7話:異常

「この際値段じゃなくて、品揃えのいいところから攻めていこう」

 制限速度を若干上回るスピードを維持する千弘の車では、本田が作戦会議を始めようとしていた。

「俺、普段行かないスーパーは全く知らない」

 ハンドルを握る鹿島が頼りないことを言う。

「知らないの? ひとつも?」

「知らない」

「こっちに引っ越してきたばかりだし」

 おまけに、溝口も千弘も同じタイプの人間だった。


「……じゃあ、そこ行こう」

「本ちゃんも知らないんじゃん!」

 所詮、男子大学生のスーパーに対する興味などその程度だ。

「手遅れな気もするけどなぁ」

 不吉なことを言う鹿島だったが、果たしてその予言は当たり、行きつけのスーパーは同じことを考えた人々でごった返していた。さながら戦場、食料品を購入するにしても、持ち運ぶ途中でそれが潰れてしまうことを心配するような状況である。


「でも他に行き先はない」

「じゃあ行くしかない」

「行くか」

 冒険小説の主人公と愉快な仲間たちのような言いぐさだが、そこは戦場と化しただけのただのスーパーである。


 客でごった返しているということは、単に会計を済ますだけでも一苦労ということにほかならない。正月大バーゲンさながらの混雑を抜けた時、スーパーに着いてから2時間を回っており、大荷物を抱えた集団は地獄を大急ぎで抜け出した。


「本田、何でアイスなんか買ってるの」

 車の後部座席で、足元がやけに冷えていることに気づいた溝口が、トランクだけでは飽き足らず足元にまで転がる袋を開けて叫ぶ。

「めぼしいものがなくて」

 本田は助手席で照れているが、「めぼしい」で済む話ではない。食料を買いだめしようと言い出したのは本田だ。


「アイス、溶けないの?」

「熱伝導率の低いパンで挟みながら、冷凍食品を犠牲にしたら溶けかけで済むと思う」

 そのパンにしても、食パンはすでに売り切れており、唯一買えたパンは今まで全く縁のなかった菓子パンである。そこまでして買うようなものか、という空気が車内に流れる。だが、主食と言えるものが多く買い占められ、溝口たちも菓子やジュースを買っていたから、あまり他人のことは言えない。


「緊急事態……だね」

 着々と冷蔵庫や食品棚に運ばれるも、未だ台所の床に山積みされている食料品を眺めて、思わず言葉が出た。

「そう?」

「台所にこんなに食料品があるのを見るの、生まれて初めてだな」

 この4人は、生まれてこの方、災害と名のつくものから被害を受けたことはない。ある日突然、外部の力によって唐突に甚大な被害を被る、という状況は生まれて初めてである。


「これで何日保つんだろう」

「さあ、でも1週間は堅いでしょ」

 片付けの終わった千弘は、早速その中からポテトチップスを取り出して、ムシャムシャやり始めた。

「お菓子、いっぱい買っておいてよかった。非常時ってお菓子が食べたくなるよね」

 千弘は、溝口が非常時を体験したことがあるうえ、同意すると思っているらしい。


「今までに非常時なんかあった?」

 本田が苦笑しながら溝口の脳裏に浮かんでいた疑問を訪ねてくれた。

「浪人中かな」

 ストレスがたまると太るタイプだな、と溝口は思ったが、口に出すと露骨に千弘が嫌そうな顔をするので、無理やり忘れる。


「へぇ、千弘って1浪アジなんだ」

「1浪アジ?」

「1浪アジって魚がいるでしょ」

 浪人している人間は、たまにギャグでそう呼ばれるのが溝口のサークルの習わしである。もちろん、溝口もそう呼ばれる。


「ロウニンアジだよ、それ」

「そうなの?」

「本当だって。どうぶつの森、やったことないの?」

 そう言っている間に千弘は1袋を全部開けてしまっている。


「それ、大事な食料だからね。あまり浪費するなよ」

 本田が苦笑しながら釘を刺した。

「やばいかな?」

「ま、数日耐えたら大丈夫だと思うけど」

 本田のその余裕はどこから湧いてくるのか。

「流通の復旧は最優先だからね。サーバーを新たに組み直したりなんかすれば、なんとかなる可能性もある。可能性だけど」

 何を言っているのか全くわからない。


「これ、この先どうなるんだろうな」

 やはり本田も鹿島も、真っ先に手をつけるのは菓子である。

「というか、何がどうなってインターネットが止まったのかよくわからない」

「本田先生、教えてくださいよぅ」

 千弘が猫なで声で本田に擦り寄った。別に可愛くない。

「今わかってることだけしか説明できないし、ちょっと長くなるけど文句言うなよ」


 本田はパソコンを起動した。溝口は、本田ご自慢のパソコンが起動されるのを初めて見た。さらに、ディスプレイの後ろから、家庭用ゲーム機の本体のような機械を2つ取り出し、それぞれを離して畳に置いた。


