第6話 エイリアンの生き様~ヒメオドリコソウ

 外来種、という言葉が最近、急に認知されてきたかもしれない。テレビ東京の、池の水を抜く番組ですっかりおなじみになってしまった。国外からだけではなく、国内でも外来種扱いになるケースも紹介されていて、なかなか真面目に取り組んでいるな、と思っている。自分は環境の専門家ではないし、その点で言えば環境関連の学科に進学した長女の方がよっぽど専門だとは思うのだが、まあ、高校生に教えている位の知識は持っている。

 2018の正月も、毎年の事だが、西多摩にある実家に帰省していた。そこで例のテレビ番組を見ていたのだが、相変わらず外来種も固有種も、色々と生物の名称が出てくるのが面白い。

 ところで、外来種でも植物だと、帰化植物という言い方になるのが面白い。動物でも帰化動物という言い方があるのだが、あまり聞かないのが不思議だ。

 帰化植物は余りにも身近過ぎて、それがそうだと認識しないまま過ごすものが多い。最初に書いたヒメジョオンやハルジオンも帰化植物だし、オオイヌノフグリなどは、すっかり日本の植物のように見えるが、これも帰化植物だ。シロツメクサはクローバーの方が通りが良いので外来のものだとわかりやすいが、シロツメクサ、という名前だけ聞くと在来種のような印象を受けるかもしれない。ちなみに、乾燥させたシロツメクサが舶来の割れ物の品の緩衝材として箱に詰められていた=白詰め草、という意味らしい。

 さて、そんな帰化植物なのにすっかり日本の野にお馴染みとなってしまったものの中に、ヒメオドリコソウという植物がある。漢字で書くなら「姫踊り子草」といったところだろうか。シソ目に分類される帰化植物である。在来種に良く似た「オドリコソウ」があるのだが、ヒメオドリコソウとオドリコソウはどちらも同じオドリコソウ属に分類される。ヒメオドリコソウはヨーロッパ原産だ。

 春に山野を歩けば、シソ目の仲間、三種類があちこちに見られる。ヒメオドリコソウ、カキドオシ、ホトケノザの三種類は、どれも似たような花をつけ、やはり同じように茎の断面が四角形であるが、よく見ればその違いは一目瞭然だ。

 カキドオシは「垣通し」で、垣根を抜けるように長く茎が伸びる。ホトケノザは、広がった二枚の葉がやや上向きに反ったように茎を取り囲むように付き、花はその上に直立するように咲いている。それが蓮座を思わせる事がその名前の由来である。ちなみに春の七草のホトケノザではないので注意だ。ヒメオドリコソウは、やはりシソの仲間のミントに似た卵型の形状の複数の葉(確か一段につき四枚)が対になって茎を取り囲むように何段にも重なって生えている。上部にいくにしたがって葉は緑から赤に近づき、やや垂れ下がってスカートの様に見える葉の間に薄いピンクの花が覗いている。良く観察すれば、なるほど踊り子であると思わせる華やかな形状だ。

 小学生の頃の自分は、この三つをどれも同じようなものとして扱っていた。好きは好きだったのだが、それほど執着するものではなかったのかもしれない。今となっては、その頃の感覚が思い出せないのが残念だ。少なくとも、同じ形の花をつけている、という事から仲間である事は認識していたはずだ。

 さて、この植物に関しては、大人になってからの方が印象深いエピソードがある。 

 一つは、自分で調べたり、これらの植物の違いを解説している展示やガイドブックに触れる様になったことがあげられる。これで、漠然と見ていたこの三種にも着目するようになった。名前の由来さえ覚えてしまえば楽勝である。そして、名前の持つ背景にも着目するようになった。特に、この三種がそのきっかけになったと思う。

 もう一つは、我が母が、母の姉、つまり私の母方の伯母から我が父の誕生日の花がこのヒメオドリコソウであると聞いた事により、どこからか集めてきては鉢植えにするようになった事である。ヒメオドリコソウは観葉植物ではない。それを集めてきては大事そうに植えていた母が当時は滑稽にすら見えたのだが、父が亡くなる前後の母の様子を思うと、母は父を鬱陶しがったり蔑ろにしていたようでも、本当はとても愛していて、あのヒメオドリコソウの鉢植えはその表れの一つだったのだろう。

 ヒメオドリコソウは父の誕生花であるが、帰化植物であるという事を考えるとなんとも感慨深いものがある。

 父は戦前に、今の御徒町のアメヤ横丁のド真ん中辺りで生まれ育ち、小学校は黒門小学校だったが、戦時中に埼玉県の所沢市に疎開し、そのままそこで大きくなった。祖父はそこの小さな商店街の入り口辺りで時計店を営み、父の友達も商店街の店の息子達で、その友情は父が亡くなるまで続いたから、生まれ育った場所は異なっても、そうとう馴染んだのだろう。

 赤痢で長男長女を相次いで亡くした祖父母は、健康でありますように、と父を康雄と名付けたのだが、祖父があまり金銭の貯蓄というものに執着しない質だったせいもあってかあまり暮らしぶりは豊かでなく、お下がり長男の父(本当は次男)は中卒で働きに出る予定だったが、中学の教諭の説得で、なんとか夜学でもと高校に進学でき、卒業後は印刷工を経て、創業二年目のカシオ計算機に入社。リレー式計算機の修理やメンテナンスをするために、日本全国を回っていた。その後、電子計算機の時代になると、開発や設計の仕事に携わるようになり、三か月ほど展示会の為にドイツに行っていた事もある。それは私が三歳ごろの事で、父がいなかった事は全く覚えていないのだが、夜に黒塗りのハイヤーが当時の借家に迎えに来た事だけは鮮明に覚えている。父は幼少期から頭が良く手先も器用で、夜学の高卒でも、専門教育を受けていなくても、就職後に独学で機械設計などを学び、レジスターを開発する時には簿記を学び、ドイツに行っていた時は、ある程度はドイツ語も習得したようだ。どんな土地に行っても、その場所に馴染めたようだったが、ヒメオドリコソウが象徴するように、その心情はエイリアンだったかもしれない。

 父の花、ヒメオドリコソウは、馴染んでいるようで実は帰化植物、という所が、父の生き方を象徴しているような気もしている。







 

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