20話:御社

「子会社がfixerに関わったことはありました?」

「いいえ。時間との勝負ですし、社員総出でプロジェクトを進めていましたから、子会社はほとんど関わりがなかったはずです」

「となると、他国支社の線が濃厚だと思います」

 本田はさらに「子会社」の文字も消し、迷いつつもコーヒーのお代わりを頼む。探偵でもやっているかのような気分になってきた。この場合、国崎は依頼者になるだろうか。


「となると、僕は、日本ADLERにスパイがいたのではと考えています」

「す、スパイですか?」

「はい。以前、国崎さんは、ADLERではよく、支社間あるいは本社と支社の間で、社員が異動することが多い、とおっしゃっていたと思います。その社員の中に、該当する国の支社に所属していた社員が日本支社に派遣されていたとしたら、本国の指令で容易に寝返る社員が、日本支社にいてもおかしくありません」

 よく考えたら、異動が多いと言っていたのは、国崎ではなく本田の先輩だったような気がするが、国崎も気づいていないようだし瑣末な問題だと割り切る。


 本田の説明を聞いた国崎は、他支社が日本支社にfixerにプログラムを組み込むためのスパイを送り込んだのだと考えているようだが、実際は違う。ネットショックが起こるずっと以前から通常の社員として日本支社で勤務している、他国支社出身の社員が、ネットショック後に他国支社自身の指令を受けて、日本支社を裏切るスパイとなった、ということだ。


「まあ、ADLERの社員が、そんなモラルに反することをするとは思えませんが、大量の社員の中には、もしかすると弱みのある社員もいるかもしれません。脅迫されたりなんかしたら、それはもはやモラルの問題ではありませんし」

 いつも毅然としている国崎が珍しく萎縮している。顔がかげっているのは、彼女の持ち前の彫りの深い顔のせいではあるまい。今度は本田の方が調子に乗って色々言い過ぎたと反省する番だった。


「あの、国崎さん。すみません、調子に乗って色々言い過ぎてしまったんですけど、僕は国崎さんや、日本ADLERを脅しに来たんじゃないんです。日本ADLERに協力してもらわないと、事態が進展しませんし、解決もしないから来たんです」

「え?」

「今日は、ご協力をお願いしに来たようなものです」

 彼女の顔の影がだんだんと晴れてきたように思える。本田はホッとしてコーヒーを一気に飲んだ。

 

「お力になれることでしたら、なんでもおっしゃってください」

「分からないことが結構あるんです。それこそ、推論に推論を重ねてもダメで」

「本田さんなら何でも分かりそうですよ」

 冷静な国崎から急にヨイショが来て、本田はどきまぎする。これが恋か。


「さ、さすがにそんなことはないですよ。僕はここでこんなに偉そうなことを言っていますけど、友人や姉が考えてますし」

 この言い訳のレベルの低さ、千弘が聞いたら失笑を買うに違いない。背中に汗をかいてきた千弘は慌ててベストを脱ぐ。顔を軽く手で押さえ、暑くないのを確認してから、本田は居住まいを正した。


「えーと、僕が分からないことなんですけど。

 まず、他国の支社を潰したときのメリットです。通常、他国の支社など潰しても経営にメリットはありません。fixerが原因で第2次ネットショックが起これば、日本ADLERに大損害があるのは確実です。ですが、それはADLER全ての支社でも同じでしょ。インターネットが止まった時点で株価は暴落、大損害を被るのは間違いありません。それなのになぜこんな警告文を出してくるのか。これが謎です。

 もう1つは、どうしてわざわざ警告文を出してきたのかということです。ネットショックは、今までにない形の犯罪とはいえ、所詮サイバーテロです。テロを起こすと予告しては、テロ失敗の可能性も出てきます。明らかに手の内を晒す暗号まで用意して、これは挑発なのか何かの作戦なのか、それすらも謎です」


 国崎は唖然とし話を聞いていたが、話を飲み込むと細かくメモを取り始める。


「すみません、ほんと。株主なのをいいことに、わがままを無理やり押し付けてしまって」

「いえいえ、本田さんのお話は我が社に取っても非常に重要なことですから。このお話は特に。部外秘にさせていただきますね。本田さん自身は、ただの株主どころか米国本社に行ってもVIP待遇ですよ」

 やはり褒めちぎられると、本田の心はどぎまぎしはじめる。大学の入学祝いに姉に買ってもらった良さげなスーツを身にまとい、大企業のオフィスでコーヒーを飲みながら、その大企業の社員相手に持論をこんこんと語っていても、所詮は中身はただの大学生である。しかも、男子校出身の。


 国崎が会計をしようとするのを本田が慌てて止める。

「あ、僕払いますよ。今回は僕が誘ったわけですし」

「お控えください。社割がききますし、経費で落としてもらいますから」

「落ちるんですか」

「落ちますよ」

 本田の手元から伝票を抜いた国崎は、いたずらっぽく微笑んでレジへ去る。丁寧に礼を言いながら、次からはもう少し高いコーヒーを頼もうと本田は思った。

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