14話:株式

 本田は、テロリストの求める条件に当てはまるような暗号ソフトは、おそらく世界に数種類程度だろう、と推測している。

 その数種類のソフトから本田の作ったソフトが選ばれた、これは完全に運によるものだった。テロリストに選ばれたと考えれば運が悪く、ネットショック復興の立役者となることができたと考えれば運が良いと言えるのだろうか。


「テロリストに、本ちゃんのソフトが使われたってのは知ってたの?」

 心臓に毛が生えているらしい千弘は、この状況下でも溝口がトチ狂って焼いた肉を平気でつまみ、食していく。さらに新しくご飯も注文した。

「そんなわけないだろ。ネットショックが起こってから1週間にならないくらいの時だよ」

 本田が換字式暗号が云々と言い出し、千弘が軍オタだと判明する少し前だ。


「俺の記憶が正しければ、ネットショックが起こって4日か5日した頃だった。あるサーバーの暗号化される前のIPアドレスと暗号化された後のIPアドレスが偶然判明してニュースになっただろ」


 鹿島が頷く。溝口は思い出した。偶然復旧したサーバーがあると。あのことだ。

「俺はこの時、久しぶりにあのソフトを開いたんだ。単に、暗号化される前と後のアドレス2つを照らし合わせてみたい、という好奇心だけでね」


 あわよくば解読ソフトの一助になるようなものを作れないか、といったことを期待しなかったといえば嘘だ。当時、全国のプログラムを趣味とする大学生の間で、電子世界を救う学生団体が作られようとしているという噂を本田は聞いていた。それに、「ENIGMA」を持ち込んで、参加しようと思っていた。練習か何かのつもりでやってみた、ただそれだけだった。


「そしたら驚きだよ。俺の作った暗号と、ニュースで判明していたIPアドレスが完全に一致したんだから」

「偶然だとは考えなかったの?」

 さらなる肉を千弘が摘み上げる。このタイミングで肉を食う度胸があるのは千弘だけなので肉は一向に減らず、残った肉はもう少しで焦げようかというところである。

「IPアドレスは長いからね、絶対にありえないと思った」


 今度は本田が肉に箸を伸ばす。それを見て、溝口も鹿島もホッとして箸を伸ばした。鉄板が空き、肉だけでは飽きるだろうと今度は野菜を流し込んでみる。負けじと本田が隙間に肉を並べる。


「そのあとは、まあ焦るよね。翌朝、慌てて日本ADLERの本社に電話したんだよ」

「なんでADLERにかけた?」

 さすが工学部とでもいうべきか、鹿島の疑問は鋭い。ADLERは確かにソフトウェアを開発する企業ではあるが、今ではデバイスをはじめ、それに組み込むOSや専門分野用ソフトなどをメインに開発しており、本田の作った暗号化ソフトは専門とは若干異なっているはずだ。


「焦ってたというのもあるし、サークルの先輩が就職してた企業だから、その先輩を出せば話を聞いてもらえると思ったんだよね。実際、その先輩に電話を繋いでもらうまでは不審者扱いされたし」

 確かに、一般人からそんな内容の電話がかかってきたら、不審者を疑うだろう。


「先輩には、話を聞いてもらえたの?」

 千弘が目を輝かせる。やはりこういう直接聞きにくい話は千弘の得意分野である。

「最初は半信半疑だったけど、俺の言うことに信憑性が出てきたらすごく食いついてたよ。すぐさま会う約束をして、俺のソフトをCDに焼いて渡して。そこからはすごかった」


「そんなに食いついてきたの?」

「SMSの返信が深夜2時とかに来てたし、俺のソフトが何かしら凄まじい影響を与えていたのは間違いないと思う」

 そこだけ見ればブラック企業だ。だが、ネットショックで会社は少なくない損害を被っているはずで、それを取り返すために、そこまで必死だったのだろう。


「2日もしたら、売買契約を結ぼうと言われて。『ENIGMAエニグマ』の権利をほとんど向こうに渡して契約金をもらった。結果的にADLERに電話をかけたのは正しかったんじゃないかな、こんな壮大なプロジェクトになったわけだし」

「ねえ本ちゃん、いくらもらったの」

 肉を焼く音にかき消されそうなほど小さな声で千弘が尋ねる。


「25億」

 本田は平然と答えた。

 溝口は思わず口から肉を落としかけた。頭の中でゼロを並べてみるが、何度やっても途中でゼロの数が分からなくなる。そんな額の金を持つ人間が目の前にいるなんて信じられない。


「一生遊んで暮らせるじゃん……」

「でも、税金を引いたらかなり安くなっちゃうよ。本ちゃんの作ったソフトを使ってADLERが得られる利益を考えたら、僕なら50億くらいもらっておくけどね」


「いや、税金を引いて残る額がそれだけなんだ」

 本田は小声ながら千弘の言葉に訂正を入れた。

「なんで? 25億もらって、税金を引いても25億残るって俺にはわからん」

 考えてもどうせ分からないと思ったからか、率直に鹿島が尋ねる。


「わかった。株で25億円分もらった。違う?」

 しばらく考えて、答えにたどり着いたのは千弘だった。

「どういうこと?」

「プロジェクトfixerが発表される前、ADLERの株価は低かったでしょ。ネットショックの真っ只中だったわけだし。それで25億円分もらったとして、fixerが発表されて株価が爆上がりした時に売れば、うまくいけばだけど70億弱になる。でも、所得税と住民税は25億円分しかかからないでしょ。まあ、利益分には税金がかかるけど、それでも所得税と比べれば大きく違う」


 税金の分野は、今の千弘の専門分野ではないはずで、ボンボンだから知っているという知識でもないはずだが、すごい仕組みなのは確かだ。

「まだ株式はあまり変えてないから実際には70億は無理だよ。でも、税金を引いても25億残るくらいにはなる」

「確かに一気に売り抜くと大変なことになるもんね。ねえねえ、これ誰の入れ知恵?」

 千弘は完全に本田のアイデアではないと決めつけている。しかし、金融アナリストだという姉がいれば、その影を意識せざるを得ないのは確かだ。

「姉ちゃん」

 本田はあっけらかんと答える。


「……だろうとは思ったけど、すごいね」

 千弘が飲み放題外の酒を頼み始めた。溝口は渋い顔をしながら自費だぞと念をおす。千弘はこちらを見ずに何度も頷いているが、本当にわかっているのだろうか?

 

「はじめは20億くれるってADLERが言ったんだけど、姉ちゃんが交渉して、株でもらう代わりに25億もらった」

「上げさせることなんかできるんだ……」

「株券は、会社が発行する金券みたいなものだからね。理論上は発行し放題だし。向こうにとっても悪い話じゃないと姉ちゃんは言ってたけど、俺にはよくわからなかった」


 本田の賢明だったところは、自分の姉を契約の時に呼んだところだろう。しかしながら、目の前の人間とその姉がそんな大金のかかった立ち回りを実際にやってのけたというのが驚きである。


「それで、ADLERの株、全部売ったの?」

「それなりには売ったけど、半分以上残ってる」

「大株主じゃねーか」

 いくら世界的企業のADLERとはいえ、暗号ソフトを提供した上、筆頭ではなくとも、相当額の株主となった本田をないがしろにすることはできなかろう。

 溝口の腕に鳥肌が立っていた。本田の姉は、そこまで考えて、「ENIGMA」に対する報酬を株で要求させたのか。

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