酒場の夜

 かちゃかちゃことがつがつむぐむぐずずー、ごくごくごくん、がつがつずずずず、ぐ、ぐ、しゃくしゃくしゃく、ごと、かちゃかちゃ……

 木造の壁にひっきりなしに食事の音が響いている。恐るべきことに、それはたったひとりから発せられている。クラウドとレイニーが町まで運んだ少女である。

 町に到着し、酒場サルーンに着席するなり、少女は目の前に運ばれてくる料理に片っ端から手を着け、手をつける端から口の中に流し込む勢いで食べ始めた。

 自分のぶんとふたりの料理を平らげただけには飽きたらず、追加の料理を次々に注文する。

 その勢いたるもの、料理を用意するコックはひとりでは足りず、裏に住む手伝いがたたき起こされ、給仕が厨房と席を用意するためだけに汗だくになり、雰囲気を盛り上げるための楽団はその勢いに勝つことができずに演奏を止めてしまった。

 繊細を自称するレイニーなどは、

「うっ……」

 と、口を押さえ、一時席を離れたほどだ。

 クラウドは手づかみで食べると思っていたのだが、彼女は意外にもフォークとナイフの使い方を知っているらしく、厚切りの肉を三切れに分けて、ぱく、ぱく、ぱくの勢いで口にした。

 豆の煮込みを一気に口に含んで飲み干し、チーズとパンをスナック菓子のようにかじる。

「このスープ、もう一杯……」

 少女は、店中の注目を浴びながらさらに注文を続けようとする。だが、慌ててクラウドがその腕を掴んで引き留めた。

「待て待て。いい加減にしろ。どれだけ食う気だよ!」

「まだ半分だよ。町のご飯、なかなか食べられないからいっぱい食べたい」

 少女はもと赤い頬をほんのり上気させ、幸せそうに、にっかりと笑みを浮かべた。

「ちょっとは遠慮しろ。くそ、お宝かと思って拾ったのに、逆に金がかかることになるなんてな」

 クラウドがバンダナを巻いた頭を押さえる。少女は、きょとんと首をかしげ、はにかむように細い肩を縮める。

「人に食べさせてもらうの、久しぶりだから。嬉しくて、つい」

「ついで食う量じゃないないだろ」

 ようやく気分の悪さが直ってきたらしい。レイニーが大きく息を吐いた。

「これだけ食わせてやったんだ、質問には答えてもらうぞ」

 店の奥まった丸テーブルに、ちょうど三角形になるように座っている状態だ。サンディの位置はもっとも壁際である。逃げるのが一番難しい位置だ。そのことに気づいているのかいないのか、ふたりの男から一斉に視線を向けられて、なぜか照れたように少女は頭を掻く。

