レイラの冒険譚

れなれな(水木レナ)

第1話哀しい夢の始まり 

 ――愛猫の様子が変だ。

 毎食後に吐くようになった。

 以前、かかりつけの動物病院に連れて行ったところ「猫は吐く生き物です」と言われて、馬鹿を見たので、対処が遅れた。猫はしょっちゅう水を飲むようになり、また吐いていた。ふわっふわの毛並みにごまかされて、病院にかかるのが遅くなった。

(何故私は、彼のSOSに気づかなかったのか? しょっちゅう私の足元にまとわりつくようになり、こちらの顔を見上げてきていた。もっと早く対処ができていれば……)

 いくら後悔してもしきれない。

 水すら口にしなくなった彼は、純血種のアメリカンショートヘアーならではの弱みがあった。腎臓じんぞうをやられやすいのである。レイラがバイトばかりで、休日がなかなか取れなかったせいもある。動物病院に連れて行ったときは手遅れだった。

「腎不全、寿命です」と言われて、獣医には入院させて延命治療を受けさせるか、あきらめるかの選択を迫られた。

 そう簡単にあきらめられるわけがなく、家族に借金をして入院させる。

「お母さんお願い。計画的にきちんと返すから、お金かしてください」

「(仏)」

 母は猫嫌いだったが仏の顔で貸してくれた。

 でも朝夕の点滴だけで、食事をしなくなる猫。レイラは数日もおかずに面会に行く。彼は銀色のケージの中のトイレの中に横たわって彼女を見た。手当が適切なためだろう、元気だったころのままリラックスしていたので、二、三声をかけてから退室した。この子が危篤だなんて、信じてなかった。信じられなかった。だって全然平気な顔をしていた……。


 二度目の面会に行ったとき、獣医が、

「わたしは明日、息子の結婚式に出席しますので、その間治療できません。よろしく」

 と言い、レイラも一度は納得した。

 が、その間も入院費はとられるんだといろいろ考えてしまい、なぜか結論が背中まであるウェービーな「髪を切る」(出家?)だったのだけれども、いつもの美容院は「予約がいっぱい」で断られてしまったので、イライラが頂点に達し、

「決めた。あの子を退院させる! 看取ってやるんだわ、私が!」

 べつに思い通りに行かないことが重なったからというわけではない。自分にできることがなくなった、そのことが悔しかった。愛猫との時間を刻々と失っていく虚しさにけりをつけたくなったのだ。

 飼い猫は主に死に姿をさらさない、というがペットショップで買ってきた子はそういうことにはならない。獣医によれば猫にも個性があるので、死に際でさえお気に入りの場所に居たい子や、構って欲しがる子がいるそうだ。うちの子だ。


 愛猫を家に連れ帰り、看取ることを決意した。

 愛猫はいつものようにレイラのベッドでゴロゴロし、お気に入りの陽のさすソファの背もたれにのっかり、のんびり過ごしていた。しかし病態は悪化していた。

 レイラがノートパソコンでボイスドラマを創っているときに、猫が音をたて、足元に倒れ込んできた。

 しかし、これはレイラのライフワーク。あえて無視して創作に打ちこむ彼女。だってしかたがないのだ、人間は命に対しては真摯であるがゆえに無力を悟る。

(お前が死んだら、わたしはこれを仕上げる気力をうしなうだろう、だから――)

(お付き合いくださったキャストさん方のボイスを無駄にしてはいけない)

(企画者とは関わりのある人々みんなに責任があるのだから)

(音声を扱わせていただいているのだから)

(それに、これは演者さんの魅力をフルに生かしてもらうためのあて書きだから)

(思いがこもってるんだから)

(愛猫が死んだら、思う存分無気力になるから、だから私にこのボイドラを仕上げる力をください!)

(裏切れない。人を喜ばせたい)

(私に力をくれるおまえがいてくれる、今この時に仕上げてしまいたい)

 レイラを突き動かすのは使命感と焦燥だけ。だんだん、猫は動かなくなっていく。

 愛猫がどんどんみすぼらしくなって。ついに見かねて、ソルラクトという注射をたびたび打ってもらうが、愛猫はレイラが昼食を摂っている間に死んだ。朝は生きていたのに、そのままレイラのベッドの上で、目を見開いたまま。ボイスドラマ完成から三日後のことだった。


 レイラはその死を感情的に受け入れられなかった。涙も出ない。なにを思ったのか3DSを起動してカメラに表示を変え、死骸の写真を撮ってしまう始末。

 生きてるときは動き回って全然撮らせてくれなかったもんね……。悲しい独白。

 しかしうらはらに、斎場の手続きを無感動にする。

「個別葬でお願いします」

 これで全部の遺骨が戻ってくる。だが、

(私の心はどこへ行ったんだろう?)


 ――夜中に目が覚めた。

(これはなんだ? 眠れない。胸が痛い。息が苦しい!)

(地獄。この世は地獄なのだ。おまえが居なければ、私は生きていけない。わかっていたのに)

(おまえの命を絶ったのは私だ。私が終わらせた。それはどんな苦しみだったのだろう)

(ああ、おまえ……テル)

 苦しい息の下、耳を塞ぐ空気の唸り。

 肺を直にひっかかれるような激痛。乗り越えた先に、なにがあるというのだろう。もうおまえはいないというのに、テル。

 目を開けたら、レイラは何も持たないまま夜の荒野こうやに寝転んでいた。

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