26話:夢想

「ウィルスを起動する特殊なソフトをインターネットにアップロードすれば、それが世界中に発信されて、それを受け取ったサーバーが同時に止まるって寸法だ。これのいいところは、fixerに組み込むウィルスが起動コードを受け取る機構だけ作り込んでおけば、起動システムの機構の方は後で作れるってこと」

 スヴェンソンは、かなり短い時間でウィルスを組まなければ、finderファインダーにウィルスを組み込むことはできなかったはずだ。この方法を使うのはおかしなことではない。


「大事なのは、こっそりやらなきゃいけないってことだ」

 溝口はふむふむと無批判に受け入れたが、頬を膨らませた者がいる。千弘だ。別に可愛くない。

「それおかしくない? そんなの、日本ADLERが、手違いがあってどうのこうのって発表したらいいじゃん。それで、全世界のサーバーにワクチンプログラムを撒けばいいでしょ。ウィルスって言わなければ、株価の下落だってある程度で済むんじゃないの」

「それは無理」

「なんで? ADLERが撒いた種は、ADLERが回収すべきだと僕は思うけど」

 千弘の言うことは正論だ。最も簡単、最も正確で、最も誠実だが、ADLERにとっては最もリスクが高い。それに、それは今回の場合には正答ではない。


「例の国崎さんの上司にバレたら、ウィルスを回収する前にネットショックを起こされる恐れがある。これだけ苦労して、ネットショックを起こす機会を作ったのに、それを使わずに回収されたら大惨事だからな」


「そんな条件で俺らがどう対処できるの」

 鹿島が小さなため息をついてぼやいた。

「こんなの、手をつけられる気がしない」

「大丈夫。方法は考えてある」


「あるの……?」

「ある」

 千弘の不安感を拭うべく、本田ははっきりと言い切った。

「このウィルスのキーポイントは、ウィルスを起動させるソフトがスイッチになって、世界中のサーバーが止まるということ。だから、ソフトがアップロードされなければ、永遠に第2次ネットショックが起きることはない」

「他にスイッチがあるかも」

 鹿島が指摘したが、本田はすぐさま首を振る。


「ない。ウィルスの開発期間は相当短いし、さすがに2種類以上もスイッチを用意することはできないよ」

「じゃあどうするの。ハッキング?」

 ハッキングなら、日本ADLERに協力者を増やしてプロに任せた方が早い。


「いや、できないからやらない。ソフトを奪って送信させないようにするんだ」

「奪うって、国崎さんの上司から?」

「うん」

「あのさ、そいつにバレないようにソフトを奪わなきゃいけないのに、どうやって本人から奪うの?」

 目がらんらんと輝いている本田の思考回路が焼き切れた結果、めちゃくちゃなことを言い始めたのかもしれない、ということを千弘は真剣に心配している。


「そうだよ」

 まず本田が行くべきは病院かもしれない。

「不可能じゃん」

「気付かれないようにに奪ったらいいんだよ」

「気付かれないように?」

「騙して奪うんだ。どうせ、奪った後で騙されたことに気づいても、向こうには手を出せないんだから」


「そこまでして手に入れた大事なソフトをほいほい出すかなぁ?」

「出す人間がいるから詐欺がなくならないんだよ」

 反論が思いつかず、本田に丸め込まれてしまったが、自分たちがこれからやるのは詐欺だ、と言われているように千弘には聞こえる。


「……ということは、海外でやるってことだよねそれ」

 千弘がおそるおそるといった様子で問いかけるが、本田はあっさり頷くだけだ。


「国崎さんが、日本ADLERに密告してくれることになってる。密告が本当かどうかは、国崎さん以外の社員から連絡が来ることで証明できる。俺の計画を伝えたら、旅費と滞在費くらいなら出るだろうって国崎さんは言ってた」

 国崎の寝返りを信じる本田だけであれば、わざわざ密告を証明させるようなことはしないだろう。つまり、国崎を信じきれない可能性のある溝口たちのために、本田は国崎に指示を出したということだ。その度胸といい、考え方といい、本田には隙がない。溝口は感嘆した。

 

「どこまでいくの?」

「この時期だと結構寒いだろうけどね。溝口は知ってる?」

 本田は北欧のどこかの国の名前を言った。が、名前だけは聞き覚えがあるものの、どこの国なのかは全くわからない。とりわけ熱心な学生ではない溝口にとって、自分の学ぶ分野以外の領域は無知だ。


「冷凍されに行くようなもんじゃん」

 千弘は目を剥いて本田に詰め寄る。

「そ、そうだね」

「生きて帰れるよね?」

「現実世界でテロが起こらなければね」

 世界の知識がめちゃくちゃだ。いくらなんでも北欧を舐めすぎである。


「わかった、安全だとは思っておく。本当に大丈夫なんだよね?」

「断言してもいいけど、リスクは低いよ。考えてもみて。万一失敗しても、ADLERの人間じゃない僕らの正体はわからないし、日本に逃げてしまえば、向こうは手を出せない。ほら、こっちに損害はないでしょ」

 そう言われたらそうなのかもしれない。千弘すら真面目に検討し始めたのを見て、溝口は反論を考えるのをやめた。


「……千弘、これ法的に大丈夫なの?」

 鹿島がこっそり耳打ちをする。

「海外でやるんだから、日本の法律なんか意味ないよ。日本だとしたらアウトだけど、相手が相手だし、奪うものが奪うものだから、多分捕まらない」

 千弘は肩をすくめ、静かに首を振った。

「いいの、法学部なのに」

 溝口が心配したが、鼻で笑って返される。

「僕は別に法曹志望じゃないしね。民間企業に就職したら、法を犯す側の方が近くなると思うよ、多分」


「報酬だって、ちゃんと出すよ。だからお願い」

「いや、僕は別に報酬が欲しいわけじゃないんだ」

 ここで欲しくないとはっきり言うと、少し嘘になるので言わない。

「本ちゃんがお願いがあるっていうから僕は引き受ける。ADLERの人がお金を出してくれるっていうから、旅行の類のつもりで僕は行く。それだけなのに」

 千弘は、言葉に詰まらせる。珍しい、と溝口は思った。


「行かない方が安全なんだ。それはわかってるのに……」

 本田は目をそらして黙っている。千弘はため息をひとつついた。

「自分の人生に、一生のお願いをしてみたくなるんだ」

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