口
ふうらい牡丹
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吉井さんは大学生の頃、学生イベントの企画運営団体に所属していた。
「企業の人と繋がりができたり、会議やらプレゼンみたいなことしてたので就活のときに役に立つかな、って打算的な理由で入ったんですけどね」と言いつつ、彼は語り始めた。
その休日は午後から次のイベントに向けたミーティングがあったそうだ。次の企画は吉井さんが仕切ることになっていたので、朝から自宅でその為のプレゼン資料を作成していたらしい。思いのほか時間がかかって時計を見るともう出なければならない時間である。開封したばかりのUSBメモリにそのデータを入れて、彼は慌てて自宅を飛び出したそうだ。
大学内の会議スペースに行く前に、作成した資料を配布する為にメモリのデータを印刷しなければならなかったので学校近くのコンビニに寄った。「コピー機、誰も使ってなくてよかったな」と思いながらメモリを差し込み人数分の印刷が終わるの待つ。
完了して排出トレイから束を取り出して見ると、そこには女の口の写真があった。
「自分が印刷した原稿と同じ大きさ、A4のコピー紙にカラーで鼻の辺りから首筋と鎖骨辺りまで。肩くらいの黒髪が垂れてて」
口の写真だと思ったのは、真ん中に半開きの口があって、その唇に真っ赤なルージュがひかれていたからですかね。
吉井さんは生々しい写真のように感じたがその構図の切り取り方といい、人工的なまでの赤い唇の色といい、同じ大学の芸術系サークルが印刷物を忘れていったのだろうと思ったそうで、ふとコピー機の原稿カバーを開けると、そこには何もなく、ガラス面には自分の顔が黒く映っていただけであった。時間に余裕がなかった彼は自分の印刷した資料の枚数や抜けを確認した後、その写真をトレイに置いたまま店員にも伝えずに店を去ったそうだ。
ミーティングが終わり、吉井さんは団体のメンバーとともに居酒屋に移動した。すると、その日のミーティングにはアルバイトで来ることができなかった、吉井さんと同じ学部の友人が隣にきて資料を見せてほしい、と言ってきたそうだ。吉井さんは彼に「明日学校いるだろ?明日返してくれればいいよ」と言って、USBメモリをそのまま渡したそうである。
翌日、その友人と休み時間に待ち合わせてメモリを返してもらったとき、彼は「ありがとう」と礼を述べた後、ニヤつきながら、
「あの写真、女のコに撮ってもらったんだろ?スミにおけないなあ」
と、からかい口調で言った。吉井さんは何を言われてるのか解らず、写真?と聞き返すと友人は
「口の写真じゃん。お前の」
吉井さんはその瞬間、昨日コンビニで見た女の口の写真を思い出したが、自分のと言われても意味がわからない。そんな写真は身に覚えもなければ、そもそもあのメモリは昨日開けたばかりで資料のデータしか入っていない。だから昨晩の居酒屋で友人にそのまま渡したのだ。怪訝な表情を浮かべるばかりで言葉が出ない吉井さんを前にして、友人は授業があるから、と足早に去っていった。
大学から帰ってすぐ、パソコンにメモリを差して確認したが、昨日の資料のファイルがあるだけで他にはなにもない。その場で友人に電話をかけると繋がった。
「もしもし。さっき言ってた写真ってどんな写真?本当に見たの?」
と尋ねると、
「だって資料以外に一枚だけあったから」
と友人はバツが悪そうに答える。
「その写真のこと知らないし、データも見当たらないんだけど。本当に俺の写真だったの?」
「コピーもしてないし消してもないよ。でも絶対お前の写真だった。口が真ん中にあったから口の写真って言ったけど鼻の頭から鎖骨くらいまでの写真だったし、それでもわかるじゃん」
酔って帰った友人の何かの記憶違いじゃないのかと吉井さんは思いながら尋ねた。
「なんで女が撮ったって言ったの?」
友人はあんな写真自分で撮らないでしょ、と前置きして、
「だってお前の首に女の人のキスマークあったもん。口紅がベットリついて。お前が寝てる間に撮られたんじゃない?」
と、”ベットリ”を大げさに強調して少し笑いながら答えた。
吉井さんは昨日見た人工的な鮮やかさの赤い唇が蘇って、寒気が走ったそうである。
そこから特に会話を続ける気にもなれずに電話を切った彼は、すぐにそのUSBメモリをゴミ箱に入れた。
その頃、まだ吉井さんは女性と付き合ったことはなかったそうだけれど、後に初めて彼女ができてから現在に至るまで「付き合った女のコが自分の首筋に口を近づけてくるとあの写真が頭に出てきちゃって、思わず鳥肌が立って押しのけたくなっちゃうんですよね」と苦笑していた。
口 ふうらい牡丹 @Buttonfly
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