 本田は、自身に近い側の機械を指差す。

「これがサーバー。さすがに、名前は聞いたことがあるだろ? よく重くなるやつ」

 間違ったことは言っていないが、それはサーバーを簡潔に説明する言葉ではない。本田の説明でこの先大丈夫か、と真顔で頷く溝口と千弘を見ながら、鹿島は思う。


「俺のこのパソコンをインターネットに繋ごうとしたら、まずこのサーバーってのに繋がるんだ」

 本田はパソコンから第1のサーバーであるゲーム機まで、指でなぞり繋げていく。

「そして、サーバーはインターネットに繋がる」

 ゲーム機とゲーム機の間に、本田は指で描いた線で円を作った。インターネットを意味する円である。


「ここで俺が、うちの大学のウェブサイトを見たくてURLを入力したということにする。それで、大学のウェブサイトは、あのサーバーにある」

 もう1つのゲーム機を本田は指差した。少し前の型のゲーム機である。


「ここで問題。俺のパソコンが繋がった1つ目のサーバーは、どうすれば2つ目のサーバーにある大学のウェブサイトにアクセスできるでしょうか」

 それくらいなら、溝口でも、なんとなくではあるがわかる。

「インターネットを介して、2つ目のサーバーにアクセスする……で合ってる?」

「正解!」

 本田が溝口の頭を撫でるフリをしようとしてきたので、本田の腕をさりげなく払いのけた。本田は、持て余した手で、代わりにサーバーを撫でる。

 

「今回インターネットが止まったのは、サーバーというものが止まったからなんだ」

「なんで止まったの」

「なんでだと思う?」

 ちょくちょくクイズを挟んでくるスタイルなのが鬱陶しい。素直に解説しろと思うが、もしそうなったら、それはそれで眠くなってしまう気がする。


「サーバーの不正アクセスとか?」

「全世界のサーバーに同時に不正アクセスするなんて不可能だろ」

「じゃあ、コンピューターウィルス」

「それだって、全世界のサーバーを感染させるのは不可能だろ」

「じゃあなんだよ」


「IPアドレスだよ」

「なにそれ」

 急にクイズの難易度が上がりすぎである。聞き覚えはある言葉なので、脳内で必死で検索をかけていく。犯人のIPアドレスを割り出しました、とニュースでやっている記憶がうっすら浮かんできた。


「爆破予告とかの時に警察が調べてるやつだ」

「あとアレだ。荒らしをブロックするやつ」

 いかに溝口と千弘がインターネットの知識に乏しいかがよくわかる。


「まあ合ってるっちゃ合ってる」

「さっき、サーバーの説明の時にクソみたいな説明したやつが言うな」

 基礎工学部の学生で、少なくとも溝口や千弘の数倍は知識のある鹿島は鋭い。


「IPアドレスに異常が起こったんだって」

 IPアドレスは、ブロックしたりされたり、止めたり止められたりするもの、という感覚でしかない溝口には、異常が起こると言われても、あまりピンと来ない。

「異常が起こるとインターネットが止まるの?」

 まあそうだね、と本田は頷いた。


「IPアドレスはサーバーに振られてるわけだから、IPアドレスがめちゃくちゃになったら、サーバーにアクセスすることができなくなるんだ」

「そんなことあるんだ……」

「ないよ。今回が初めてだよ」

 感慨深く呟いた千弘に、本田がため息をついて訂正する。

「ありえないことが起こっちゃったってこと」


「でもさ、そこまでわかってるなら、ネットはすぐ戻りそうだね」

「だといいんだけどなぁ……」

 本田は歯切れの悪い答えだ。


「IPアドレスがどうして攻撃されたのか、しかも誰にも気づかれずに、全世界同時に行えたのか、それはまだわかってないんだ。方法によっては、インターネットが復旧するのに時間が掛かる可能性だってある」

「どれくらいで戻るの?」

「さあ、明日戻るかもしれないし、1年以上かかるかもしれない。一生戻らないかもしれない」

「一生!?」

「うん、可能性はゼロじゃない」

 

「そんな……」

「それくらいの災害ってことだよ」

「災害なの?」

「生活に支障が出る部分すらも機能してないんだから、災害だと思うけど」


 テレビでは、全世界でインターネットが壊滅したこの事件を、「ネットショック」と命名したと報道していた。

「あまりセンスのある名前じゃないよね。わかりやすいのは確かだけど」

 千弘は口元に笑みを浮かべている。


「慣れたらなんとも思わなくなるし、将来歴史の教科書に載るかもしれないよ」

「まさか」

「リーマンショックだって、もう歴史の教科書に載ってるのに」

 衝撃が走ったのは、溝口だけではない。言った本人の千弘でさえ、なぜかダメージをじわじわ受けている。


「ネットショック、ねぇ」

 本田は、この単語を口に馴染ませるように呟く。

「このネットショック、長期戦になるんじゃないかな」

 本田の目にはテレビの画面の光がぼんやりと映っていた。

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