「君は何者だ? なぜあの馬車に運ばれていた? 見たところ、野の人々のようだが、どの部族だ? ヴォルカニックのことは知ってるか? やつとはどういう関係だ?」

 一息に聞かれて、少女は戸惑うような表情を見せた。きゅっと眉根を寄せて、唇を噛んでいる。思い詰めるように、明るい色の瞳が曇った。

「それは……」

「それは?」

 言いかける少女に、レイニーが鋭く詰め寄る。

「それは……」

「それは!?」

 短気なクラウドがテーブルを叩く。がちゃん、と食器が音を立てた。

 少女はびくりと体を震わせ、両手で胸を押さえるようにしながら視線を左右に振る。

 周りの客たちもいぶかしげな視線を向けてはいるが、ふたりの持っている銃と雰囲気からアウトロウであることを察したのだろう、口に出して文句を言うことはできない様子だ。

「わ、忘れちゃった」

 そして、ほっぺにふたつ、太陽でもくっついてるんじゃないかと思うぐらい脳天気な笑みを浮かべて答えてみせた。

「はぁ!?」

 大きく声を上げるクラウド。対して、レイニーは思案げだ。

「記憶喪失というやつか。何も覚えてない?」

「そ、そう。覚えてない」

 レイニーの言葉に飛びつくように、少女は壊れた人形のように何度も頷いた。

「名前は?」

「覚えてない」

「部族は?」

「覚えてない」

「なぜあの馬車に乗せられていたのかは?」

「覚えてない」

「だ、そうだ」

 ジェスチャーでお手上げを示してみせるレイニー。だが、まだ納得できない様子のクラウドは、再びテーブルを叩いた。

「おいレイニー、こいつの言うことを信じるのか? んな都合良く忘れる事があるかよ。言いたくねえから嘘ついてるに決まってるだろ!」

「だったとしても、言いたくない理由があるんだ。今無理に聞き出したってムダだよ」

 お手上げのポーズのままレイニー。

「じゃあ、しゃべる気になるまで連れて行くって言うのか? この……」

 テーブルの上を見る。大量に積み上げられた皿を。

「これを?」

「稼いだ九五〇があるだろ」

「俺が払うのか!?」

「おれは無理に聞き出すつもりはない。子供に興味はないしな。話を聞くべきだと主張しているのはお前だ。だったら、お前が面倒を見ろよ」

「れ、レイニー。そりゃないぜ。せめて……」

 哀れを誘うように情けない声をこぼすクラウド。だが、説得の相手は涼しい表情でそれを無視した。

「あははっ、ふたりとも面白いね」

 少女は手を叩いて喜んでいる。とりあえず、追加注文はやめてくれたらしい。

「ひとまず、彼女にも名前が必要だな」

「俺の話を聞けよ!」

 わめくクラウドをすっかり無視して、レイニーは卓上に目を向けた。うずたかく積まれた食器を。

「サンディ・アイアンストマックってところだな」

 少女は一瞬、ぽかんとしてから、

「あたし?」

 と、自分を指さした。

「そうだよ、お前の名前だ」

 ぶすっと口を尖らせながら、クラウドが答える。

「名前! ありがと!」

 少女……サンディが両手を挙げて、喜色満面だ。なぜ名前がついたくらいでこんなに喜べるのか、クラウドは理解に苦しむほどの喜びようだった。




 日がとっぷりと沈んで夜になった。どこか遠くで狼の遠吠えが聞こえる。

 安ホテルの一室で、クラウドは厚いコートを脱ぎ、ベストを外してシャツだけの姿になる。特注の背負いホルスターもベッドのそばに置いた。

 と、そこでいきなり、後ろから声をかけられた。

「ねえ」

「おわあ!?」

 クラウドの脇の下からにゅっと首を出すようにして、サンディが特大拳銃をのぞき込んでいる。

「なんで俺の部屋に居るんだよ!」

「レイニーがこっちに居なさいって言ったから」

「あいつの方が広い部屋に居るだろ」

「他の人が来たから、あたしは出ていった方がいいって」

「他の人って、女か?」

「うん、下にいたひと」

 サンディの答えを聞いて、クラウドはがっくりと肩を落とした。

「野郎、こういうときくらい我慢しろよな」

「我慢って?」

「子供には分からなくて良いことだよ」

「あたし、子供じゃないよ!」

 ばん、とサンディは床を叩き、立ち上がった。かと思うと、突然自分の着ている服を胸元までまくりあげる。

「な、何考えてんだ!」

 腰を抜かしそうになるクラウドに向かって、サンディは自分の体を見せつけるように胸を張って見せる。

 オイルランプの明かりに照らされて、サンディの赤い肌はくっきりと分かった。驚くべきことに、彼女はその服の下には何もつけていなかった。

 掌に収まるようなふくらみがふたつ並び、その先端はどこか挑戦的に上を向いている。健康的なくびれの上下には肋骨と腰骨の形がうっすらと浮かび、形のよいへそがぽつんと、ウサギの巣穴のようにうがたれていた。

 さらにその下には……

「分かったでしょ?」

「な、な、何が! こんな体、毛も……」

「そうじゃなくて、ちゃんと大人の紋様を入れてるもん!」

 もっとちゃんと見ろ、というように、サンディはぐい、と体を反らす。弾力のありそうなふたつの膨らみが、生意気に弾んだ。

「み、見ろって言われても!」

 目を逸らそうにも、本人が見ろと言っているのだ。どうしようもない。クラウドがうっすらと目を向けると、確かにその体には色とりどりの刺青が彫られている。首元からくるぶしまで、ほとんど体じゅうだ。全身の入れ墨は複雑な幾何学模様を描き、どことなく少女のふくらみやくびれを強調しているように思えた。

「これ、彫ってもらうためには自分で色をとってくるんだよ。草から取ったり、岩を彫ったり……」

「わ、わかった! わかったよ! それが彫られたら、お前の部族では大人なんだな! 分かったから、早く直せ!」

「分かったなら、いいよ」

 納得してもらえたことに、サンディは機嫌をよくして、自慢げに鼻を鳴らして服を戻した。

 ふー、とクラウドはまだ顔を赤らめたまま額をぬぐいながら、ふと気づいた。

「やっぱり、覚えてるんじゃねえか」

「うっ」

 半眼になったクラウドが睨め付けると、一気に形勢逆転、サンディは後ろに下がる。

「い、今、それだけ思い出した」

「んな都合の良い記憶喪失があるか! 覚えてるんなら、さっさと吐け!」

 クラウドが飛びかからんとする勢いで構えたとき。

「うるさいぞ、ガキども」

 ばたん、と部屋の扉を蹴り開けて、レイニーが苛立った様子で中をのぞき込んだ。

「夜ぐらい静かにしねえか」

「……なんでお前、裸なんだよ」

 サンディに飛びかかろうとした体勢のまま、クラウドは首だけを向けて聞いた。

 レイニーはシャツも脱ぎ捨てて、白い上半身を晒していた。細身な体に必要なだけの筋肉を装飾したとでも言うような風情だ。帽子も脱ぎ去り、無法者には似つかわしくない、短く整えられた砂色の髪が覗いている。

「そりゃお前……決まってるだろ」

 鎖骨をわずかに上下させて、レイニーが答える。

「ねえレイニー、まだ?」

 その背後から、女の声が聞こえた。道ばたの猫を家の庭に招き入れようとするような、甘ったるい声だ。

「今、黙らせた所だ。もう今晩は君から目を離さないよ」

「やだ、明かりを消してよ」

「さあ、どうするかな?」

 後ろを振り返って、レイニーは返事を返す。それから一瞬、クラウドに向かって、「分かってるな」とでも言うような視線を向けてから、扉を閉めた。

「レイニーは、ガキどもだって。クラウドも同じじゃない」

「あいつに言われるのは良いのかよ」

「レイニーは、どう見ても大人だもん」

 サンディは頬に太陽を浮かべて笑ってみせた。

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