第17話 思いの感情
僕の名前はエリク、王都にある街食堂の次男だ。
僕が働くこの店は自慢じゃないが近所はおろか、遠方からもお客様も来る程人気の食堂だ。
7数年前父から兄へと引き継がれたこの店で、僕は兄を支えながら料理人として働いている。
だけど僕には優秀な父や兄と違い料理人としてはまだまだ半人前、とても一人で店を切り盛りする才能なんてない。
それでも僕には二人には負け無い料理がある。いや、この場合料理と言っていいものかどうか……得意な料理というのはズバリお菓子作りなのだから。
男の僕がお菓子作りが得意というのも変かもしれないが、実はこれには訳がある。
それは母が生きていた時のことだ。いつも寝たきりだった母が一度だけ作ってくれたスコーンと言うお菓子、初めて食べたスコーンは暖かくて、口に入れるとチーズとハチミツの香りが広がる甘いお菓子だった。
母との思い出のお菓子と言うこともあるが、僕には未だその味を忘れる事が出来ずにいる。
あの頃僕はまだ幼かったためハッキリとは覚えていないけれど、父が経営していたレントランは貴族御用達の有名なお店で、経営もいたって順調だった。だけど体の弱かった母が倒れてからは全てが一変した。
父は母の為に高額な医療費や薬を買う為にお金を使い続けた、その事に関して僕も兄も父の行為を誇りにさえ思う。だが現実は借金が借金を生み、父のレストランは次第にスタッフを雇い続ける事が出来ず、最後には父一人となった。
徐々に弱くなる母、それでも父は僕たちを養うため店を休むことも出来ず、母の側にいれない日々が続いた。
そんなある日食事に来ていた家族の主人が父に尋ねたそうだ、「こんな美味しい料理なのになぜこの店はお客が少ないのか」と。
その頃の店はスタッフがいなくなったせいで十分な接客が出来ず次第に客足が遠くなっていたらしい。
体力、精神とも疲れ果てていた父はつい全てを話してしまったそうだ。
ある時父が言っていた「あの時なぜ初めて来店してお客様にあんな話をしたのか未だに分からない、ただその家族がとても暖かくて自分の凍りついていた心に日の光が差した気がした」のだと。
その家族の主人は父の話を聞いた後こう言ったそうだ。
「あなたの心のこもった料理、そして人柄に私は心が暖かくなりました。もしよければ私があなたの抱える借料を全て無期限無利子で肩代わりいたしましょう、ただし条件が一つあります。今すぐ妻の元へと行き付き添ってあげてほしいと」
父はその主人に尋ねたそうだ、初めて会う人間に何故そこまでしてくれるのかと。
世の中はそんなに甘く無い、経営が順調だった時は人が集まり経営が悪くなれば人はより付かなくなる。
だけどその主人はこう言った「私はあなたの料理と人柄に惚れたのです。お金であなたを救えるのならたとえ裏切られたとしても後悔はしません。もし今救える事が出来るのに何もしないようなら私は一生後悔するだろう」と。
父は泣きながらその主人の好意に甘える事にした。
そして数日後、母は僕たち家族の見守る中……笑顔で息を引き取った。
母の葬儀が終わった後父は経営していたレストランを閉め、その売却費用を使い下街でこの食堂を始めた。
それから約10年で少しづつ借りていた借金も無事返済を終え、店を兄に譲り自身はその主人の元へと仕えるようになった。
受けたご恩は一生掛けても返す事が出来無い、自分の料理で少しでもあの家族が喜んでくれるのならこの上ない幸だと言って。
そんな父が二週間ほど前に急にこの店に顔を出した。
今まで母の命日や時々様子を見に来る事はあったけど、今回訪ねて来た内容は驚かされるものだった。
仕えていた伯爵家を辞め、屋敷を出られたお嬢様に付いていくと言うのだ。
一年程前に僕たち家族を救って下さったご当主様夫妻が事故で亡くなった事は聞いていたが、何でももそのお嬢様が屋敷を出られ、庶民向けの菓子屋を店を始めるのだと言う。
最初僕たち兄弟は自分の耳を疑った、伯爵家のご令嬢が屋敷を出て店を始めるとか常軌を逸している。そもそも世間知らずのお嬢様が思いつきで出来るような商売などない。いくらご恩のある方のお嬢様だとしても失敗することが目に見えている店で働くなどバカのすることだと。
父の料理の腕は間違いなく一流だ、この業界でも名前を知らない者などいないぐらいに。
そんな父がフリーになればどこの屋敷やレストランからでも引く手数多に好条件で声が掛かるだろう。
だけど父は笑いながら「建前上、旦那様へのご恩を返すためだとか自分に言い聞かせてはいるが、俺はあのお嬢様に惹かれているんだ。いままでいろんな食べ物を見て作ってきたがあのお嬢様が作る菓子はまるで次元が違う、誰もが想像した事がないような新しい菓子とそれに伴う食感、考えもよらない食材の組み合わせをやってのけ、何より食べてくれる者へ愛情が込められている。
恥ずかしい話だがな、俺はこの年で自分への新しい可能性を試してみたくてウズウズしてるんだ。だから旦那様へのご恩とか言いながら俺自身のためにお嬢様に着いていく、お前らには悪いんだが俺の残りの人生だ、このまま好きにさせてくれないか」と。
僕は一流の料理人だと言われた父にそこまで言わせた人物に興味が出てきた。
数日前、店の休みの日を使いこっそり父が働く店を覗きに行った。反対した手前気になるから覗きに来たなど言えるはずがない。
すると店前で二人の女の子が試食と言うものを配っていたので僕はそのお菓子を食べることにした。
そのお菓子を食べた時の衝撃はどう表現していいのか分からない。お菓子とは歯ごたえがあったりサクサクする口触りだと思っていたが、このケーキは生地の部分が異常に柔らかく、クリームが口の中に入ると雪のようにとろけるのだ。
こんな物はいままで食べた事もなければ聞いたこともない。
僕の夢はいつか兄の店を出て自分の菓子屋を開くのを目標にしている。そのため自分でもお菓子の事に関して今まで十分に学んだり研究してきたつもりだ。いや、つもりだった。
これを父が作ったのか、一瞬そう思いある事を思い出した。
『あのお嬢様が作る菓子はまるで次元が違う、誰もが想像した事がないような新しいお菓子なのだと』つまりこのケーキを生み出したのは間違いなくそのお嬢様だ。
僕はこのケーキの事をもっと知りたくてじっとしていられなくなった。今のこの感情が、父が感じた気持ちと同じだと知らずに。
そして僕はこの店の、ローズマリーと書かれた扉を叩く。未知なる探究心を求めて……。
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