死神さん
白黒
第1話 死神さんは微笑む
「くそっ!」
梅雨も過ぎ去り太陽がふりそそぐ中、井上匠は猛暑にイライラして転がっていた缶を蹴りあげた。缶はそのまま空き地にいた猫の方へ飛んで行き、驚いた猫は叫びながら逃げ出した。
「へ、いい気味だな。パチンコでも行くかぁ」
匠は暑さから逃れようと、行きつけのパチンコ屋へと向かった。
「よぉ匠、その無精髭いい加減に切れよ(笑)」
店に入るなり丸眼鏡をかけた28歳くらいの男が匠に話しかけて来た。その男は身なりもしっかりしていて、顔立ちも悪くなく、パチンコ店にはいなそうな風貌をしている。
匠は自分のヒゲに手を当てながら答えた。
「これが俺のチャームポイントでもあるのさ。優、今日どう?出てる?」
匠に聞かれた優と呼ばれた男は頭をぽりぽりかきながら
「だめだわ」
とうなだれた。
「ちっ。そんなこと言われたらしらけるな。よし、今からでも飲み行こうぜ」
「悪い悪い、そーだな。行くか」
匠は優を急かすと、優は足早に自分の打っていた台へ戻り支度を始めた。
しばらくして2人の男は肩を並べながら店を後にした。
井上匠と白河優はギャンブル仲間である。2人の出会いは二年前、競馬のレース会場であった。ふとしたきっかけで仲良くなり今ではよく2人でギャンブルに出かける仲までになった。ギャンブル三昧の匠と比べると優はそこまでギャンブルにはのめり込んでいないようではあった。
「しかしまぁ俺らもいい歳してギャンブル三昧、呑んだくれって笑えるなあ」
優は居酒屋で頼んだビールを飲みながら苦笑した。
「楽しけりゃいいんだよ」
匠は吐き捨てるように言った。
しばらく飲みながら他愛のない話を進めていく。2人のお酒が進んできた頃に優がおもむろに切り出した。
「そーいや、あれ、大丈夫なの?」
一瞬きょとんとする匠。
「あれ?あー。ガキのやつ?」
「そうそう」
頷く優。
「相変わらず土砂降りの日は思い出すけど、その雨のおかげで捜査が難航したらしいからな、雨様様だわ」
井上匠はハイボールを片手に自慢げにそう言いながら『あの日』を思い出した。
二年前、猛烈なスコールが匠の住んでる地域を襲った。
「昼間だってのになんでこんな薄暗いんだよ」
悪態をつきながら匠は自宅から競馬場近くのコンビニへと車を走らせていた。
匠は急いでいた、というのも、そこのコンビニのゴミ箱に彼は大穴馬券を捨てて来たからである。
「くそ、最後まで観てればよかった」
だめだと諦め試合を放棄し自宅へ帰る途中に寄ったコンビニで馬券をすててしまっていたのだ。
もし的中馬券が他の誰かに拾われてたら、ゴミ処理されたら、びちょびちょで破れてたらと様々な悪い予感が頭に浮かぶ。そしてそれらの考えは匠をより苛立たせた。アクセルを踏み込む力が強まる。
自宅からそこのコンビニまで車で30分。スコールに加え、都会ではないので人はかなり少なかった。
ちょうど後少しで目的地に着くというとき、その事件は起きた。
黄色いカッパを着た小学校低学年くらいの少年が道路を渡っていたのだ。気づくのが遅れた匠。
「…!」
急ブレーキも虚しく、少年の体は宙を舞った。
鈍い音がスコールの音を分けて響く。
匠は急いで周りを確認した。人1人見当たらない。
「…お前が急に出てきたのが悪いんだよ。俺には万馬券が待ってるんだ」
匠はアクセルを踏み、その場を後にした。
後日ニュースでひき逃げ事件の報道があった。少年はしばらくは息があったが、そのまま亡くなったとのこと。匠は罪の意識を一切感じてなかった、むしろ苛立っていた。
「あんなことで捕まったら最悪だ…」
匠の考えとは裏腹に捜査はスコールのせいで難航した。
しばらく時が経つと、匠はそのことを自慢げに友達に話すようにもなった。
「自首しろよなぁ」
優はため息まじりに匠に呼びかけた。
「警察にタレ込んだらお前が違法カジノしてるの言うからな」
「わかったわかった」
2人はそのまま夜遅くまで飲み続けた。
朝目が覚めると、匠は自室のベッドで寝ていた。時刻は午後2時。
飲み過ぎたな、と思いながら寝返りをうつ。
その時、いつもと違う違和感を感じた。
視線を感じる…
視線の方へ目を向けるとそこには長身で白い仮面をつけた男が立っていた。
「だ、誰だてめえ!!!」
匠は飛び起き、怒鳴った。
「井上匠さん」
「あなたに死をお知らせに来ました」
夏だというのに全身真っ黒なスーツに身を包んだ謎の男は匠に不吉な言葉を言い放った。
「人の家に入り込んで、いい度胸してんな」
匠は男に詰め寄り、胸ぐらを掴もうとする。が、その手は空を切った。というのも謎の男の姿がパッと消えたのだ。
「私は死神です。あなたに死の知らせと、死を与えに来たのですよ」
匠は突然自分の背後からした男の声に飛び退いた。
「お前、何者だ」
「だーから言ってるじゃありませんか。【死神】だと」
匠は目の前で起こっている非現実を理解しようと頭を働かせた。
「なんなんだよ。じゃあ死神って証拠みせろよ」
