勿忘草(ワスレナグサ)
ぜろ子
第1話 終わりへの始まり
「歩美あのさ、5年後さ、俺に写真送ってよ。いえーいって感じの、はっちゃけたやつ。彼氏と写ってるのでもいいからさ。」
裸の私と布団を抱きしめ、肩に唇を落として誠が言った。この男はなんて無責任な発言をするのだろうか。呆れた故にクスッと笑みがこぼれた。きっと私たちはうまく行かない。きっと別の誰かを愛し、きっと別の生きる道を歩む。それが最善である。
「生きていたらね。」
憮然とした態度で言ってみた。
「何言ってんだクソガキ。」
そう言って私の頭を掻き撫でて風呂を浴びに立ち上がった誠。その筋肉質な背中を眺めながら目を瞑る。バタバタと聞き慣れた水の落ちる音。少し肌寒いホテルの温度。ここにこうして生きている私。
デリヘルで働き始めたのは大学生になってしばらくしてからだった。きっと何もかもが輝いて、充実していて、最高だと期待していた大学生活は地獄も同然だった。元々頭がよくなかった私だけど高校生のテスト結果はいつも上位にいて廊下に張り出される存在だった。部活動も生徒会活動もやっていた。そのため先生に一目を置かれ先輩後輩にも好かれていた。と、思い込んでいた。思い込んでいたから調子に乗って自分の高校のレベルの遙か上をゆく私立大学の看護学科に受験した。まさかとは思っていたが受かってしまった。どんなに一目を置いていてもレベルの高い大学に受かるほど期待はしていなかったであろう先生や親ももちろん驚いていた。
その反動か私立大学への進学を猛反対していた父親から大学費は自分で払うことを条件に進学を許してもらえた。私も素直に喜んだ。きっと自分にはまだまだ力があって、大学でそれを発揮するんだと思った。
甘くなかった。毎週追われる各講義の課題と実習のレポート。頭がよくない私に熟せる訳がなかった。頭がよくない上に勉強環境は全く整っていなかった。私には母親がいなかった。追い討ちをかけるように迫るバイトの出勤時間。体力はある方だったし風邪なんて引いたことないと言っても過言でない程健康体だった私はボロボロになっていた。寝不足が重なり朝から駅のトイレで食べたものを吐くのが習慣になっていた。正直限界だった。けど放棄したら負けな気がした。いったい何に対してかは分からないけれど。そんなとき逃げ込んだ渋谷のクラブの前で斉藤という男に声をかけられた。
せわしない人の波をファミレスの窓から見下ろしながらぽつぽつと斉藤の話を聞いた。
「歩美さん大変だね。バイトも勉強も。もっと楽したくない?」
悪魔の囁きだと思ったが力なく「はい。」と答えてしまった。心の中は不満でいっぱいだ。何故こんなに大変な思いをしなければならないのか。自分で選んだ道だった。だから余計腹が立った。誰にも言えなかった。でも少しでも楽になれるのであればと思ってしまった。
「僕ね、こういったものです。」
そういって差し出された名刺には聞いたこともない会社の名前と斉藤文の名前。
「僕が歩美さんの学校のことを手助けすることは出来ない。それは仕方がないよね。でも効率よくお金を稼ぐ場所は提供できるよ。100%安全とは言い切れないけど。」
「効率よく・・」
なんとなく危ない感じがした。でも不思議と惹かれるものがあったのは間違いない。はっきりと答えを出せない私に斉藤という男は
「まあ、悩むのは当たり前。強制的にやらせるつもりもないですし。でも興味があったらそこに書かれてる番号に連絡ください。」
と名刺を指さして席を立った。「あ、あの」とっさに呼び止めた私を不思議そうに見ながら「どうしました?」と優しく返事をした。正直何故呼び止めてしまったのか自分の行動に驚くとともに隠していた興味が一気に湧いた。
「なんで私に。」
震えそうになる声を殺して聞いた。
「いや、特にたいそうな意味はないんだけど。なんか、どうしようもないって顔をしていたので。」
間違いない。
「バイトに来てくれる子は皆こんな感じです。」
そう言って会計を済ませて渋谷の町並みに消えていった。
それから2ヶ月後、4年付き合っていた恋人との別れをきっかけに私はデリヘルのアルバイトを始めた。
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