19話:弊社

 毎日使っているオフィスの中でも、よく使うところと使わないところの差は生まれる。社食に隣接しているカフェは、一般人も洒落た店としてよく使っているが、国崎くにさきさくら自体はほとんど使ったことがない。スーツ姿でくるのは初めてだった。


 本田と国崎が会うときは、だいたいが国崎が本田を呼び出すときになる。そのため、新幹線に乗って、わざわざ東京から本田の下宿まで国崎が訪ねる。しかし今回は珍しく本田が国崎に連絡を取り、待ち合わせ場所は日本ADLERオフィスのカフェだった。国崎は、新幹線を使うので本田の都合のいい場所を、と言ったがうまく断られ、結局は国崎もよく知らないカフェで会うことになった。インターネットで有名になった店で、行ってみたかったのだと本田は言っていたが、本田の興味に触れそうなカフェではない。口実だろう。


 食事に向いた時間を過ぎ、カフェは空いていた。いつもは国崎の方が早く待ち合わせ場所に着くが、今回は中央あたりの席に本田の背中が見える。待ち合わせ時間にはまだ早い。本田は約束の随分前からいるらしい。

「遅くなりました。お待たせしてしまいましたか」

 国崎は本田の後ろから声をかけ、本田の向かいの席に座った。


「いえいえ、そんな。話題作りも兼ねてここを選んだので、先に楽しませていただきました」

 本田は先手を打って国崎の分のコーヒーも注文する。さりげなく自分のコーヒーより少し高いコーヒーを注文するあたり、隙のない男だ。ビジネスマンに向いている。……実際には姉の入れ知恵だが、国崎は知るはずもない。


「国崎さんにお話ししたいことと、お願いがありまして」

「我々にできることでしたら、何なりと」

「話の方は、証拠もない、ただの推論なんですけどいいですか?」

 何の話をしたいのかも分からないが、本田の担当者である国崎が、ここで聞かないというわけがない。国崎は鷹揚に頷いた。本田はそれを見て鞄の中をまさぐる。


「僕の姉宛にこれが届いたんですよ」

 本田が差し出したのは、例の警告文の入った封筒である。国崎は訝しみながら封筒を受け取り、丁寧に封筒を開けて中身を取り出した。全て英文ではあるが、外資系大企業の社員である国崎はすらすらと読み進めていく。英文を見るだけでアレルギーを起こし、辞書の欠かせない本田との英語力の差がうかがえる。


「これが何か?」

「この文のどういうところが肝だと思います?」

 国崎が誤った読解をするとは思えないが、出来心で聞いてみる。

「気になるのは、この部分ですね。まるでネットショックがもう一度起こるかのような書き方をしているのが気になります」

「……すごいっすねぇ」

 一発で正答を引いてくる。溝口よりも英語のできる人間を目の当たりにしたのは本田にとって初めてだ。


「どうしてこれを私に?」

「これ、誰が出してきたのだと思います?」

 質問を質問で返すというやり方をしたが、国崎は素直に考え込んでいる。

「少なくとも弊社ではないですね。消印も変ですし、こんな変わった柄の紙でお客様や取引先にお手紙を出すこともありません」

 本田の想定の範疇の答えが返ってくる。


「僕の姉は、おそらくHudsonが出してきたものだと言うんです」

「Hudsonがですか?」

 国崎は驚いていた。

「国崎さんもご存知の通り、このネットショックはHudsonの幹部によるものという説が濃厚だそうですね。主犯格の人間は逮捕されていますが、残党がいるということでしょう。その残党が、第2のネットショックを計画している、と」

 国崎は面白いように驚き、本田の想像通りの反応を返してくる。


「しかし、僕自身の見解は違うんです」

「違うというのは、Hudsonが出したお手紙ではない、ということですか?」

ADLER

 国崎は息を飲んで目を丸くした。鹿島といい、国崎といい、表情筋があるのかと疑いたくなる人間はいるものだが、こういう時には筋肉が働くらしい。


「ADLERと言っても、日本ADLER株式会社が出したものではないでしょう。国崎さんがおっしゃったように。おそらく、ADLERの外国支社だと思います。あるいは子会社。一応、同業他社の可能性も低いですが考えています」

「…………」

 国崎は黙っている。急に大量の情報が出てきて戸惑っているのか。素直で真面目、仕事も優秀であろう国崎だが、詐欺などに遭いそうな人間にも見える。


「どうしてこれが僕に送られてきたか。それは、日本ADLERに影響を与えるためだと僕は思います」

「お言葉ではありますが、ADLERの人間で、そんなに特徴的な英語を書く者はおりません。弊社の子会社であればわかりませんが、支社ではないかと」

 別に弊社をかばっているわけではないんですけど、と国崎は付け加える。普段、こんなことを言う国崎ではない。


「これは僕の友人が解読したんですけど、この文は暗号になっているんですよ」

 本田はカバンからクリアファイルを取り出し、1枚の文書を見せた。

「これは、全文を僕のソフトにかけたものなんです。各文の頭文字を取って、適当なところにスペースを入れると、こうなります」

 また本田は同じクリアファイルからもう1枚の文書を引っ張り出す。こちらは、先ほどの文書とは違って、短い英文が印刷されているだけである。


[We put the program in the finder《あるプログラムをfinderに組み込んだ》]


finderファインダーというのは、俺の暗号解読ソフトから作られた、プロジェクトfixerでIPアドレスを元に戻すためのソフトですよね」

 ADLERと契約してから、プロジェクトfixerの内容について、軽くではあるものの本田は国崎から聞いている。国崎は黙って頷いた。


「ここでいう『特殊なプログラム』がどんなものかは分かりませんが、fixerに何かしら別のプログラムを入れられるのは、ADLER関係者だけだと思いませんか?」

「しかし、fixerを作ったのは弊社、日本ADLERであって、他国支社とはいえ、変なプログラムを組み込むことはできないはずです」

 本田はメモに書いた「同業他社」という文字を2重線で消した。

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