匠はおそるおそる聞いた。
「…わかりました」
謎の男はやれやれといった感じで指を鳴らすと辺り一面の景色が変わった。空は赤黒く、地面はどす黒い。とても気持ちの悪い色の組み合わせでできた場所に変わった。
「どこだよ…ここ…」
「あなたが死んだ後に来る場所。地獄です」
四方八方から聞こえる悲鳴、怒号、いびつな音、叫び声、匠は恐怖におののきその場へ尻餅をついた。目の前の光景はまさに地獄以外のなにものでもなかった。
肌に感じる暑さ、寒さ、鼻につく異臭。匠は下がるように男を見た。
男はそれに気づいたのか、もう一度指を鳴らすと辺りは匠の自室へと戻っていた。
全身から出てくる冷や汗で匠はびしょ濡れになっていた。五感全てで感じた地獄。匠はこれが現実だと認識した。
「待って待って待って、、俺はまだ死にたくねぇよ!なあ、死神さん。助けてくれよなんでもするから、見逃してくれよ!」
匠は必死に死神の足にすり寄った。
「死は決定事項です」
冷たく言い放つ死神。泣きつく匠。
「なあ、頼むよ。お願いだ。あんな所へは行きたくない。今までしてきた悪い事は全部反省するから!」
しばらく考え込んだ死神は宙に浮かび、ぐるっと一回転すると閃いたように
「そうですね、私も鬼ではありません、死神ですけど。私とゲームをしましょう。それに勝ったら死を免除します」
と微笑んだ。
匠にはそれが希望の微笑みに見えた。
「ありがとうございますありがとうございます」
死神は地面に降りた。
「あなたの言うように過去を反省する事はいい事です。それにより過去は変えられないですが、未来は変えられるでしょう」
死神は内ポケットから真っ黒な手帳を取り出した。そして数ページめくり、続けた。
「ゲームの内容は簡単。1時間以内にこの県から逃げ出すこと。移動手段は問いません」
匠は驚いた、1時間で県外に行くにはかなり無理をしなくてはいけない。電車はまず無理だ。となると車での移動となる。急いで時計を見る匠、今の時刻は午後2時12分を示していた。
「そうですね。3時12分までに県外に出てくださいね。あ、くれぐれも"前方"にはご注意を」
急いで部屋を飛び出る匠。
その後ろ姿を見送った死神は顔から笑みを消した。
「くそ!くそ!」
車で50分は走っただろうか、辺りの景色は変わり、いつのまにかあの日と同じようなスコールが匠と匠の車を襲った。
県境の山道を走りながら匠はアクセルを目一杯踏み込む。
「俺は勝つんだ。このゲームに勝って死を免れるんだ」
アクセルを踏む力が強まる。
県境の山道の道路は人がちらほらいるだけなので車は猛スピードで道路を走っていた。
時刻は3時9分。この調子だとスピードを落とすと時間内に県外へ行くことは無理だ。
ナビを見るともうすぐで県境の橋へつきそうだった。山道の県境にある橋を渡ればもうそこは県外である。
「それにしても嫌な雨だな」
匠は妙な既視感を感じていた。このスコールはあの日を連想させるからであった。
匠はふと何かを感じ、前方へ目を凝らした。視界は悪いはずなのに遠くの方に影を見つけることができた。視線の先には黄色いカッパを着た小学生くらいの少年がこちらに背を向けて立っていた。
…まさかあのガキ。。
匠はあの日、車で引いた少年のことを思い出した。背筋が一瞬ゾクゾクしたが、ここで車を止めたり、スピードを緩めると時間は間に合わない。匠の頭には死を免れることでいっぱいだった。アクセルを踏み込む。
「いつもいつも邪魔すんなよ!」
匠の車は少年に向けて突っ込んだ———はずだった。少年は一瞬で霧のように消え、代わりに匠の目には壊れた橋と崖が飛び込んできた。
宙に投げ出される車、匠はふとバックミラーをのぞいた。そこには黄色いカッパを着た少年と死神が映っていた。
谷底へ落ちて行く車の中。
「だから言ったでしょう?」
死神は匠の耳元でささやいた。
「くれぐれも"前方"にはご注意を。ってね」
スコールが過ぎ去った県境の橋の上。警察が捜査をする中マスコミや野次馬に紛れ、現場を見ている死神。
「過去を反省しても過去は変えることはできません。しかし未来は変えられる。これは本当のことだったんですがねえ」
さっと死神が手を振ると道路の脇に現れた『この先、橋倒壊中。注意』
の看板。
死神は内ポケットから真っ黒な手帳を取り出し数ページめくった。
消えていく井上匠のページの欄。
「あ、私としたことが彼に1つ言い忘れてたことがありました」
「あなたの死因予測は事故死だったんですよ、私がちゃんと伝えていたらあなたは安全運転ができたんでしょうかね」
死神は仮面に手を当て空を仰いだ。しばらく手帳を眺めていた死神は、ふふんっと鼻歌を歌い歩き出した。そして手帳をしまい呟いた。
「私も反省しなきゃ。ですね」
死神さん 白黒 @black_white
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