げて大きなタービンのある部屋に入り、歯車を一つ一つ調べた。巻き込まれないよう、服は着ていなかった。そして、見つけた。回転する歯車に、がっちりとはまり込んでいる鉄の塊。それは不思議なほどあっさりと、クラウドの手に収まった。
それが、クラウドと、彼の持つ悪魔の銃……“ドリーマー”との出会いだった。
それが自分のために現れたのだと、クラウドは直感した。待ち望んでいたチャンスが、今こそ目の前にやってきたのだと。今でも、悪魔の銃がなぜ、どのように現れるのかは分かっていない。だが、それが本当に望む者の前に現れると聞いたことがあった。
確かに、その銃はクラウドにぴったりだった。ただ大きくて、威力が高い、極めて大雑把なだけの拳銃。そして、撃っても彼の体が吹っ飛んだり、関節が外れたりしない、限界ぎりぎりの反動。ハートブレイクの銃のように人を殺すために便利な銃ではなかったが、そんな銃こそまさにクラウドが求めていた物だった。
クラウドはその場で銃を撃った。工場の壁に大穴を開けて、逃げ出したのだ。
その日から、彼の無法者としての人生が始まった。
封じていたはずの記憶がどっと溢れて、クラウドは体が震えた。目を閉じると胸の中に闇が流れ込んでくるような感覚があった。
だが同時に、すぐ隣に温かい体温を感じた。サンディの肌が触れ、ひとりではないことを教えてくれるような気がした。
翌朝。サンディはホテルの食堂でも、まったく同じように食器を高く積み上げながら一向にペースを落とさずに食事を続けている。昨日の酒場よりはいくらか上品な料理が出されているが、サンディは構わずに同じような食事を続けていた。
狭い町だ、すぐに噂が広がったのだろう。周りにいる客達は、昨晩の酒場のように迷惑がっていると言うよりは、珍しい物を見る目つきで眺めている。
「朝もか。大したもんだ」
起き出してきたレイニーが、さっと席に腰を下ろす。そんな仕草でも、前時代の彫刻のように決まっている。
「おいしいよ」
「人の金で食ってるからな、そりゃあうまいだろうよ」
頬に太陽を浮かべて笑うサンディ。クラウドは目の下にクマを作って、力なくうなだれた。
「どうした。寝れなかったか?」
くっくっと喉を鳴らしながら、レイニーが問いかける。
「嫌なことを思い出したんだよ」
「お前は案外、神経が細いんだな。すぐ睡眠不足になって」
「お前の方は、どうやらぐっすりみたいだな」
皮肉を込めてにらみつけるクラウド。だが、レイニーは涼しい表情で受け流す。
「ああ。眠気覚ましにコーヒーが必要だな」
その手に、給仕娘が湯気を立てるコーヒーカップをさしだした。その娘が、昨晩はレイニーの部屋に居たことをもちろんクラウドは知っている。
「お前は食わなくて良いのか?」
コーヒーをすすりながら、レイニーが問う。
「もう食ったよ、お前が寝ている間に」
サンディが積んだ山に埋もれそうになっている皿を示す。クラウドはジョッキの中のコーラをぐっと呷った。
「じゃあ、これからどうするかだが……」
と、レイニーが話をはじめようとしたとき。
きいっ。
ホテルの入り口にあるスイングドアが、ひときわ大きな音を立てた。それと同時、はっきりと場に流れる空気が変わった。
現れたのは、まだ二〇にはなっていないだろう青年だ。絵に描いたような金髪碧眼。きっちりしたジャケットに、四つボタンのベスト。どちらも東部で見かけるような、洗練されたデザインだ。パリッとしたシャツは、西部では信じられないことだが、白だった。
そしてその胸元には、星のマークが輝くバッジ。
青年は、サルーンの中を見回して、高く声を上げた。
「僕は連邦保安官のジェイムズ・ジャスティス! 巨大な拳銃を持った馬車強盗を追っている!」
部屋じゅうの視線が、クラウドに向けられた。当の本人は、まさに巨大な拳銃を背負ってコーラを呷っているところだった。
「……んっぐ」
間抜けな音を立ててコーラを流し込む。あまりに一片の飲み込んだせいで、喉がずきずきと痛んだ。
「君か?」
連邦保安官ジェイムズが肩に吊した銃をいつでも構えられるように手を添えたまま、三人が座るテーブルに向けた。
「ふー……」
喉の痛みが通り過ぎるのを待って、クラウドは息を吐いた。青年の方には、目もくれない。テーブルの下でサンディの手首を掴む。レイニーに目を向けると、彼は視線だけで同意を示した。
「逃げるぞ!」
思い切りよく、テーブルを蹴り上げる。テーブルは、食卓よりもこっちの方がお似合いだというような完璧な角度で食器の山をまき散らしながら跳ね上がった。
「悪党め!」
ジェイムズが驚き、思わず騎兵銃の引き金を引く。どんっと低い音がしたが、木製の皿とテーブルの一角に穴を開けただけだ。
あっという間に、ホテルに悲鳴と喧噪が広がった。
「あははっ、すごい!」
「こっちだ、来い!」
なぜか喜んでいるサンディの手を引き、クラウドは店の勝手口に向かって勝手に走り出した。
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