第2話れんげ屋

―暖かい春の日差しに包まれて―



このフレーズを、学年を代表して任されてからもう八年の月日が経つ。

 あの後有名な大学に進んで、親からは結構褒められた。大学の方は、ダブる事もなく卒業して、大手の企業に当たり前の様に入社した。そんなオレは今、真っ昼間から公園のベンチに座っている。

 理由は明快だ。突然のリストラ。そう。クビ。大きな企画も任されたし、周りからは出世頭だとも言われてた。それの成れの果てがこれなのだから、世間はなんて冷たいんだ。


 その上、付き合ってた彼女は昨日、「将来の見えなくなったアナタとはやっていけない」と言うと、オレの返事は聞かずに出ていってしまった。


「お前と結婚して、子供も作って、良い家庭を築ける様に頑張るから」


「あんまり無理はしないでね?私はアナタが居ればいいんだから」


彼女との、そんな会話を思い出した。

 オレが居ればいいんじゃなかったのかよ。そんな怒りを覚えたが、直ぐに治まる。むしろ正しい選択だと思う。仕事を怠けている訳ではない。仕事すらないのだから、頑張って働くどころか、無理をする事すら出来ない。


彼女にも幸せになる権利がある。それを、今のオレが叶えられるのかと聞かれたら、答えはノーだ。出来ない。

今のオレは働く気持ちが、今の景気と同じ位の下がり具合だ。



ベンチから立ち上がったオレは、宛も無くさ迷い続ける。ここ一週間は、ずっとそんな事をしてきた。

「聞いてよ。私ね、今月残業代貰えないのに二日も残業させられたの」


近くで昼食を取っているOLが、同僚に愚痴っているのが聞こえてくる。


「いいじゃねぇかよ。働けるだけで」


聞こえない位の大きさで呟くと、ふと我に返って自嘲する。自分で言うのも何だが、そんな卑しい性格ではなかったはずだ。人生なんて一つ間違いが起こると、性格すら変わってしまうのだろう。人間って容易く出来ているんだと思ってしまうこの考えですら、今までは一度も考えた事なかったのに。


「なんだ?こんな店あったっけ?」


物思いに耽りながら歩いていると、見なれない店が目に止まった。ここ一週間はよく通っていたのだが、こんな店を見た覚えがない。店の扉の上にある木のプレートには、『れんげ屋』と書かれている。


リストラされた身ではあるが、倹約家だったオレには意外と貯蓄がある。時間を持て余しているオレは、気になった店にはとりあえず寄っていた。


子供の頃読んだ、海外の童話か何かに出てきた様な扉を開くと、オレは驚いた。古ボケた扉の先に待っていたのは近代的な、高級ホテルのスウィート仕様みたいな家具と、それに全くとけ込めていない老婆が、ソファーに腰掛けている。


「あの、ここって何の店なんですか?」


オレが老婆に聞くと、老婆は机の上に置いてあるティーカップを指した。


「座ったら?」


その言葉に促されて、オレは大人しく腰を下ろした。

オレが座ったのを確認すると、「取り敢えず飲んだら?良い葉を使っているから美味しいよ」と、しわくちゃの顔を、より一層しわくちゃにして微笑んできた。


ここで疑問が一つ生まれた。勧められて手に取ったティーカップは温かかったのだ。最初は常に準備してあるのかと思ったが、良く考えればおかしい。そんな事をする意味が分からない。まさかこの老婆はオレが来ることを知っていたのか?まさかそんな事はないだろう。

ティーカップを手にしたまま止まっていると、老婆が話し掛けてきた。


「どうしたいんです?」


唐突過ぎる言葉に、オレはハテナマークを浮かべる。どうしたいんです?って、それはオレのセリフだよ。アンタこそオレをどうしたいんだ?


「アナタがどうしたいのかが答えなんです」


オレの表情は全く気にしていないのか、一方的に話し掛ける老婆にオレは戸惑った。ボケてるのかと思ったりもした。


「あの、悪いけどオレの何が分かるんですか?」


無職組新入生のオレが、少し怒りを込めて言ったが、老婆は身動ぎ一つしなかった。


「何って、自分でも気づいてるんでしょ?」


その言葉にオレは何か心を掻き乱されている様な感覚に陥り、不快感からか、勢い良く立ち上がると何も言わずに店を出た。


「何なんだよあのババァ」


悪態吐くオレは端から見たら見苦しいだろう。だが、今のオレには関係なかった。別に人の目など気にする事もない。これもまた、オレの性格で変わった所の一つだ。


 再び公園に戻ると、いつものベンチに腰かける。頭の中に浮かぶのは、あの老婆の顔と言葉だった。


(何なんだよ、あの婆さんに何が分かるんだ。どうしたいんです?オレがどうしたいかが答え?意味分かんねぇよ)


それから何時間経ったのだろう。オレが顔を上げると辺りは暗くなっていた。そして、一つため息を漏らしてから誰もいない家に向かう。


「ただいまぁ」


もちろん返事はない。誰も居ないのだから当たり前だが、一週間経っても癖は抜けきらなかった。

オレは彼女に何をしてあげられたんだろう。オレは彼女に何をしてやりたかったのだろう。そんな考えが頭に浮かぶと、あの老婆の言葉を思い出した。


「アナタがどうしたいのかが答えですよ」あの老婆の言っていた事が、少し分かってしまった気がする。人間は何かをする時、自分がやりたいから行動するのであって、そのオプションとして、相手に何かが残ったりするのではないだろうか。例えば、オレが彼女に何かを残したい。と、思う事イコール自分のしたい事なのではなだろうか。

 バカげている。こんなにも当たり前の事を深く考える程オレは病んでしまったのか。そんな無情さと共に、オレはベッドに倒れこみ夢の世界へダイブした。

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