第12話 弔い~ドクダミ

 姑に申し訳ない事をした。我が家は姑の実家なのだが、姑が亡くなった後、私が庭の手入れをしないものだからドクダミがはびこっている。木も伸び放題で近隣に迷惑をかけている。だれか、親切な木こりが通りがかって無償で切り倒していってはくれないものか。チェーンソーならAmazonで買った自前の物があるから。

 今年も何度か雨が降ったらあっという間に庭に植物が生えてきた。ヨウシュヤマゴボウはm単位に達しているし野生化している明日葉にドクダミも生え放題。これらを抜くと、その下でランナーを伸ばして勢力拡大を試みているユキノシタが付いてくる。

 ドクダミは漢方ではジュウヤク=十薬として珍重されている。乾燥したものは利尿作用をもたらすお茶として、生葉なら揉んで出た汁をニキビ治療などに使うと効果があるのだという。だが、お茶はいいとして顔に塗るのは抵抗がある。青臭い匂いが強い。引き抜くとわっと香りが広がる。

ドクダミの花は白い葉が4枚、花びらの様に広がり十字型に見える。中心にある黄色い柱状の部分が本来の花で、良く見ると小さい花が集まっているのが見て取れる。こいつの呼び方を知らないままだったので先程調べたら小さい花の集合体が大きい一つの花のように見えるのを偽花と呼ぶそうだ。何故に偽なのだろう?大きい花ばかりが花ではあるまいとは思うものの、植物学者に悪気があろうはずもないので、何か理由があって、その呼称が着いているのだろう。

なお、葉とかガクとかが花びらのように見えるタイプの花は結構あって、アジサイ・ハナミズキ・ポインセチアもそのタイプだ。

 ドクダミの白い花は十字架の様に見える。司教の草、という呼び方もあるそうなのだが、それが薬効によるものなのか十字架に見えるからなのか、英語のページを翻訳して理由を捜索する気が起きないので、勝手に十字架だと思う事にしている。

 ところで、ひと昔前の少女漫画のコマの後ろには華やかさの表現として花の絵が描かれていたものだが、バラの花なら派手な華やかさが、百合の花なら清楚な華やかさが記号として使われていたように思う。無邪気な愛らしさならデージーやマーガレットといった花が描いてあったかもしれない。チューリップは描き方によって幼稚園児から大人の女性まで対応できそうだ。しかし、ドクダミが描かれる事はまずない。ないのだが、かつて「少女漫画界に咲いた一輪のドクダミ」というキャッチフレーズがついていた漫画家はいる。りぼんで活躍していた岡田あーみん先生だ。伝説の漫画家なので知っている人も多いだろう。岡田あーみん先生の同期のさくらももこ先生が亡くなった際には、検索ワードの上位に「岡田あーみん」が現れた。既に引退して数十年が経過しており全く姿を見せない岡田あーみん先生が、もしかしたら現れるかもしれないという期待があっての事だろう。デビュー間もない頃の二人は合作をしているし、その後も色々あったようなのでファンがそうなってしまうのは仕方がないと思う。私も密かに期待していた。さくらももこ先生には申し訳ないけれども。けれども岡田あーみん先生はついに現れなかった。代わりに、という訳ではないが、冬が過ぎ春になり、サクラの花が散って彼方此方の庭に道端にドクダミの花が白い蕾をつけるようになった。あっという間に白い十字架が咲くだろう。

 弔いだ。ふと思った。



 

 


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